2014年1月27日月曜日

片町商店街(2) 犀川大橋から片町交差点

前回に続いて、犀川大橋から片町交差点に向かって右側を歩くと、「片町KDビル」、「片町コアビル」や「オーロラビル」などのビルが並んでおり、向かい側に「片町エイトビル」、「片町一番館」、中央通側に「エルビル」がある。各階に5~10軒位のスナックバーや飲食店がひしめき合っていて、北陸隋一の歓楽街といわれるところだ。




















私の会社に行っているときは二次会などでよく利用したが、最近は飲み会に行っても一次会で帰ることが多く、こういう店へ行くことは少なくなってきた。年だからしょうがないね。




















「オーロラビル」の2、3軒となりには老舗のおでん屋「赤玉」がある。東京にいたころ、帰省した際、昔の店に何度か入ったことがあるが、赤いのれんで間口が狭く、奥の深い店だったという印象がある。今はビルになって2階では宴会ができ、会社に行っているときに飲み会で入ったことがある。




















今日は、平日の午後3時ごろに店を覗いてみると、既におでんが食べられ、飲むことができるようだった。この時間帯では珍しい。




















その隣の「きものサロン金澤紅屋」に入った。ここは3年位前にできた新しい店で、加賀友禅などの振袖を販売、レンタルしているところだ。店の若い女性の店員に「お孫さんにですか」と言われてしまった。




















振袖の販売は10万円~、レンタルは6.8万円~と販売でもレンタルでも値段に大きな差がないようだった。そんなに着る機会(成人式や結婚式など)があまりないからそうなんだろう。ヘアメイクから写真撮影まで行うトータルな店だ




















「エルビル」の1階には「パチンコ屋」があるので、ちょっと覗いて見たら多くの人がパチンコをやっていた。商店街に人はあまりいなかったが、ここだけは活況であった。平日の午後だからシニアの人が多いが、なかには若者も何人かいた。玉の入った箱を積み上げてやっている人も多くいた。
私は学生時代から20代前半の社会人のとき少しやったが、ほとんど儲かったためしがないので、その後まったくやっていない。今はパチンコのマシンもすっかり変わってしまった。
パチンコ屋のタバコのもうもうとしたにおいやあの騒音はきらいである。




















「エルビル」の横の小路の向かいには今はコンビニになっているが、私が学生のころに何度か入った純喫茶「ぼたん」があった。何年か前に長い間やっていたおばさんが高齢になったので店を閉めたらしい。
ここは幕末の映画になった「武士の家計簿」に出てきた「そろばん侍の猪山家」の家があったことを聞いたことがある。ここから、今は尾崎神社になっている「御算用場」まで通っていたことになる。

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2014年1月22日水曜日

片町商店街(1) 犀川大橋から片町交差点

今回は、江戸時代から商屋が並んでいたという片町商店街に行った。犀川大橋方面から片町交差点方面に向かって右側を歩いた。
まず「世界のたばこハヤシ」の店に入った。創業が1930(昭和5)年というからかなり古い。店内には世界のタバコやパイプなどがぎっしり並べられていた。
私は昔からタバコを吸わないのでよく分からないが、葉巻タバコ、紙巻タバコ、パイプ刻みや手巻きタバコなど約700銘柄のものがここにあるという。パイプは見た目に高級そうな木で作られたものがあった。
最近は、健康などの問題で、タバコを吸う人が減っていると聞くが、ここはタバコのマニアが来るので、そんなに落ち込んではいないと主人は言っていた。普通のタバコと違って、よい香りを漂わせて吸っている人がいたが、そういうマニアがこの店を訪れるのであろう。




















次に「ミシンのナカガワ片町店」に入った。小さいころによく見た足で踏んで動かすミシンと違って、卓上型の随分スマートなミシンが並んでいた。最近のものはコンピュータが入っており、ボタン一つでいろいろな模様で縫ってくれる。
昔からミシンでなじみのあるブラザーや蛇の目といったメーカーのものも並んでいた。店内にはミシンで作ったカバンや衣類なども飾ってあり、定期的に講習会もやっているという。




















続いて「石田漆器店」に入った。輪島塗、山中塗、加賀蒔絵などの店で何と1969(明治2)創業の老舗である。お茶碗、お箸、花瓶や正月用のお重、お椀、屠蘇器など多くのものが並んでおり、きらびやかなものが多かった。























また珍しいものでは、ボールペンに蒔絵が施されていた。




















続いて、昔、金沢劇場の映画館があった所には「金劇パシオン」ビルがあり、飲食店やスナックなどが入っている。このビルの前には片町のバス停があり、私が片町に飲みに来たときには、ここからバスに乗ることが多い。




















次に「堀田眼鏡店」に入った。ここは眼鏡屋を始めてから90年になるという。
生活する上で目は非常に大切なので、自分に合った眼鏡を選ぶということは重要な問題である。ここには2階に眼科があり医療的な観点からも含めて眼鏡を選んでくれる。




















店内にはいろいろの用途に応じた多くの眼鏡が並んでいた。そして人のよさそうな母親と息子と思しき人が対応してくれた。私はテニスのプレイで、冬場に太陽が低い位置にあり、まぶしいので前からほしいと思っていた眼鏡のフレームにワンタッチでつけるサングラスを買った。




















そういえば学生のころ、近眼になったので片町にあった「光学堂」で初めて眼鏡を作ったが、「光学堂」はすでに閉店してしまったとか。

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2014年1月17日金曜日

斎地神社 左義長

お正月に飾ったしめ飾りなどを焼く左義長があるということで、窪3丁目にある「斎地神社」に行った。
毎年、左義長には雪が積もっているときは尾山神社に、雪がない時は「斎地神社」に行っている。というのも「斎地神社」は近いが、急坂を上らなければならないので、一旦車が止まった後、発進するときよくスリップする危険な道路である。
この日はうっすらと雪が降ったが、道路には積もっていなかったので「斎地神社」にした。




















9時から始まるということで、10分前に着いたが、もう駐車場は満杯で、その先の道路に止めてある車が何台かあったので、その前に車を止めた。
既にかなりの焼く物が積まれていて燃え盛っていた。お正月に飾ったものや書初めなどもあった。私が小学生のころに自分の書初めを燃やし、高く舞い上がると書道が上達するということで、一生懸命に棒で上げようとしていたことや、また、その火で焼いた芋を食べて大変おいしかったことを思い出した。




















「斎地神社」は通常宮司がいなく、寺町にある八坂神社(以前このブログで紹介した)の宮司が兼ねている。お祭りやお正月などイベントがあるときに関係者が来るようである。鳥居から拝殿までにはかなりの階段を上らなければならない




















「斎地神社」は古来、窪村の産士神として崇拝を受けていたが、後に地頭伏見家や因幡家一族の尊信厚く、社殿の造営も行われたという。
拝殿の前には、普通は1本しかない上部に鈴のついた紐がここには2本あった。この紐を引っ張り鈴を鳴らし、左義長は無病息災を祈るということで丁寧にお参りした。




















拝殿の中は以前イベントがあったときに入ったことがあるが、明治時代くらいの立派な絵馬が何枚か飾ってあった。、その中に日露戦争の絵があり、この戦争で仁川沖の海戦で活躍した郷土の海軍大将の「瓜生(うりゅう)外吉」の名前が確かではないがあったと覚えている。




















境内には奉納された馬の像もあった。























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2014年1月12日日曜日

兼六園 蓮地庭(2)

蓮地庭(1)の続きで、蓮地庭の瓢池には石橋と木橋が架かっている。夕顔亭露地から瓢池の中島に架かっている石橋は「日暮し橋」で、この橋の付近に立って辺りを眺めているといくら見ていても見飽きないので、いつの間にか日が暮れていたということで名が付いたという。戸室石の板橋で作られたもので、表面の幾何学模様も面白い。




















もうひとつの木橋は「汐見橋」というが、昔はこの橋から日本海を眺めることができたから名前が付いたという。




















この橋と池の間にはいつくばっている木があった。




















また、中島にきれいな赤い実をつけた木があったが、なんという木かわからなかった。




















この中島に高さが4.1mの6重の塔で、兼六園の中でもひときわ目立つ「海石塔」がある。
笠石が海中から採掘した虫食いの石であることからこの名が付いたという。3代藩主の利常が作らせて金沢城の玉泉院丸の庭園にあった13層の石塔の一部をここに移したのではないかという説と加藤清正が朝鮮の役の際に持ち帰ったのを秀吉が前田利家に贈ったものという説がある。塔の笠は普通奇数でできているが、ここは珍しく六つである。




















夕顔亭の裏に「三芳庵」という兼六園の中でもひときわ目立つ茶店がある。そういえば今はないが昔ここの別荘があり、ここに室尾犀星が友人の芥川龍之介を招き、4泊5日滞在したという。たしか犀星の日記や手紙に記されていて、龍之介が「にし」の芸妓「しゃっぽ」に心を寄せたという話を聞いたことがある。




















瓢池の左端に池に浮かぶ「三芳庵水亭」があり、やはり茶店となっている。ここからは翠滝が非常に近く食事しながら一服するのも格別であろう。




















瓢池の右端(長谷坂の横)にも滝があったが、これは時雨(しぐれ)亭周辺を流れている小川の水がここに落ちてくるのであろうか?





















「三芳庵水亭」の裏には「白龍たん」という霞が池から別の流れで急流になって瓢池に注いでいる。この辺りはうっそうとした木々が茂り、小鳥のさえずりなどさながら深山の趣があり、一番六勝の幽邃(ゆうすい)、蒼古(そうこ)の境となっているところである。

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2014年1月6日月曜日

金沢のおせち料理

お正月なので「金沢のおせち料理」について、我が家のものを例として紹介します。

金沢のおせち料理は、前田家を頂点とした武家料理の流れをくむものと、最初から庶民の生活の中で生まれたものとがあるらしい。
正月には息子家族が家に来るために、毎年、家内が我が家でおせち料理を作っている。

まずお仏壇の前に座って、一人ひとりのお参りから始まる。小さな神棚も置いてあるので神様にもお参りする。その後、テーブルに座って「お屠蘇」を頂く。「お屠蘇」とは1年の邪気を払い長寿を願って呑む縁起物の酒である。うちの息子の中には酒は嫌いだが、お屠蘇はちょっと甘いので好んで呑むものもいる。




















お雑煮は金沢でも家々によって違う。おもちは金沢では角もちが主流だが、他の地域は丸もちが多い。昆布のだしで醤油で味付けしたすましの中におもちをいれ柔らかくする。そして漆を塗った「お椀」にいれる。これに我が家ではシンプルでかつお節と小松菜と結び昆布を載せたものである。小松菜の代わりに「せり」を載せる家も多い。他の家では海老や黒豆を入れる所もある。




















おせち料理は、我が家では二つの重であるが、三つの重の家も多い。一つの重は縁起物が多いが、それぞれいわれがある。
「数の子」は子孫繁栄、「紅白のかまぼこ」は日の出の象徴、黄金色の「栗きんとん」は金銀財宝に、「たづくり」は豊年豊作、「くわい」は芽の出ることから子孫繁栄、「伊達巻」は文化発展、「れんこん」は通った穴から「見通しが利く」といわれている。




















「黒まめ」はまめまめしく働くことから健康を願う。




















「紅白のなます」は人参と大根で紅白のおめでたい色を表し平和を願う。




















その他、家では「きんぴらごぼう」、「ロースハム」なども入る。
二の重は我が家では「お煮しめ」が中心で「大根」、「しいたけ」、「たけのこ」、「こんにゃく」、「ちくわ」、「里いも」、「さやえんどう」などが入る。




















内では最近やっていないが金沢のおせちに「べろべろ」(えびす)がよく入っている。玉子を寒天で固めたもので、子供のころに「おまつり」でもよく食べたことがある。
その他に、今回、内では「さわら」と「たい」の昆布締めがあったが、「たら」や「ひらめ」などの昆布締めもある。普通のお刺身と違って昆布の味がしみこんでいて、少し長持ちがする。




















また、金沢独特のもので「かぶら寿司」がある。輪切りにしたカブにブリの切り身を挟み、麹で漬け込んだものである。




















これと同じようなもので、「だいこん寿司」はだいこんにニシンを挟んで漬け込んだものである。

このおせち料理を我が家では、それぞれ好きなものを年期の入った九谷焼の皿にとって食べる。




















どのおかずもお酒に合い、ついつい多く飲んで食べてしまう。それでいつもこの時期体重が増えてしまう。

おせち料理を食べた後、毎年「お福茶」を飲むが、孫と遊んでいるうちに忘れてしまった。「お福茶」は梅干を入れた煎茶で、一年間の無病息災を願うものである。

その後、恒例になっている初詣に尾山神社に出かけた。




















2014年1月1日水曜日

年の瀬の近江町 冬および正月料理の食材

今回は、年の瀬の近江町へ行ったので、店で並んでいる金沢の冬およびお正月料理の食材について紹介します。(12月30日散歩)
混んでいると思い午前中に出たが、近江町に近づくにつれて車が渋滞していたので、少し離れた駐車場に車を置いて歩いた。年の瀬の近江町に来るのは久しぶりで、どんな様子なのか見たいと思って来た。新聞やテレビでよく見たことがあるので、多くの人がいるのは覚悟していたがやはりいっぱいだった。




















北陸の冬の味覚の王様であるカニがたくさん並んでいた。地物(石川県で捕れるもの)は11月に解禁になり、3月ごろまで並んでいるが、今年は特に香箱ガ二(ズワイガニの雌)の数が少ないということで、漁獲規制で12月までしか捕れないので、この冬はもう食べられないということであった。香箱ガ二は飲み会なども含めて2,3度食べたので、今回は買わなかった。
また、加能ガニ(地物のズワイガニの雄)は一パイ、一万円以上するのでなかなか手が出ない。大好物なのに今年は一度も口にしていない。




















魚屋さんには大きなブリやタラなどたくさん並んでいた。タラの真子や白子の大きなものも並んでいた。生の白子の酢の物は大好きだ。出世魚であるブリは刺身や塩焼き、ブリ大根などの料理があるが、タラも冬には刺身、おつゆ、鍋物、煮物などいろいろな料理に使う。




















お正月料理の「タラの子付け」はタラの身を塩でしめたものに真子をまぶしたものであり、「棒ダラの旨煮」として使う「棒ダラ」は真ダラを乾燥させた保存食である。




















また、正月料理の定番の酢だこの大きなものが山盛りに並んでいた。




















昔よく見た縄でくるんだ「新巻きザケ」は見かけなかったが、「寒風干しサケ」がぶら下がっていた。




















「なまこ」は七尾湾でよく獲れ、見た目はグロテスクだが、食べてみるとお酒によく合いあのコリコリした歯ざわりは最高である。「なまこ」の卵巣を干してつくられる「くちこ」は高級料理に出るし、「なまこ」のお腹から取り出した腸でつくられた「このわた」も珍味でやはりお酒によく合う。
「かき」は能登の穴水や中島などでよく獲れるが、1月の末ごろになると「かきまつり」があり、炭火で焼く「焼きがき」は大変おいしいし、生ガキもおいしい。




















お正月料理に使う野菜もたくさん並んでいた。お雑煮に入れる「せり」や「みつば」や「ねぎ」などたくさん並んでいた。




















加賀野菜の代表格である「れんこん」は金沢の小坂地区のものが有名であるが、煮物、酢の物などで正月料理に欠かせない。




















老舗のかまぼこ店の前には赤白のかまぼこやいろいろなかまぼこが並んでいた。




















近江町市場には肉屋がすこし少ないのか、正月料理のための肉を求めて大勢の人が店の前にいた。




















続いて近江町市場の向かいにある「エムザ」の地下一階に行った。ここも人でいっぱいで、お正月料理を準備する人、「年賀」の贈答品としてお菓子などを買い求める人でごった返していた。




















帰りは午後になったが、近江町近くの駐車場は相変わらずすごい行列になっていた。あの人たちはいつ市場に入れるのだろうか?

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