2017年2月27日月曜日

彦三町界隈 金沢町屋巡り(3)采喰 安心院 近江町市場 金沢城

彦三町界隈 金沢町屋巡り(2)の続きで、その後、横安江町通り(金澤表参道)に入り、東別院の向かいにある「采喰 安心院」(さいじき あじむ)というところに入った。ここは、土蔵造りの建物の中にある食事処で、白漆喰で塗られ、隣の黒漆喰の土蔵と並んで建っているので非常に目立つ建物である。



















ここのマスターよりあいさつがあり、店の紹介があった。東別院前の、この土蔵にほれ込み1、2年前(?)に開店した店で、「加賀料理」と「京料理」を融合させた和食の店でる。




「彦三町町屋巡りツアー」の最後にここで昼食となった。お店の御厚意により普段のランチメニューより豪華にして頂いたという。下図写真は前菜で、その後、刺身や治部煮風の煮物など、いろいろとおいしく食べさせてくれた。



















今日は、土曜日の午前中であるが、横安江町通り(金澤表参道)には、あまり人影が少なかった。



















「山田仏具店」はもっとレトロな看板だったと思うが、少し改修したようできれいになっていた。



















続いて「近江町市場」を歩いた。ここは相変わらず人通りが多かった。
今が旬の「牡蠣」は大きなものが山済みされており、観光客目当てか「この場で食べられる」というふうに表示されていた。



















相変わらず冬のおいしそうな魚が並んでいた。近くのマーケットで買うより安く、新鮮だろう。買っていこうと思い、家のものにTELしたが連絡が付かず、やめた。



















名物「近江町コロッケ」は「ダイヤモンドマーケット」の裏で以前は売っていたのが、「いちば館」の裏に場所を変えていた。相変わらず人気があり7、多くの行列ができるほど売れている様子だ。



















新鮮な海鮮を食べながら、昼から「ちょっと一杯」の店には「ビールジョッキー」を前にして飲む若い女性客でいっぱいだ。



















その後、金沢城の方へ行き、雪景色の「大手門」を見た。



















金沢城新丸から見た「河北門」



















金沢城新丸から見た「菱櫓」とその前の石垣。雪景色はやはり金沢の冬に合っている。



2017年2月23日木曜日

彦三町界隈 金沢町屋巡り(2)

彦三町界隈 金沢町屋巡り(1)の続いて、2015年に町家を改装した、サロン、カフェ、バー、懐石料理、ギャラリーなどが楽しめるという「紋」に行った。
ここの建物は、「彦三大火」にぎりぎりで遭わなく、明治期の建物で300坪の敷地をリノベーションしたという。



















大きな座敷は鮮やかな「紅殻色」の壁の座敷は、大きな宴会のできる広さである。



















庭には灯篭や五重の石塔があり、雪吊された木々など情緒があった。



















広い「群青の間」には、今日は団体予約が入っているのかテーブルの上には、懐石料理を載せるお盆が並べられていた。床の間にきれいな花が、また障子下の台の上に九谷焼の皿が並べられていて豪華な部屋である。



















また、縁側には炬燵が並べられていて、温まりながらのんびり庭を眺めらるようになっている。



















「天守の部屋」と呼ばれるところからは、遠くに卯辰山、眼下に浅野川が見え、すばらしい眺めである。ここで、コーヒーを飲みながらゆっくりするのも気分の良いものだろう。



















「紋」を出て、また、藩政期からある小路を通るが、静かな佇まいである。



















横安江町近くには、下図のような「呉服屋」の問屋が多かったという町家がある。1階の上の屋根は2重になっていて、その間はガラス張りとなっている。



















続いて、「金澤町家研究会」が寄付を受けた町家を、市の助成を利用して改修したという建物に入った。現在は町家研究会の事務所として利用されている。





二つの部屋の間には格子状の欄間、障子戸の上に明り取りのための障子を入れた欄間、床の間の横にも障子窓がある。



















ここにも「群青の間」があり、床の間に掛け軸があり、横の障子の格子は洒落た模様である。

2017年2月19日日曜日

彦三町界隈 金沢町屋巡り(1)

今回は、フードピア金沢 2017として「金沢町屋周遊ツアー」の「彦三町界隈ツアー」に参加した。(2月11日)「彦三緑地」に集合で、約十数人が参加した。この日は数cmの雪が積もった後で、かなり寒い日となった。予定通り10時30分に出発した。



















この町は、加賀藩の重臣「不破彦三」とその家臣が住んでいたのでその名が付いたという。2,3年前までは、土地の公示価格で金沢市の住宅地のトップだったかと思う。新幹線が金沢まで開通したことにより、駅前の本町の方にトップは譲ったはずだ。武蔵や近江町市場に近く、買い物が便利だし、閑静で住みやすい場所なのだろう。



この辺りは、昭和2年の「彦三大火」があった所で、ほとんどがその後に建てかえられた町屋(昭和25年以前に立った家)として風格のある家が多い所である。
この家も武家系の近代和風住宅の立派な家である。



















この中に、今春オープンするという彦三町の小路にある1棟貸しの町家宿が2軒並んで建っている。右を「金の間」、左を「銀の間」の家と呼んでいる。



















小さな庭とベランダが付いている。庭でのバーベキューなどできるようになっている。



















食事は付かないが、コンロなど台所が完備されているので、自分たちで作るのもよし、近くへ食べに行くのでもよい。近江町市場や食べ処が近いので何ら問題はない。
値段は4~5名で泊まって7,8000円/人くらいだと言っていた。多くの人数で泊まればそれだけ安くなる。



















「金色の壁」に金魚が描かれた部屋や「紅殻色」の壁の部屋などがあり、これから外国観光客が多くなるということで、こういうきらびやかな純和風の所で泊まりたいだろう。「暮らすように泊まる」というのがキャッチフレーズだ。

































隣の「銀の間」の近代和風住宅の玄関



















こちらには「銀色の壁」に金魚が描かれた部屋や「群青色」の壁の部屋がある。これから外国観光客がどれだけ利用するのか興味がある。

































こちらは、近代和風住宅に洋風の建物がくっついている。こういう建物も昔よく見かけ、医院などが多かったが、ここは何だったのだろうか?

2017年2月15日水曜日

さまざまな金沢伝統工芸品 石川県伝統産業工芸館(2)

石川県伝統産業工芸館(1)の続きで、「金沢和傘」に続いて、その他の伝統工芸品を少し見てきたので紹介する。
まず「大樋焼」が展示されていたが、「九谷焼」とともに、石川県の代表的な「伝統焼物」で、加賀藩が「茶の湯」が盛んなことから発展してきた。「九谷焼」はきらびやかな極彩色のものが多いが、飴色の地味な侘び寂の感ずる器である。
抹茶を飲むには、やはり「大樋焼」の方が合う。



















「茶の湯釜」は、やはり加賀藩が茶道の盛んなところであったので、発展してきたものである。原料に和鉄(昔の鍋や窯のつぶしたもの)を使っているという。



















「桐工芸」は、形を成型し表面を焼き、桐の木目独特の暖かさを出した後、加賀蒔絵の装飾を施したもので、金沢では明治時代からの桐火鉢が有名である。その他花器、灰皿、菓子置きなどもある。



















石川の太鼓は音がよいことで知られている。原木のケヤキやセンなどの乾燥から始める一貫作業によって作られる。直径が60cm以上と大きいので、樹齢100年以上の木を使い、乾燥が半年から1年位させるという。大きいものは5年も乾燥させる。皮の材質は牛の皮で鋲やその他の金具で張られる。特に皮は江戸時代の初期から伝わる技法と手取川の清流によって鍛えられ、優れた耐久性と独特な音色が生み出される。



















太鼓の内部は細かい掘りが施されているが、この彫が音色の決め手になるという。ひとつは、網状鱗彫りで低音が響き、祭りに使う太鼓として使われる。もう一つは、槍形綾目彫りで、太鼓の音のつぶがはっきり聞こえ舞台用であるという。



















「三弦」は通称「三味線」と呼ばれ、邦楽や民謡に欠かせない民族楽器として、芸能遊芸の盛んな金沢で受け継がれているもので、「ひがし」、「にし」の花街界を中心に発展してきた。規格品にあきたらない高級品を求める声も多くなり、あくまで音色を重視するようになってきた。義太夫、常磐津、清元、長唄など、需要にこたえる高度な技術保持者は少なくなっている。材料は固い木がとく、棹の高級品はインド産の紅木、次に紫檀、果林で、胴はすべて果林で、皮は猫または犬の皮を用いる。
























江戸時代には武家の女性の教養のたしなみとして金沢に根付いていた。金沢の琴の特徴は、蒔絵や螺鈿をふんだんに使った雅なものが多く、楽器としてだけでなく装飾品といった趣もある。



















「加賀八幡起き上がり」は「米喰いねずみ」などとともに郷土色豊かな人形で、金沢城下町の暮らしが人形によって伝えられている。天皇の御幼体を赤い綿布でくるんだ姿から発想された加賀起き上がりは、張り子で作られていて、七転び八起の縁起の良い置物として現在でも愛玩されている。



















水引は、金封や贈答品に掛け結ばれる、日本特有の結び紐であるが、金沢の水引細工の特徴は。折らずにふっくらとした姿の美しさにあるという。色とりどりの糸で、自在の造形素材としての性格も併せて持っているという。、結納など祭礼行事には欠かせない伝統今でも生活の場の中に息づいている。
下図は、大河ドラマ「利家とまつ」の最初の両面を飾る水引の「飛蝶」である。



















加賀藩初代の前田利家が被っていたとされる水引で作った「鯰兜」である。「出世兜」として飾り物として置かれている。
























結納品としてに飾られる酒桶につけられた水引で、きらびやかさをだしている。


2017年2月10日金曜日

金沢和傘展 石川県伝統産業工芸館(1)

今回は、兼六園の小立野口にある「石川県伝統産業工芸館」で、特別展として「金沢和傘展」をやっているということで見に行った。(1月31日)



















館内に入るとすぐに、花開いたように色とりどりのの華やかな和傘がずらりと並べられていた。



















全国でも数えるほどしかなく、金沢でただ一つ残る「松田和傘店」の展示企画展だ。
3年ほど前に「松田和傘店」を訪れた時の様子をこのブログでも紹介している。
http://kanazawa-burari.blogspot.jp/2014/02/blog-post_4.html
ただ一人頑張ってきた松田弘(92)さんに、ようやく昨年から次男の重樹さん(57)が継ぐことになり、一安心というところだろう。



















一本一本手作りで作っているので、できあがるのに時間もかかり高価なので、最近では、ミニチュアの和傘も作り始めて、観光客も多くなっているので、お手頃価格で記念やお土産として買っていく人も多いようだ。




















ここの傘の特徴は、金沢が雨や雪が多い地域なので、それに耐えらるるように丈夫に作ってあるところだ。特に中心部には和紙を四重にに張ってあり、竹も周囲のものより太く細かく取り付けられている。色とりどりの木綿糸の装飾「千鳥がけ」が見た目も華やかである。

































30もの工程があり、それらすべてを松田さんが一人で手作業でやっており、いかに大変だったかが想像される。1本作るのに1~2か月かかるが、手間のかかるものは1年もかかるという。
























まだ途中段階のロクロに円周上状に骨組みとなる竹をはめこみ、木綿糸で繋いでいく。



















松田さんが使っていたという工具類が展示されていた。こういうものも長い年月で試行錯誤して使いやすいように変わってきているのだろう。



















傘の根元のセンターとなるロクロと竹に張る糸



















色とりどりの五箇山の楮和紙



















周りを暗くして中からライトアップされた和傘も幻想的できれいだ。



















ひときわ鮮やかな橙色と黄色の地に龍の絵が描かれている。