2014年5月31日土曜日

金沢駅界隈(2)

金沢駅東口を出るとすぐに「もてなしドーム」があるが、そこに繋がってバスターミナルがあるので雨が降っていても濡れることなくバスに乗れる。




















地下広場のほうへ階段を下りていくと、階段の横にデザインを工夫したガラス板に沿って水が流れ、下方のたまり場の流れていた。この水は辰巳用水の水を使っていると立て札に描いてあった。兼六園や広阪を流れている水は辰巳用水であると知っていたが、今は金沢駅までつないだようだ。




















地下広場では、明日から開かれるイベントの準備をしていた。最近は新幹線開通間近ということでイベントも多くなっているらしい。




















また「北陸鉄道浅野川線」は地下広場から乗るようなっている。
私の子供の頃に「内灘海水浴場」によく行ったが、この電車の乗っていったので懐かしく思う。この頃は地上から乗るようになっていたが、「七ツ屋」駅までは今の「江ノ電」のように家の軒下を通っていたという記憶がある。
「北陸鉄道浅野川線」は1925(大正14)年に「北陸の材木王」といわれた商人の平沢嘉太郎が「浅野川遊園」を作り、そこへ人を運ぶために開通された。この「浅野川遊園」については、いろいろ書きたいこともあるので、後日改めて紹介したいと思う。




















この金沢駅周辺には、大きなホテルがたくさん建っている。左手には「ANAクラウンプラザホテル」があり、通りの向かいには「ホテル日航金沢」がある。どちらも金沢では最も大きいホテルで、宿泊室の他に大きな会場があり、パーティーや講演会などもある。








































「ANAクラウンプラザホテル」の手前には「旧玉井町」の標柱があった。
加賀藩士5、000石の玉井氏の屋敷と同家の下屋敷、家中町があった所で、明治の初めのこの名がついたという。




















また、駅の正面向かいには「金沢都ホテル」がある。ここは、私の学生時代からあるが、その頃から地下街があり、飲食店やショッピング店があった




















その頃に「ロキシー劇場」ともうひとつ映画館があったが、今は跡形も無くなっていた。飲食店などは今でもやっているところもあった。




















その中には、今は「百番街」の中もあるが、昔からあるおでん屋の「黒百合」はリーズナブルでおいしいので、会社に行っているときに何度か利用したことがある。




















この辺りはの飲食店は大きなホテルの1階や地下街にもたくさんある。




















また、この「金沢都ホテル」の前に「旧木の新保」の標柱があった。
古くは石川郡石浦庄木の新保村で藩政初期に金沢城近くの西側からこの地に移り、一体を木の新保と総称した。明治の初めに、この名が町名になったという。


























7年位前に「フォーラス」が駅前にできてから、休日の金沢の人の流れが変わったような気がする。約180のテナントが入っているファッションビルで1~4Fが主にファッションで、5Fは生活雑貨、6Fは飲食店、7Fは映画館になっている。若い女の子が多いので私にはちょっと入りづらいところである。





















より大きな地図で 金沢駅2 を表示

2014年5月23日金曜日

金沢駅界隈(1) もてなしドーム、金沢駅構内

北陸新幹線開通まで10ヶ月足らずとなり、今、金沢駅付近は金沢の中でも一番熱いところである。
今回のブログの写真は、ラフォルジュルネを見た日(ゴールデンウィークの5月5日)と午前6時ごろの早朝の日(5月13日)の2回金沢駅付近に行って撮っているので、人の多い時と少ない時があるが、あしからず。

まず、金沢駅東口の玄関を出るとすぐに目に付くのは「もてなしドーム」で,2005(平成17)年にできた。




















金沢で藩政期から盛んな能や素囃子に用いる鼓(つつみ)をイメージした木製の「鼓門」と1.5m四方のガラスを3019枚で覆われた「もてなしドーム」で駅前の景観を一新した。








































伝統と現代を表現した斬新なデザインは、2011年米国の旅行誌「トラベル・レジャー」のウェブ版で「世界で最も美しい駅」の14駅に日本で唯一選ばれたというものである。
前市長の山出保さんは「金沢の町は雨の多い町で、お客さんが駅を出たらそっと傘を差し出す『おもてなしの心』を表現した」と言っていた。さすが良い考えと思った。




















金沢駅が開業したのは1889(明治31)年で、新橋、横浜間に日本で初めて鉄道が走ったのは確か明治5年だったから26年も経ている。
開通前のこの付近一帯は、蓮沼と藪ばかりであったという。
旧制4高が開学したのは1887(明治20)年で、その時はまだ金沢に鉄道が敷かれておらず、開学式に出席した文部大臣の森有礼(ありのり)は、敦賀から人力車に乗り換えて会場に駆けつけたという。

開通当時の駅舎















「金沢のいまむかし」より




金沢駅の待合室に菓子や化粧品、タバコを扱う売店が開設されたのは1914(大正3)年というから、開通して20数年は店もなかったということになる。ただ忘れてはならないのは、列車が止まると窓に売りにくるあの駅弁は鉄道開通から1日も休まずずっと続けていたらしいが、いつの間にかいなくなっていた。この駅弁の元祖はいうまでもなく尾山町にある「大友楼」だ。今は、百番館のお土産やで売っている。

1933(昭和8)年の金沢駅付近の様子。このころはバスや自動車が走っている。横にある鉄塔は何だったのだろうか?













「金沢のいまむかし」より






昭和38年ごろの金沢駅の様子は私もよく覚えていて懐かしい。













「金沢のいまむかし」より






続いて、現在の金沢駅構内を紹介する。
ゴールデンウィーク中の構内の風景




















改札口の様子。現在のものは西口に近いところにあるが、新幹線の改札口は東口に近いほうになるらしい。そしてい今の改札口は第三セクターの在来線用になるとか。




















切符売り場の様子




















「金沢百番館」は駅中のショッピングモールで「お土産や」、「グルメ街」、「ファッション」の店が並んでいる。ここも改修作業やっていて、7月にできるらしい。








































「石川金沢観光情報センター」では、金沢市をはじめ石川県内の観光パンフレットを多数揃え、観光に関するさまざまな情報を提供している。
最近では、外国人が多くなってきているので、外国人のための観光ガイドも常駐し、英語など外国語の金沢観光MAPも置いてあった。ここもこれから忙しくなるだろう。




















私の小さい頃からあった加賀人形の「郵便太郎」は大理石製のポストで、金沢駅構内の移り変わりをずっと見てきている。待ち合わせ場所にもなっているという。


























最近のニュースで新幹線のお客さんに見てもらおうと駅構内に郷土の工芸品の九谷焼、金箔や蒔絵などを展示するコーナを設けることを紹介していた。そして今、県内の優れた職人がそれらの工芸品のすばらしいもの精魂こめて作ろうと頑張っているところである。
テレビでそこに並べる「加賀獅子」に金箔を使った、すばらしいものが職人の手で作っていて、そろそろ完成することを放映していた。
新幹線が来るまでにどんな風に金沢駅が変わるのか楽しみだ。

より大きな地図で 金沢駅 を表示


2014年5月18日日曜日

神明宮、大連寺

今回は、古来より「お神明(しんめ)さん」と呼ばれ親しまれている神明宮がちょうど春祭りで「あぶり餅神事」が行われているということで行ってきた。(5月16日)




















この神事は、300年以上続く、全国ただひとつの悪事災難厄除け伝統特殊神事として有名である。
加賀藩2代藩主の利長が春秋の祭礼を厄除け神とし、祭り毎に供える餅を御幣(お祓いの用具)形に串刺ししたものを飾って家の守り神とする一方で聖火にあぶったものを食して身体の災厄を免れる信仰として自ら範を示したことが起源とされる。




















ここの境内には、樹齢1000年といわれる金沢市指定保存中の大ケヤキ(樹高33m、幹周7.83m、枝幅2.5m)がある。通りの向こう側から見るとその大きさが分かる立派な木だ。




















また、金沢旧五社(藩政期より藩主前田家の信仰が特に厚く神官だけが守護する五つの神社)のひとつでもある。




















境内には平日の午前中にもかかわらず、あぶり餅を求めて多くの人でにぎわっていて、既に長い行列ができていた。




















家に飾るもちは半年でひび割れし、その効果が薄れるので古いものは神社に返し、新しい餅を買い、それを玄関の中の高い場所に飾るという。




















私も初めてそのあぶり餅を買い、その後で境内の休憩所でお茶を頂きあぶり餅を一つだけ食べた。甘い醤油たれがかかっていて、おいしかった。




















ここの行事に初めてきたが、多くの人が買い求めていて昔からこういう信仰にあやかって、家事災難除けを願う人がたくさんいるのだなあと思った。




















また、この神明宮は昭和初期の詩人の中原中也が幼年期を金沢で過ごした際に、父に連れられて神明宮で軽業(かるわざ)を見た思い出を題材にして、詩「サーカス」を描いた所である。

三文豪の一人の室生犀星も幼年期に神明宮近くの雨宝院に過ごしていたため、ここの境内でよく遊んだ場所で、作品の中にもよく出てくるところだ。

次にその神明宮の横にある大蓮寺に行った。




















ここは、前田利家の4女で岡山城主宇喜多秀家の正室である豪姫の菩提寺である。
関が原で敗れた秀家やその息子たちが八丈島に流刑されたが、豪姫の願いにより明治3年まで280年間、秀家と豪姫の子孫や家臣の子孫に生活物資が送り続けられたというからすごい。

寺の中には、豪姫の位牌や秀家、二人の息子や家臣たちの無事を祈った聖観音など多数が寺宝として現在に伝わっているという。後日、中に入って見たいと思う。




















寺の建物の上方に宇喜多家の家紋が掲げられていた。




















寺の裏手の墓地に、1995(平成7)年に豪姫の360回忌の法要があり、八丈島の秀家と金沢の豪姫が生き別れとなってから400年余りを経て、二人の分骨を頂き建立された両人のお墓が並んであった。




















西門口には豪姫を彫った石壁があった。


より大きな地図で 神明宮、大蓮寺 を表示

2014年5月13日火曜日

ラ・フォル・ジュルネ 金沢駅

今回は、金沢駅付近で毎年ゴールデンウィーク(4月29日~5月6日)中に開催されているラ・フォル・ジュルネに行ってきた。


























数年前にベートベン、モーツアルト、ショパンなどがテーマとなっていたときは、家の者と一緒に見に行き、有料と無料のイベントをスケジュール表を見ながら、いくつものイベントをはしごしたものである。
今回は、いつも混雑しているので家の者は行かないという事で、私一人でその雰囲気をこのブログに紹介したいと思い出かけた。
ラ・フォル・ジュルネは1955年にフランスの港町ナント市で誕生し、その後フランス国外にも広がり、2005年に東京で、そして全国で2番に2008年金沢でスタートした。
世界中の一流アーチストの演奏が低料金で、そして1公演45分という短さから、奏でるクラシックをあまり聞かないという人も、ちょっと聞いて見たいということで大勢の人が集まる。
この日の金沢駅付近は、街全体に音楽があふれ「お祭り」ムードになる。つくづく金沢の町は魅力ある町だと思う。
今回は予約チケットを持っていなかったので、無料ゾーンを歩き回った。まず入ったのが「県立音楽堂」で、ここはラ・フォル・ジュルネの中心的な場所で、「コンサートホール」、「交流ホール」や「邦楽ホール」などで一流アーチストが演奏している。




















「県立音楽堂」での無料ソーンは、ピアノ演奏をやっていた。いすに座る席は満員で、立っている人も多くいた。





















地下でやっている「交流ホール」の演奏風景がガラス越しに見え、その音も小さいながら聞こえた。




















ここの展示コーナには雅楽で使われる尺八、三味線、琵琶、琴や太鼓が飾ってあり、太鼓にはきらびやかな模様が施されていた。








































続いて金沢駅の玄関である「もてなしドーム」の前では「金沢市立工業高校吹奏楽部」が、良く聴きなれた曲をやっていた。高校生の演奏といえども見事で聴きごたえがあった。皆さん静かに聴き入っておられるようであった。








































次に駅の横にある若い女性に人気のある「フォーラス」の6階に行くと、4人のサクソフォン奏者が独特の音色で演奏していた。
「フォーラス」の建物の中は人でいっぱいだったが、買い物や飲食で来ている人が多く、駅よりも聴いている人は少なかったように思える。




















駅の構内では、高校生に混じって小学生も演奏していた。合同練習はどれくらいやったのであろうか。さすが出演するだけあってうまいものだ。ここもJRの電車の待ち時間に聴いている人もいるようで多くの人がいた。








































また、駅前の地下広場でもやっていて、ここでは立ち見客の後方では、テーブルの前に座ってお茶やビールなどを飲みながら聴いている人もいた。音楽ムードの中でのんびりするのもなかなか気持ちのよいものだと思う。
音楽を聴いて、幸せだという気分になればそれで最高であり、理由なんて何にも要らない。人によって、聞き方、感じ方が違うが、自由である。




















クラシックに縁が遠かった人も、これをきっかけに聴きにいってみようというのがラ・フォル・ジュルネである。
通常のクラシックのコンサートは有名アーチストになると、二人で行くと2万円近くになるが、低料金で、演奏も45分と短時間でやってくれるのがラ・フォル・ジュルネだ。また、子連れの若い両親も多くいたし、若い人から年寄りまで幅広くいた。
金沢へ全国で2番目に来たのは、やはり歴史的文化の厚みがあり、「オーケストラアンサンブル金沢」があり、指揮者だった故岩城宏之と現在の指揮者の井上道義の存在だという。
大都市東京とは違う、人口45万の町でやるのは、ラ・フォル・ジュルネがフランスの小都市ナントから始まったということが、フランス人の企画者のコンセプトにあっているからだともいう。
これからも人が多く集まるだろうよい企画だと思う。まだ、一度も来たことがない人は、ぜひその雰囲気を味わってもらいたいと思う。

より大きな地図で 金沢駅 を表示