2013年5月27日月曜日

袋町、博労町界隈

袋町、博労町は藩政期に本町といわれ、比較的余裕なのある町人の町
であった。
藩主の荷物や人を運ぶための運搬用の馬や費用を負担する「伝馬役」や
道路、橋、堤防などの工事をする人足を提供する「町夫」などがいた。

袋町は北国街道にあり、この付近で両端が曲がって袋のようであったから
この名が付いた。




















彦三大通りから歩いていくと、朝市が開かれるポスターがあった。




















また、昭和29年当時のお祭りでの集合写真が貼ってあった。
私の小学校のときのそろばん塾でのライバルも写真に載っていたのが
分かった。




















少し歩くと、レコードやCDを売っている店があった。




















ここは昔のレコードを買い取るということで、家に昭和30~40年代頃の
レコードが放置されたままで、レコードプレーヤもないので、一度、査定
してもらおうと思う。
「反っていなく、きちんと音がでれば何でもよい」ということであった。
店内には古いレコードや新しいCDがぎっしりあり、じっくり見たかったが、散歩の
途中なのでやめた。




















少し歩くと、小学生のとき友達がいたので何度か入ったことがある家が、
外観は昔のままだったが、入口に串茶屋「風和利」という提灯が下がって
いたが、どんな店なのだろうか。




















大通りを渡ると角に「福井銀行」があったが、無くなって更地になっていた。
この「福井銀行」は小さい頃、家の「使い」でよく入ったが、中もレトロで趣が
ある銀行だった記憶がある。無くなったのは残念だ。

小路の向かいには「提灯の五十嵐」の店がある。




















中に入ると奥さんらしい人が出てきて、店の説明をしてくれた。
明治時代からやっている老舗で、手作りの提灯を作っているのは
金沢ではここだけという。
中の木の枠から紙貼り、絵付けまですべて手作りでやっているという。
お祭りのときの提灯や飲食店などから注文があるというが、どこまで需要が
あるかが、続けていけるかどうかだと言っていた。








































また少し歩くと、十間町と交差する角に、ギャラリー「baku」という所があった。




















ここではベテランでなく若い人の作品である九谷焼やガラス製品などが
並べてあった。
金沢の町の中にはこのような小さなギャラリーがあちこちにある。
やはり工芸の町である。




















歩いている途中に町屋が何軒かあったが、2階建ての屋根の上に
遠くを見渡せる物見櫓のある家をよく見た。




















帰りに彦三大通り沿いにある喫茶店「ニューカトレア」でコーヒーを飲み
一服した。
ここは私が学生時代に入ったことがあるからもう50年くらいはやっている。
その頃は、隣にパチンコ屋があり、反対隣には「東芝」製品の電気屋さんが
あったのを覚えている。
この店は、コーヒ250円で、一人で何かを考えたり、新聞や本を読んだりする
にはよい場所と思う。




















今日の散歩時間1時間20分、4800歩でした。


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2013年5月18日土曜日

養知院、木倉町界隈

前回の続きで、中央通りにある寺院の養知院に行った。
ここは、5代藩主綱紀が、この一帯の寺院に転地を命じたが、本尊地蔵尊が
現れて「当院は鬼川の守護のため残すべし」と告げたということで、ここの寺
だけ残ったという。




















私の前におばさんがお祈りしていたので待っていたが、非常に長いお祈りで、
何を祈っていたのであろうか、終わったら「すいません」と謝って行った。

次に木倉町に行った。ここは以前片町2丁目だったが、地元の強い要望
により平成15年に町名が復活した。

木倉町は江戸時代には大野庄用水を利用した藩の材木蔵があったことから、
その名が付いたという。


明治、大正、昭和初期までは、八百屋、魚屋、肉屋、下着屋、仕立て屋など
生活に密着した商店街だったが、昭和30年ごろから飲食店が多くなったという。
私もこの辺りによく飲みにくるので紹介したいと思う。

まず、おでん屋の「大関」は何度か入ったことがあるが、他のおでん屋に
比べて広く、落ち着いた雰囲気がある。お酒はやはり「大関」を出す。
名物のお爺さん(百歳くらいだったとか)は、2~3年位前に亡くなったしまった
とかで残念である。




















割烹「大岩」は会社の飲み会、テニス仲間の飲み会などで来たことがある。
ランチなどもやっており、リーズナブルでおいしい。




















居酒屋の「源左エ門」、「五郎八」、たこ料理で有名な「浜の」など、
うまそうな店構えのところがたくさんある。




























































つい最近。友達と一緒に居酒屋の「一合半ぶん家」に入った。
ここで、隣にいた東京から来た観光客と意気投合し、話が弾んだ
ことを覚えている。




















最近は、町屋を改造して居酒屋にしている店もあった。




















木倉町でひとつ忘れてはならないのは、純喫茶の「寿苑」である。ここで一服した。
ご主人がなくなって、今はおばさん一人でやっているが、昭和32年からやっている
からもう56年になる。
学生時代の頃からあったからなんとも懐かしい。あの頃は純喫茶がたくさんあったが、
今はほんのわずかになってしまった。
おばさんとこの付近の昔話に花を咲かせた。





















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2013年5月14日火曜日

金沢市老舗記念館、大野庄用水

長町の前田土佐守資料館の向かいに金沢市老舗記念館がある。




















ここはかって北国街道沿いの南町に店を開いていた中屋の薬屋の建物が
記念館として公開されている。
1階には当時の店先を再現してあり、座卓、そろばん、帳簿など商いの
様子が分かった。




















またこの店の有名な「中屋の混元丹」などの書いた立看板があった。




















また、薬屋としては珍しい茶室や立派な座敷があり、町人の大きな店の中には
武家の家と同じように、このような部屋もあるのだなあと思った。








































またお菓子で作った大きな花が飾ってあったが、これを作るのに7ヶ月も
かかったとか。




















他に金沢市の多くの老舗の看板や写真、絵や商いに使う道具が展示されていた。




















前田土佐守資料館の前には大野庄用水が流れている。
この用水は2代藩主利長の家臣の富永佐太郎が天正年間(1573~1592)に
開削し、金沢でも最古の用水といわれている。




















鬼川、御荷川(おにがわ)とも呼ばれ、金沢城を築く際に、この用水を
使って城下まで木材を運んだという。

長町から木倉町に入るとき大野庄用水を渡る橋を御荷川橋と呼んでいる。
この辺の用水は水量が多く勢いよく流れていた。


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2013年5月9日木曜日

彦三緑地、彦三町界隈

今回は、前日に新聞に彦三緑地のつつじが見ごろであると
載っていたので、見に行った。
彦三大通りを渡って歩いていくと「旧桶町」の標柱が建っていた。
桶町の由来は、藩政期の初めに藩の御用を勤める桶職人たちが
屋敷地を与えられ住んでいたからという。




















その先をまっすぐ歩いて、少し行って左に折れると、彦三緑地があった。




















彦三緑地に入ると多くの方がカメラを持って、つつじと牡丹を見に来て
いた。さすが新聞の力はすごいなあと思った。
介護を必要とする人が、付き添いの人と一緒に来ている人も多く
見かけた。
こういう天気のよい日は、部屋に閉じこもっているより、戸外に出て
きれいな花を観賞するのもよいと思う。




















ここのつつじと牡丹を何度か見に来ているが、たいへんきれいで
見ごたえがある。牡丹は大きな花の赤、白、紫などがあり、つつじも
赤、ピンク、白など多くの種類の花が咲き誇っていた。




























































同じ見物人から「この花は牡丹ですね」と聞かれたので、「そうです」と
答えたら「じゃあ石楠花はどんなですか」と聞かれ「わからない」と答えて
しまった。こういう花を見に来るからには、もっと勉強をしなくては。

ここは、もともと加賀藩士の遠田家の屋敷である。
4代目のつつじの作庭をした自省(みより)という人が前田吉徳の時代に
大少将から人持組になったという。遠田家は代々藩の重職に就き、明治
を迎えた。

彦三緑地の向かいには、やはり藩士の野坂氏の屋敷があり、長屋門に
つらなる土塀など旧態をよく残している。




















彦三町の由来は、この地に通称彦三と称する不破家の上屋敷を構えていた
からという。
もともと不破家は前田利家とともに信長に仕え、越前府中で33,000石を
領した大名でしたが、後に前田家に仕え、4,500石の人持組で活躍したという。








































彦三町は金沢市の中心街に近いにもかかわらず、閑静な住宅地である。
現在でも、長らく住宅地での土地の公示価格が、金沢市の中でトップクラスである。

今回の散歩時間 1時間30分、4,300歩でした。


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2013年5月5日日曜日

戸室スポーツ広場、高橋川

ゴールデンウィークに息子夫婦と孫と一緒に戸室スポーツ広場に行った。
以前に、このブログでも紹介した内川スポーツ広場でバーベキューを
しようと思ったが、すでにバーベキュー炉が予約で一杯だったので、
内の孫の年齢を考えて、戸室スポーツ広場にした。




















多くの小さな子供たちや、その両親、祖父母達でにぎわっていた。
さすが我々世代の爺ちゃん、婆ちゃん達が多くいて、のんびり孫の遊ぶ
様子を見ていた。

ここは長い滑り台や大きなネット上のトランポリンや迷路など、小さな子供
が喜ぶような遊び場である。






















内の孫も初めは恐る恐るやっていたが、慣れてくるとしつこく楽しそうに
遊んでいた。




















持参した弁当も自然豊かな戸外で食べるとたいへんおいしい。

帰りに家から近い高橋川に行った。
高橋川も以前紹介した伏見川と同じで犀川に流れている。
川の上には多くのこいのぼりがぶら下がっていた。
聞くところによると、横川3丁目町会が川で分断されたため、町会を
結ぼうと何年か前からこの時期にやっているらしい。
孫に見せようと思ってきたのに、スポーツ広場で思い切り遊んだためか
疲れて眠ってしまっていたのは残念でした。






















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