2023年8月23日水曜日

丸岡城(1)

 三国湊のレトロな町巡りの後、板井市の小高い丘の上に残る現存する12天守の国内最古の「丸岡城」に行った。「丸岡城」は、板井平野の丘陵を中心に築かれた平山城である。平野の南北を流れる竹田川と九頭竜川にはさまれ、北は加越山地を挟んで加賀と接し、加賀の一向一揆の備えとして築かれた。一向一揆を滅ぼした織田信長は越前を重臣の柴田勝家を治めさせた。勝家は甥の勝豊に城を築かせたが、次の本多成重に越前藩主・松平忠直の配流に端を発して丸岡藩が成立した。その後、城主が次々と変わり有馬氏が明治維新まで居城とした。昭和23年の福井地震で倒壊したが、7年後に元の建材を使い再建された。























































本多家の系譜が掲載されていたが、本多忠勝が岡崎城主をはじめとして、各藩の城主となっている。政重は加賀藩の筆頭家老となっている。
























藩政期には、ひょうたん型の本丸を中心に二の丸や東の丸などが配置され、周囲は内堀で囲まれている。内堀は最大90mあったというが、現在は埋められている。


天守は、二重三階の独立式望楼型で小ぶりある。前面には入母屋型の屋根が付いている。


















外壁は漆喰塗籠とせず下見板張りで軒裏などは木部を露出させている。
























石垣は、地震などにより大部分が崩れて積みなおしているが、矢穴技法を用いない野面積みであった。


















天守の屋根は笏谷石を囲下瓦で葺かれている。天守にかかる重さは1000t以上であるという。


















1階の屋根の東西の棟の鬼瓦も笏谷石の彫刻で、東側の鬼は口を開き、西側の鬼は口を閉じ、阿吽の対になっている。


















屋根の両側には張り替えられたもとの木彫銅板に復元した鯱が見えた。