2019年6月29日土曜日

日光 那須ドライブ(6)日光東照宮⓹奥宮

日光 那須ドライブ(5)日光東照宮④の続きで、その後、奥宮へ向かった。東回廊から奥宮まで207段の階段を上らなければならなく、途中休みながら上った。

























家康公の墓所がある 奥宮の拝殿の正面は、黒漆が塗られ金の装飾がなされている。




















 奥宮の鋳抜門で、ここまで歩いてくるとかなリしんどい。



















「奥宮宝塔」 は唐銅製で、この中に家康公の遺骨が神棺に納められているという。



















 奥宮から階段を下りる途中、東照宮の数々の建物の屋根がずらりと見えたが、黄金色が輝いていた。


 これも降りるときに見た建物の金箔の壁と模様は入った白い梁と柱の周りに牡丹の花が描かれていた。

東照宮の入り口まで戻ると相変わらず人が多く、世界遺産の建物の人気ぶりに驚かされる。



















日光東照宮宝物館の1階のカフェでコーヒーを飲み一服した。このすぐ横に東照宮に使用されている文様のサンプルと彫刻、彩色、漆工、金工などの様々な工芸技術に用いる道具や材料などが展示されていた。


2019年6月25日火曜日

日光 那須ドライブ(5)日光東照宮④

日光 那須ドライブ(4)日光東照宮③の続きで、その後、拝殿・本殿の表門である「唐門」を見た。ここは特別な日だけが開かれるという。全体が貝殻で造られた塗料・胡粉で白く塗られ美しい白さと、きらびやかな彫刻美に飾られている。門の両側には凄みのある昇龍と降り龍が寄木細工で作られものが表現されている。



















「唐門」の透塀の部分は緑の窓枠に黄色の格子、梁に白、赤、金色の文様がある。





















門の上には、「瞬帝朝見の儀」は27人の人物が並ぶ彫刻は、古代中国の伝説上の皇帝、瞬帝に謁見する様子という。細やかな彫刻である。























 本殿の上方には金色の鈴に、さらに上には虎と豹が彫られている。



















39畳もある拝殿の天井は、折り上げ格天井になっており、狩野探幽とその一派が描いた100頭の竜の絵が並ぶ、本殿の獏の像には、平和の願いが込められているという。



















本殿扉の文様もすばらしい。ここは淡い色彩である。



















本殿・石の間の及び拝殿の彩色などの工事状況について説明板が貼られていた。漆下地になっているところに、顔料や染料を膠液で溶いて描き加える彩色を施す。その技法は彫刻の形式によって変わるという。























漆塗りは、生漆や地の粉などを混合した下地材をぬっては研いだ後、精製した漆によって仕上げていくという。漆は岩手県浄法寺で掻いたもの、金箔はやはり金沢で製造したものを使用しているという。



















「陽明門」から東西にのびる廻回廊の東側の奥宮へ続く入口に、東照宮の中でも有名な「眠り猫」がいた。家康公が祀られている奥宮への参道手前で墓所を護るように坐る猫の彫刻で、伝説の名匠の左甚五郎作と言われている。神社に猫の彫刻があるのは珍しい。
高い部分にあり、カメラを撮る人が周りに多くいたので、やっとの思いで撮った。


2019年6月22日土曜日

日光 那須ドライブ(4)日光東照宮③陽明門

日光 那須ドライブ(3)日光東照宮②の続きで、その後、日光東照宮の一番の見どころである「陽明門」に行った。陽明門の建築は「楼門」と呼ばれる高さ11.2mの2階建ての門で、入母屋造り屋根は銅瓦葺で黒漆が塗られている。屋根の上には鬼瓦が取り付けられ、悪いものが入って来ないようにらみを利かせている。



















約380年前に造られた壮麗な門は「平成の大修理」が終わって2017年に姿を現した。500体を超える彫刻と、鮮やかな彩色が見事なので、一日中見ていても飽きないことから「日暮門」ともよばれている。どこかの橋と同じ呼び方だ。上方の青い勅額は後水尾天皇御真筆によるもので、表面は「東証大権現」裏面に「元和3年3月28日」の刻銘があるという。「東証大権現」は、徳川家康が神様になったときに御神号であるという。



















中国の政治家や仙人などが門の周りに多くの人々が彫刻されている。正面には君子の四芸である琴棋書画などの儒教的な主題の彫刻が並んでいるという。その上の緑色が入った「唐獅子」はライオンをモデルに想像で造られた霊獣で、一体ごとに口の開け方が違う。百獣の王の「唐獅子」の両側には、百花の王の「牡丹」が配置されている。



















陽明門の左右に鎮座する隋身像は門番として安置されている。徳川家の葵紋でなく、木瓜(もっこう)という家紋であるが、徳川家の相談役の天海大僧正=明智光秀との説もある。
























空を飛ぶ白い体に金色の髪と爪がかがやく「目貫の龍」とその上の欄間には野鳥と草木の彫刻がなされている。



















柱や梁の紋様も素晴らしい。また、地震の揺れや衝撃を吸収・分散するべく、積み木を縦横に組み合わせたような「斗きょう組み」で、黒漆に金箔が付いて豪華な雰囲気に見えすばらしい。柱の上には白く胡粉を塗った唐獅子の上半身像が取り付けられている。これも様々な姿の唐獅子である。



















「陽明門」を入ると、左側に「神輿舎」の建物がある。この中には、春秋渡御祭に使われる、家康公、豊臣秀吉公、源頼朝卿の神輿が納められている。天井には美しい天女像は、神輿が出ている時だけ見られるという。



















周り中金箔が貼られた豪華な神輿である。











2019年6月18日火曜日

日光 那須ドライブ(3)日光東照宮②

日光 那須ドライブ(2)日光東照宮①のつづきで、さらに歩くと日本初の青銅鳥居の「唐銅鳥居」がある。これは3代藩主家光が金2000両を投入して完成させたという。まっすぐ前に本殿や陽明門が建っている。



















「水屋」は1618(元和4)年に鍋島勝茂候(35万石)より奉納されたものである。水を使うことで柱が腐らぬように水盤とともに花崗岩で作られているという。屋根は唐破風で、虹梁の上には波に飛龍の透かし彫りがある桃山時代の豪快な彩色がなされている。



















一切経を収めた経蔵である「輪蔵」で、八角形の御堂である。日光東照宮の中には修学旅行生か中学生がいっぱいいた。




















 伊達政宗より奉納されたというポルトガルから鉄材を運んで鋳造したという「鉄灯篭(南蛮鉄灯篭)」。日光東照宮の境内に121基が現存する。




















鐘楼もきらびやかで、上方に鐘付き棒が見える、いつもよく見ている金沢のお寺の鐘楼と随分違う。



















陽明門から左右にのびる朱塗りの回廊の胴羽目には、東側に16間、西側に9間にわたり狩野理右エ門の下絵になる極彩色の大彫刻が配置されている。欄間には雲、胴羽目には花鳥動物、腰羽目には水鳥が天地水と組み合わせて彫り分けられている。いずれも一枚の丸彫り風の透かし彫り、最大のものは横2.3m、縦1mの一枚板が使われているという。



















ここに大きな孔雀が彫刻されていたが、華麗な羽をもつ大きな鳥だ。体は空色で、羽は白色だが、羽を広げると扇状になり、金色になっていた。孔雀は毒蛇なども捕食することから、災難を避ける力を持つ霊鳥と言われている。


2019年6月15日土曜日

大乗寺公園 アジサイ 2019

梅雨入りしたのに、今日はあまりに天気が良いので、散歩がてら「大乗寺公園」に行ったら、「あじさい」が見ごろだった。(6月13日)
この公園からの眺望で、金沢市街の円光寺、横川方面を見る。奥の鉄塔の向こうに今話題のジャパンディスプレーの工場が見える。



















今までは、あまり気にしていなかったが、桜の木に赤い実が付いていた。



















広い大乗寺公園の「アジサイ園」には、淡い青色、濃い青色、ピンク、紫、白などいろいろなあじさいが咲いていた。あじさいは土壌のpH(酸性度)によって色が変わってきて、「酸性なら青、アルカリ性なら赤」と言われている。しかし、あじさいは梅雨時の「つゆ」に濡れているのが似合う花だ。















































「カシワバアジサイ」は珍しくピラミッド型に膨らんで咲いている。



















ピンクの「フラミンゴ」



















白い「オタフク」(ガクアジサイ)



















「渥美シボリ」 (ガクアジサイ)
























城マリー




















大きく広がった白い「ロイヤル」



















「ハワイアンブルー」



















「パリ」は鮮やかなワインレッド

あじさいでも多くの種類があることを知った。

2019年6月12日水曜日

日光 那須ドライブ(2)日光東照宮①

日光 那須ドライブ(1)華厳の滝 中禅寺湖の続きで、次の日はすぐに日光東照宮に行った。世界遺産となった豪華春蘭の彫刻と色使いの社殿などが見れるということでワクワクしながら行った。広い参道の周りに大きな杉の木が建ち並んでいる。



















日光東照宮は、徳川家康の遺言を受けて、1617(元和3)年に二代将軍秀忠が創建した家康の霊廟である。当初は質素な堂だったが、、三代将軍家光が行った「寛永の大造替」で、きらびやかな建物に建て替えられたという。現在の金額で400億円相当の工費が投入され、1年5か月という短期間で完成したという。
この鳥居は1918(元和4)年に九州筑前藩主・黒田長政が奉納。鶴岡八幡宮、京都八坂神社とともに日本三大石鳥居といわれているものである。


その鳥居の横に、1818(文政元)年に再建された立派な五重塔が建っている。
























1層に彫られた十二支の動物が方向を表している。入口上部の右に寅は家康公、中央に卯は秀忠公、左に辰は家光公を表している。この三公の性格がそのまま干支に表れているような気がする。



















ここの芯柱は耐震耐風を目的として、吊り下げられ10cmくらい浮いた状態となっている。東京スカイツリーにも応用されたものだ。そとから建物の隙間より、浮いている状態が見えた。




















日光東照宮の最初の門である「表門」には、両側に「阿吽の仁王像」が安置されている。



















 「表門」をくぐると目の前には3棟の校倉造りの「三神庫」の建物で、お祭りの道具や御神宝を収納しているという。
下の写真は「中神庫」



















「下神庫」。上部に「想像上の象」が刻まれている。狩野探幽が聞いた話だけの資料を下にして下絵を描いたという。実際の象とは耳や尾っぽが異なるユニークなものだ。


その背後には「神厩舎」の建物がある。ここには、真っ白な毛並みの神に仕える神聖な馬を飼育する馬屋である。この建物は1635(寛永12)年に建てられ、日光東照宮で唯一漆が塗られていない素木造りである。



















この長押の上に「三猿」が彫刻されているが、これが日光東照宮の中でもひときわ人気のあるものである。陰陽五行思想で、猿は馬の病気から守ると言われ、「神厩舎」に彫刻が施され、8面16匹で猿の一生を描き、人生を物語るという。
下の彫刻の中央が「三猿」で「見ざる、言わざる、聞かざる」という言い回しが有名である。



















母子・幼年期・少年期・・・・・・結婚・妊娠そしてまた母子に戻り繰り返す。