2012年10月29日月曜日

犀川大橋、桜橋界隈(3)

桜橋から大橋方面に向かって川の上流から見た右側方面を歩いた。
この道は「犀星のみち」という名前がつけられている。




















この道の途中に犀星の立派な詩碑があった。
「あんずよ 花着け・・・・」(「抒情小曲集」のその六より)の詩が刻まれていた。








































犀星の詩碑の裏には高浜虚子などの句碑もあった。








































157号線近くまで来て、道を一本はいると、飲み屋や店が多くなってきた。
おでん居酒屋「三幸」は、おでんだけでなく。刺身、串焼きもあり、おばんざい
もある。非常に気軽な、庶民的な店である。
金劇のうらの姉妹店には何度か行ったことがあるが、、平日の6時から
もう行列できるほど人気がある。。
会社の定時ダッシュで駆け込んでくるサラリーマンが多いのであろう。




















いわし料理の「鰯組」は10年位前に2,3度入ったことがある。
いわしのさまざまな料理が食べられる特徴のある店だ。
いわしのつみれ、ぬたはもちろん新鮮な刺身が非常においしかった
ことを覚えている。




















今回の散歩は見るところがたくさんあり、時間がかかった。
犀川沿いの喫茶店「犀芳」に入ってコーヒを飲みながらこの辺の
様子を聞いた。

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2012年10月23日火曜日

犀川大橋、桜橋界隈(2)

前回の続きで、犀川大橋方面から桜橋のほうに歩いた。
「石田屋」ふとん店の店があったので入った。
店内をじっくり見ていると、店員の方が親切に説明してくれた。
一階には「キャベ」というイランの山岳地帯に生活する遊牧民が
長い月日をかけて織り上げるものだというものがあった。
「キャベ」の座布団やじゅうたんなどがたくさん並べてあったが、
どれもきれいな刺繍で模様が施されていた。羊の毛を木や草で
染めた糸で編んでいるという。
二階は、10年ほど前にベッドや布団を見に来たことがあるので
今回は見なかった。








































少し歩くと、レンガ造りのしゃれた建物が見えた。
ここは「金沢モリス教会」というが、礼拝などをやる本来の教会ではなく
結婚式場と美術館となっている。
美術館としてはキリストや聖母マリアなどの宗教画やさまざまな欧州ステンドグラス
を展示しているという。
19世紀にイギリスでデザインや詩などの活動をしたウィリアム・モーリスデザインの
ステンドグラスで当時の雰囲気が感じられるという。
建物の中央は結婚式場となっていて、ステンドグラスから差し込む光、パイプオルガン
が奏でる荘厳な讃美歌の中で二人の門出を祝うという。




















次に「杉の井」という高級料亭があった。金沢には高級料亭がかなりある。
こういう所は、法事、慶事あるいは遠来の大事なお客さんとしか来ないから
めったに利用はしない。




















ようやく犀川大橋のひとつ上流に架かる桜橋に来た。
ここは室生犀星の小説の「つくしこひしの歌」の舞台ともなった。
犀星と妻とみ子の思い出の場所でもある。
橋の上から遠く戸室山、医王山がよく見え、見晴らしのよいところだ。
橋の欄干には桜の模様がつけてあった。









































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2012年10月19日金曜日

犀川大橋、桜橋界隈(1)

今回は、犀川大橋とひとつ上流の桜橋間の川の両側を歩いた。
現在の犀川大橋は1924年に架け替えられ、鋼製曲弦ワーレントラス
式である。その前までは、洪水で何度も流失した。
江戸時代には犀川のここだけに橋が架けられていた。
福島秀川が描いた「金沢城下図屏風」では、江戸時代の橋付近の
生活の様子がよく分かる。








































大橋のすぐ入口に「寺喜屋」という料理屋がある。
ここは魚屋が経営している店で、リーズナブルで気軽に入れる店である。
右側の古い建物は、中が昭和30年代のレトロな飲み屋の雰囲気が
味わえる。
左側の建物は、少し新しくて大きな建物で予約が必要であるという。
20数年前に、私が東京から金沢に来たときに、会社で歓迎会を
やってもらった場所なのでなじみが深い。その後に2,3度飲みに
来たことがある。




















ここのすぐ前の坂が「蛤坂(はまぐりざか)」といい、1733年に雨宝院の火災で
道が拡張されたことが、火によって開くハマグリにたとえられたことによる。
私が高校時代にここを毎日自転車で通ったのでよく覚えている。
通学路で坂といえるのはここだけで、尻をサドルから離して勢いよくこいで
上がったことを記憶している。








































蛤坂を上がったところにレトロな3階建ての建物がある。
犀川側の下から見ると4階建てであるという変わった建物で
「山錦楼」という。
この建物は、名前だけが書いてあったが、なにをやっているのか
分からなかったので、中に入って主人に聞いたら、明治からの老舗で、
加賀料理を出す料亭であるという。予約だけでやっているということなので
なじみのお客さんが多いのだろうか?








































また、近くに松尾芭蕉の句碑があった。
「あかあかと 日は難面(つれなく)も あきの風」とある。
この碑は郷土の小松砂丘が書いたものである。
小松砂丘は金沢のあちこちに絵や書を描いている。

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2012年10月14日日曜日

しいのき迎賓館 工房楽市

今回は、広阪にある旧石川県庁のしいのき迎賓館に行った。
この建物は1922年 矢橋賢吉(国会議事堂建設の責任者)の設計
で作られ、2003年に駅西方面に移るまで石川県庁であった。
この建物を残すかどうかで、知事と元首相の間で意見が分かれたが、
結局残すことになったといういきさつがある。
建物の前にあるしいのきは樹齢300年で立派な威容を誇っている。




















今回ここで「おしゃれメッセ2012」が催され、地元の工芸品の
金沢漆器、金沢九谷、金沢箔、加賀友禅、加賀縫などが陳列され
売られていた。
高級品から、手の届く値段のものまであり、ほしいものがたくさんあったが、
何とかふんばり、買うのを我慢した。








































アンパンマンを描いたさらの焼く前のものがおいてあったので、うちの孫の名前を
私が書いて焼いてもらうことにした。
アンパンマンが好きな孫に見せたらさぞ喜ぶだろうと思ってこれだけ買った。
1ヶ月先に家に届くのことであった。




















金沢クラフト大使の女優 檀ふみさんと文化勲章保持者の大樋長左衛門の次男
の奈良さんのトークショウを聞いた。
檀ふみさんといえば、美人で聡明な人で、私の好きな女優の一人である。
(最近はあまり出ていないが)
今でも、相変わらずきれいで、着物がよく似合っていた。
カメラ撮影が禁止だったので、撮ることができなかったのは残念だった。
私がまだ東京にいたとき、30年前であろうか、中央線で帰りの通勤電車の向かいの席に
座っているのを見かけたことを思い出した。




















「おもてなし茶会」というのをやっていたので、入ることにした。
抹茶とお菓子が振舞われ、お茶会とはどういうものかを味わう
ことができた。








































宮崎寒雉作の「だんだん釜」があった。




















金沢は全国的に見ても京都と一、二位を争う工芸(クラフト)の盛んな所である。
町の中でこのような催しがよくやられている。よい町だなあとつくづく思う。
どちらかといえば、私は音楽系が好きであるが、美術系もこれからどんどん
好きになりたいと思っている。


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2012年10月9日火曜日

兼六園 金城霊沢

前回の続きで、金沢神社の隣には金城池がある。
ここは成巽閣からの水が流入していて、6、7月ごろスイレンが咲き誇るという。




















また、その横には大屋よしあつの顕彰碑が建っていた。
大屋よしあつは洋学者で、壮猶館翻訳方となった。
郷土の文明開化期の啓蒙家でもある。




















次にその隣にある「金城霊沢」を見た。
ここは「金沢」の名前の発祥の地であり、芋ほり藤五郎という男が金の付いた
山芋をここで洗ったという伝説からこの名前が付いた。
芋ほり藤五郎に関連した場所が他に何箇所かあるから、その場所も訪ねたいと
思っている。




















ここの泉は真夏の炎天下でも涸れず、長雨にもあふれることはなく、いつも清水を
たたえているという。この泉をじっと見ていると神聖な気分になってしまうので
不思議だ。




















天井には龍の絵があり、郷土出身の画家の広田百豊という人は描いた。
もとは狩野探幽が描いた絵が掛けられていたというが、傷みが激しく
取り替えられたという。




















また「金城霊澤」の額ががかっているが、これは市河米庵の筆で、
武田有月が彫ったものであるという。




















金城霊沢の背後には鳳凰山がある。
これは竹沢御殿を作っている時、築山をつくり、多くの奇石を集めて
鳳凰の形に作ったことからこの名が付いたという。
鳳凰山の洞窟に金城霊沢碑がある。これは13代藩主の斉泰により
建立された。
これに書いてあることを解説した本読むとなかなか面白いということである。

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2012年10月4日木曜日

兼六園 金沢神社

金沢神社は小立野方面の入り口から入るとすぐ近くにある。

この神社は、1794年に11代藩主治脩が現在の梅林の地に藩校
の明倫堂を建てたが、その鎮守として創建したものだそうだ。

ご祭神は藩主の遠祖として伝えられている菅原道真は学問の神様と知られ、
白蛇竜神は災難よけの神である。その他に12代斉広、13代斉泰が祭られている。








































神社の入口付近に「いぼとり石」というスベスベした石があり、この石で
いぼをこすると必ず落ちると信じられている。
私も小さい頃にここに来たときに、いぼをとろうと一生懸命にこすったが、
ただ痛かっただけであきらめた記憶がある。




















学問の神様だけあって、受験の合格を願う絵馬がたくさんかかっていた。
そういえば正月に来たときに学生と思われる人やその親ですごい行列に
なっていたので、入るのをあきらめたことがあった。




















拝殿の中を見ると前田家ゆかりの神社とすぐわかる梅鉢紋がたくさんあった。




















境内には郷土出身の彫刻家の都賀田勇馬作の牛の石像があった。
都賀田勇馬は台湾に八田よいちの銅像、金石に銭谷五兵衛の銅像
も作っている。




















境内の横には北条時敬の記念碑もあった。
北条時敬は四高、山口高校などの校長をし、四高時代に「禁酒令」をだし、
四高の質実剛健の基礎を作った。
哲学者の西田幾多郎は北条時敬に数学を学んでおり、いろいろな面で
慕っていたという。というのも時敬が東京に転勤になると、その後を追うように
四高をやめて東京の学校に行ったという。

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