2016年11月30日水曜日

京都ドライブ(8) 仁和寺

京都ドライブ(7)の続きで、その後「竜安寺」のすぐ近くの「仁和寺」に行った。
ここは、平安時代の888(仁和4)年宇多天皇が前帝の遺志をついで完成したという。宇多天皇は退位後、出家して仁和寺を住房とし、真言密教に励まれた。以来、明治維新まで皇子皇孫が仁和寺の門跡となられ、仁和寺は御室御所と呼ばれ、親しまれているという。
兼六園の山崎山にある「御室の塔」はここ仁和寺の古い塔を模造したといわれているから、その名がついているという。
















入ってすぐに「霊宝館」に彫刻、絵画、書跡などさまざまな仁和寺のお宝が展示されていたが、撮影禁止なので紹介できない。ここには、創建当時を伝えるという「阿弥陀如来坐像」なども見ることができた。
「霊宝館」の横に、「金剛華菩薩像」が建てられていた。
















横の門から入っていて、こちらの大きい「仁王門」が正面である。門正面には阿吽仁王像、後面に唐獅子像が安置されている。右側の小さな門から「御殿」に入る。
















1本の松の木の周りに、地面に這うように枝が延びていた。
















「宸殿」から見る簡素な美をあわわした「南庭」は白砂が敷きつめられている。
















「宸殿」の「北庭」は、池があり、木々、石などが置かれ、五重塔が見え華やかな感じがする。
















「宸殿」の三室の内部は、襖絵や壁などに四季の風物が描かれ、極彩色美の呈をなしている。
















各部屋を巡るために廊下を通ったが、塀や窓がなく戸外にむき出しになっているので、雨風にさらされて痛むのではと思い、ここの人に聞いたら「雨などは溜まらず、すぐ乾くので大丈夫です」と言っていた。


















「霊明殿」は檜皮葺きの屋根の上に見事な宝珠が飾られているのが特徴で、部屋には歴代門跡の尊牌が安置され、本尊は薬師如来である。
















上層から下層にかけての各層の幅が狭い姿が特徴という五重塔は、柱や壁面には真言八祖や仏をはじめ、菊花文様などが細部に描かれているという。


























「観音堂」は現在工事中で平成30年に完成するらしいが、ここは「経蔵」である。
















「金堂」は、仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂で、寛永年間(1624~44)に京都御所の「紫宸殿」を移築したもので、金色の金具で縁取られた蔀戸が、御所の風格を感じさせる、宮殿建築を伝える貴重な建築物だという。
















この寺にある背が低く、遅咲きの「御室桜」は有名で、春には見事に咲くのであろう。

2016年11月26日土曜日

京都ドライブ(7) 竜安寺

京都ドライブ(6)の続きで、次の日、ホテルから近い世界遺産であり、国宝となっている「竜安寺」に行った。ここは、徳大寺家の別荘だったのを、1450(宝徳2)年官領細川勝元が譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山として創建されたものという。
ここで何と言っても有名なのは、この石庭で、東西25m、南北10mの空間に白砂を敷き詰め、15個の石を配したものである。
















朝早く行って見るのがよいよいうことで、まだ人があまりいない時に見に行った。そしてこの庭を見て何を感ずるかは人それぞれ自由であるという。何人かの外国人もいて、長く座ってじっと庭を見つめていた。
石の配置から「七五三の庭」とか「虎の子渡しの庭」とも呼ばれる。ここには、どこから眺めても一度に15個の石を見ることはできないという。同じ庭を見ていても場所によって石の見え方が違う。同じものを見ていても自分の見方だけが正しい思うなということか。
















毎朝、このきれいな砂紋を引いているというが、この広さの庭全面をきれいに引くのは大変な作業で、また技術である。
















方丈の襖絵は白と黒だけの地味であるがこれもまたすばらしい。
















方丈から眺められるしっとりとした苔がすばらしい。
















水戸光圀公から寄進されたと伝わる蹲は、禅の格言を謎解きに図案化された無言の悟道であるという。秀吉が称賛したと伝えられる。
















お寺の周りを歩いていると、苔庭に大きな石や木々がうっそうと伸びている。
















周りの枝や葉を伐採し、まっすぐに伸びた木だけを残した杉が何本かあった。面白い光景である。
















「鏡容池」は、徳大寺家によって築かれたもので、かってはおしどりの群れが遊んだところからおしどり池と呼ばれた。石庭鑑賞後に一巡りして眺めるとほっとするのは、やはり池の水の効果であろうか。
















池の向こう側に三つの島があり、「弁天島」には真田幸村の眠る墓があるという。遠くの山並みもきれいに眺望できる所である。

2016年11月22日火曜日

京都ドライブ(6) 建仁寺 鴨川

京都ドライブ(5) の続きで、「祇園甲部歌舞練場」のすぐ近くに「建仁寺」という寺がある。ここは、臨済宗建仁寺派の大本山で、開祖・栄西禅師が1202(建仁2)年に創建した。800年の時を超えて今も禅の道場として人々のよりどころとなっている。
















「風神雷神図屏風」や「「雲竜図」の高精度デジタル複製画などが方丈襖絵として描かれていた。
















京都最古の禅寺として知られ、方丈を囲むように3つの庭園が造られている。方丈前の枯山水庭園「大雄苑」は白砂の部分が広く、ゆったりした広がりがあり、穏やかな気持ちにさせてくれる。
















法堂の天井に描かれた双龍図は2年の歳月をかけて描かれたもので、108畳分にも及ぶ壮大なスケールの作品という。龍は爪の数で位を表し、ここ建仁寺と天竜寺の雲竜図のみが一番位の高い5本爪なのだそうだ。


























ここには、禅宗の四大思想(地水火風)を、地〇水△火□などを象徴した庭がある。
















茶席「東陽坊」は草庵式二畳台目席で、1587(天正15)年に豊臣秀吉が催した北野大茶会で、利休の高弟・真如堂東陽坊長盛が担当した福席と伝えられている。茶室の西側には寺の名物「建仁寺垣」が設けられている。
















本坊中庭にある「潮音庭」は中央に三尊石その東には座禅石、廻りに紅葉を配した枯淡な四方正面の坪庭であるという
















「小書院」には染色画家の鮮やかな藍色の襖絵があった。絹織物の白山紬(つむぎ)に染め上げ、表具師が襖に仕立てたという。
















「建仁寺」を見た後、また、「花見小路」を歩いたが少し人が少なくなっていた。
















四条通に出て、左に曲がると店と店の間の細い場所に「仲源寺」という、古くから「目やみ地蔵」と親しまれる浄土宗の寺がある。本尊の地蔵菩薩坐像は眼病治癒の御利益で知られるという。丁寧お参りしてきた。


























その先に、歌舞伎発祥の地である藩政期に京都四条河原に公許された7座のなかで唯一現在に残る劇場という「南座」の建物がある。最近できた東京の「歌舞伎座」を思い出す。
















「四条大橋」から見た、鴨川の下流側と上流側の風景。そういえば3~40年前に、夕方にここを見たときに、カップルがずらりと並んで座っていたのを見て、羨ましかったのを思い出す。
















泉鏡花は「浅野川」と「鴨川」が少し似ていると言っていたが、確かに古い町並みが残っていて風情がある所だ。

2016年11月17日木曜日

京都ドライブ(5) 祇園 花見小路

京都ドライブ(4)のつづきで、その後、京都の花街の一つである「祇園」にある「花見小路」に行った。ここは、京都にある伝統的建造物保存地区で、金沢の茶屋街とどう違うのか見たいと思い来た。「花見小路」はちょうど昼時でもあり、多くの人でにぎわっていた。
















茶屋街の1階には、格子戸の前に木の柵や犬矢来などが付いていた。2階には縁を張り出して「すだれ」が掛かっているところが多くあった。建物は黒っぽい色や焦げ茶色などののものが多かった。「一見さんお断り」の敷居の高い本物のお茶屋からお茶屋を改装したカフェやレストランなどが混在しているのは同じだが、金沢の今の茶屋街とは随分違うなあという雰囲気だった。
































茶屋の玄関には赤い提灯や玄関の上に飾られた守り神(?)の他に、店の名前入りの看板の横に舞子さんか芸妓さんの名札が掛かっていた。夜ともなれば、提灯や店の明かりがともり、がらりと雰囲気が変わるのであろう。
















店と店の間には非常に細い道があり、裏側にも茶屋が並んでいた。花街には、こういう細い道が入り乱れてある。


























この「花見小路」の中にある和食の店「きらら」に入った。京都の農家さんが育てたという「京野菜」や旬の鮮魚を出してくれるという店である。
















ランチとしてはちょっと張り込んで頼んだら、天ぷらや刺身ほか多くの料理が付いてきて、おいしくいただいたが、食べ終えたときは満腹になった。マスターにいろいろ話を聞いていたら、「舞子さんに会いたいのですか?」と言われてしまった。
















花見小路の奥に「祇園甲部歌舞練場」というレトロな建物がある。100年にわたり「京をどり」を上演されている歴史と伝統に培われた芸能文化の殿堂であるという。
















その横にあった建物の中に入ると、京都の花街の説明コーナーがあり、現在でもやっている五つの花街の「歌舞会」の紹介がなされていた。「祇園」のほかに「宮川町」、「先斗町」、「上七軒」がある。江戸時代にはもっと多くあり、芸妓さんの人数も多かったという。
















また、舞妓さんの身に着ける「花簪」(はなかんざし)や髪型、あるいは扇子、櫛、小物入れなどが飾られていたが、きらびやかなものばかりで一体どんな高級な材料で作られているのであろうか?




2016年11月14日月曜日

四高記念公園から金沢城 紅葉 2016年

金沢市の町中の紅葉がだいぶ進んできたので、いしかわ四高記念公園~玉泉院丸庭園~金沢城を歩いたので、その紅葉を紹介する。(11月13日)
まず大和デパート裏から四高記念公園に入った。








































町中でひときわ目立つ紅葉のスポットの「アメリカ楓通り」と「いしかわ四高記念館」、「しいのき迎賓館」の建物




























































玉泉院丸庭園入口からいしかわ四高記念公園方向を見る




















玉泉院丸庭園入口




















玉泉院丸庭園の紅葉はまだちょっと早かったようだ。




























































「旧第六旅団司令部」前の紅葉




















二の丸から五十間長屋方向を見る




















二の丸から極楽橋、三十間長屋方向を見る




















二の丸から鶴の丸方向を見る




















鶴の丸から本丸付段方向へ通ずる道から橋爪門方向を見る。




















三の丸から石川門方向




















北の丸付近で見た紅葉