2013年1月29日火曜日

石川四高記念館

今回は、広阪にある石川記念交流館に行ってきた。
この建物は、1891(明治24)年に建てられた第四高等中学校で、
赤レンガが特徴で重要文化財になっている。

現在は西側が「石川四高記念館」、東側が「近代文学館」となっている。








































石川四高記念館に入ると、四高の歴史や伝統を伝える展示がなされている。
明治中期から太平洋戦争直後まで存在した男子校で日本近代国家を担う
少数エリートを輩出したという。なかでもナンバースクール(第1~8高)は名門と
いわれた。
四高創建を記念したブリタニカ書籍が寄贈されたものが陳列されていた。




















「超然主義」という四高の校風があるが、これは渾然とした社会にあって、
その風潮に染まることなく、積極的にかかわること姿勢を求めていたという.




















「時習寮」は明治26年に創設された四高の寄宿舎で、論語から名前を採ったもの
である。学生自治が実行され寮歌、コンパ、ストーム、記念祭などの活動は四高生
の生活や精神に大きな影響を与えたという。




















明治30年ごろ、西田幾多郎らが先生となって、「三々塾」というものが創設された。
塾では出身地や部活動を同じくする少人数の生徒たちが生活し、このなかで
彼らは切磋琢磨して教養を高めよき友人を得たという。




















寮歌、応援歌のなかで「南下軍の歌」や「北の都に秋たけて」などのメロディー
は私たちもなじみが深く今でもよく覚えている。
南下軍とは他校へ遠征した運動部や応援団などを指すという。








































四高祭のときなどは、酒を飲んで町に繰り出し結構騒いだというが、
町の人たちも四高生だからと大目に見ていたという。

今回の見学で四高生の生活ぶりや活躍ぶりがよく分かり興味が尽きなかった。


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2013年1月24日木曜日

尾山神社から尾山町商店街

前回の続きで尾山神社の境内に関口開の顕彰碑があるということを
知っていたので、それを見ようと思い探したが、分からなかったので
結婚式場の前の駐車場の誘導係をしている人に聞いた。

関口開は江戸末期から明治にかけての北陸の近代数学の指導者である。
独学で英語の数学書を翻訳し、生涯、金沢で教鞭をとったという。
鉛筆形の顕彰碑はその数学を一生懸命勉学したのでこの形なのだろうか?




















これを見た後、駐車場の誘導係をしている人と、しばらく会話をした。
その人は、卯辰山にある60数箇所の碑をすべてカメラに撮り調査資料を
作り、市役所の観光係のほうに渡したという。
金沢についていろいろ面白い話が聞けた。私と同じようなことに興味を
もっている人もあちこちいるのだなあと思った。
その後、昔の藤花高校があった方面に向かって歩いた。
小学校のころのに友達がいてよく来たところだが、家がすっかり新しくなり、
藤花高校があった場所には大きなマンションになっていた。

左に折れ、ゆるい坂を下ると、角にはレトロな外観の料亭「大友楼」がある。
1月7日に尾山神社で七草粥の儀式があるが、これは前田家当主の発案で
は6~7年前から始まったという。その時に大友楼の店主が料理の儀式
を司る。まな板をぽんぽんたたいて、その音で疫病をもたらす鳥を追い払って
一年の無病息災を祈るという。




















尾山町商店街を歩くと、文教会館がある。ここでは、教育文化についての
いろいろな催しがある。40数年前にはここにボーリング場の「スターレーン」
があり、学生のころよく来たものだ。
またその以前は市の公会堂であったが、ここでもよく催しがあり来たものである。




















テニス仲間の金物屋さんの前を通り、喫茶店「懐古洞」でコーヒーを飲み一服した。
そこでは、マスターと常連客2人が、食材や料理の話で盛り上がっていた。
私も仲間に入り、楽しいひと時を過ごした。
かつおぶし、加賀料理(じぶ煮など)や刺身を食べて、大変な思いをした(刺身に
虫がついていた)話など聞けた。




















尾山町商店街の一本入ったとおりは、昭和30年代には飲み屋がたくさんあり。
にぎやかだったが、今はまったく寂れた感じだった。
今日の散歩は2時間30分、6300歩でした。

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2013年1月19日土曜日

尾山神社

尾山神社は加賀藩祖の前田利家を祀ってあり、それ以前までは
他の地にあったが、明治の初めに、元加賀藩士らが金沢再生の
ためにこの地に創建した。

特にここの神門は神社には似つかわしくないような、北陸初の
ステンドグラスと避雷針を備えている。
異様な和洋折衷の建物で、望楼のランプの灯は日本海を行く船から
も見えるように作ったとか。




















元加賀藩士で後に金沢2代目市長になった長谷川準也がかねてより
腕を見込んでいた大工の津田吉之助に作らせたものである。
市民を盛り上げるために「あっと驚くものをつくってほしい」ということで、
吉之助は群馬県の富岡製糸場などを参考にしながら、設計、造営したという。

内部構造は一層目は概観が戸室石を使った石造構造であるが、内部の
骨組みは木造である。
厚いレンガ積みで、そのうえに漆喰を塗っているという。




















尾山神社庭園は江戸末期に作られたらしいが、池の中の島や橋は
笛、琵琶や琴などの楽器にかたどられているという。




















小学生のころによく写生に来たことや、近くに友達がいたので、境内で
よく遊んだことを覚えている。
また、百万石祭りの時には、境内に多くの屋台がでていたし、サーカスも
やっていた。そのテントの前には球状のオリのような中で、バイクを走らせる
芸をやっていたのを覚えている。
また、境内に動物園は来て、カバやトラなどをそこで見た記憶がある。
今ではちょっと考えられないことだ。

裏門にある東神門は、金沢城の二の丸御殿にあった唐門を移築したもので
門の上方に掘られた二つの龍が水を呼び大火のとき類焼を免れたという。

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2013年1月14日月曜日

加賀象嵌

加賀象嵌の特別展が開かれているということで、東山にある
安江金箔工芸館に行った。




















ここは、本来金沢の工芸のひとつである金箔についての展示が常設されていて、
以前見にきたことがある。
今回は加賀象嵌の知識を深めようと思い、この日説明会があるということで来た。

象嵌の手法自体は5000年くらい前からあるらしく、先日見てきたツタンカーメン展でも
宝石を象嵌細工で埋め込んだ胸飾りなどもあったし、日本には、中国から伝来した
らしい。

加賀には前田利家の時代に京都の彫金師の後藤琢乗を招いて伝えられたという。
その後、加賀には馬具のひとつで、乗る人が足で踏みつける鐙を象嵌で作る鐙師と、
刀剣の装飾具を象嵌で作る白銀師がいた。
それらは金沢城の中の御細工所でもやっていた。
















「ふるさと美術館」より



加賀象嵌は金属を下地に用い、埋め込んだ金属が抜けないように、掘った部分が
表面より底の方が広いあり溝を掘るのが特徴という。















「金沢検定 参考書」より




明治になって武士がいなくなり、それらの物がいらなくなり、水野源六や山川孝次など
が欧米輸出用の装飾具を製作した。
その後、米沢弘安や高橋介州らに伝統を引き継がれた。
米沢弘安はかなり苦労をしながら、根からの職人技で製作してきたが、その記録が
図書館に日記として何冊も置いてある。















「ふるさと美術館」より




高橋介州は全体的なデザインに主流をおき、その介州の弟子に中川衛がおり、
モダンな感覚を取り込んだと言う。















「ふるさと美術館」より




中川衛の作品は1~2ヶ月前に日本伝統工芸展に展示されているものを
見たことがあるが、非常に高級感ある置物であった。

近年、金沢美大、卯辰山工芸工房や石川県職人大学などで、若い人が花器
やアクセサリーなどを作っているという。いつまでも伝統を引き続いていって
もらいたいものである。

説明会の帰りに出口付近で、象嵌のDVDを見たが、あのような美しい工芸品が
できるまでには、非常に細かい作業があり、大変苦労があったことを知った。

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2013年1月9日水曜日

尾山神社(初詣)

元旦の日、家族でおせち料理を食べた後、毎年恒例となっている
尾山神社に初詣に出かけた。
尾山神社は石川県の中では、鶴来の白山ひめ神社、能登の気多大社
と並んで初詣の人の多いところだ。




















少し雪が降っていて寒かったが、いつもより遅くなり午後2時ごろになったので、
人が既に大勢並んでいた。しかし、行列の流れが早かったので、そんなに
待たなくお参りすることができた。
この年になると念頭に祈ることも「今年も健康でいられますように」が一番
となってきた。




















お参りをした後、いつものように「おみくじ」をひいた。
「中吉」であったので、まずまずであろう。健康、商売、相場などは、いつもと
違うやり方をするとよいとあった。なるほどと思った。
今年はこれでいこう。どうやるかはこれからゆっくり考えてみよう。




















尾山神社のいわれや神門など境内にあるものについて書きたいことは、
多くあるので後日に巡ってみたいと思っているので、その時にしたい。




















お参りが終わった後、いつものように尾山神社の向かいにある金沢グランドホテル
でコーヒーを飲んだ。外が寒かったので、ほっと一息だ。
そういえばホテルの中に結婚衣装が飾ってあったので思い出したが、
もう40年近く前にここでわれわれが結婚式を挙げた場所だった。

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2013年1月5日土曜日

金沢城の雪景色

前回に続きで、兼六園を散歩した後、金沢城のほうへ行った。
雪の金沢城もなんともきれいだ。




















石川橋から見る百間掘は今は道路となっているが、明治時代までは掘に
水が満々とあった。
百間掘側の石垣は雄大であるが、今は修理中でテントが張ってあって見えなかった。
新幹線が通るころには完成しているという。




















石川門は江戸時代から残る唯一の門で、城の東側に位置した搦め手門(裏門)
である。ここの門は防衛上最も効果的といわれる枡形門である。








































三の丸から見る五十間長屋、菱櫓








































橋爪門続櫓と橋爪門のところは、以前、映画の「武士の家計簿」でこの門に
主人公が入っていくところをよく映っていた。
橋爪門の裏側は新幹線が通るまでに完全な枡形門にするということで、今、建設中である。




















ここをバックにカメラを撮ってほしいとカップルから依頼され、快く引き受けた。
聞いてみると「仙台と新潟から来た」という。遠距離交際中なのであろうか。
「金沢はいいところですね」と言われた。この寒さでも二人には関係ないだろう
と余計なことを思った。




















極楽橋と三十間長屋が見えるが、極楽橋は金沢城ができる前の金沢御堂(みどう)
の時代にできたということであるが、ここから眺める夕日はたいへんきれいで、
極楽浄土ができるという。








































今は森になっている高台の本丸園地に、前田利家のころに天守閣があったが、
1602年の落雷で焼失して以来天守閣はない。
どんな天守閣だったのか、一切資料が残っていないから再現もできない。
ちょっとさびしい感じがする。




















いずれにしても、兼六園、金沢城の雪景色はいつもとまったく違った趣が
あって、見る価値があると思う。ブログを見ている皆さんも一度は訪れては。
この時期はカニも寒ぶりもおいしいよ!!

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2013年1月1日火曜日

兼六園の雪景色

新雪が10cmくらい積もったので、雪の兼六園を一度見たいと思って
出かけた。
何年も金沢にいるが、まだ雪の兼六園を見たことがなかった。

広阪から真弓坂を上がり、蓮池庭に行った。




















この辺は、兼六園の中でも一番先にできたところだ。
5代藩主綱紀の時代にでき、郷土の文人、室生犀星が兼六園で
最も愛した場所で、私も好きな場所である。




















雪をかぶった海石塔




















ここある夕顔亭は藩政期から残る唯一の建物である




















また、日本最古といわれる噴水は、霞が池との落差で上がる逆サイフォン
の原理を使っているが、この日はなぜか1~1.5m位しか上がっていなかった。
(通常は3.5m)




















兼六園のシンボルであることじ灯籠付近は、この寒さにもかかわらず
大勢の人がいた。日本人のような感じであるが、言葉は違っていた。
雪の降らない国の台湾人なのか、この雪に非常に感激しているようであった。
それ以外の人はほとんどカップルであった。雪の兼六園はロマンチックな
雰囲気があるので来たのだろう。








































兼六園から見た卯辰山




















春には300枚の花弁をつける菊桜も枝に雪がくっついて花が咲いて
いるようだ。




















雁が飛んでいるようにイメージされた雁行橋も寒そうだ。




















13代藩主斉泰が琵琶湖の松の名所「唐松」から種子を取り寄せて育てた
といわれ唐崎松の「雪吊」は冬の兼六園の最高の見所だ。
観光客が「雪吊」をバックにパチパチと撮っていた。








































霞は池に浮かぶ蓬莱島と内橋亭のコントラストも他の季節では
味わえない景色である。




















この季節の兼六園は、いつもと違った幻想的な雰囲気を見せるので
皆さんも一度は来てみてください。

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