2018年4月27日金曜日

玉泉園

「かなざわ玉泉邸」で食事をした後、「玉泉園」を廻った。
石川県指定名勝「玉泉園」は、約400年前の江戸初期、加賀藩重臣脇田家の庭園として初代直賢から4代九兵衛まで約100年近くを費やして、江戸中期に完成させたものである。これは、幕末に現在の形になった兼六園より120年近く古いという。総面積2,370m²で崖地を利用した、上下二段の池泉回遊式庭園で、本庭、西庭、東庭の三庭からなっている。



















「玉泉園」の名前は、2代藩主利長の正室「玉泉院」から命名されている。初代直賢は、秀吉の朝鮮征伐の時に宇喜多秀家が朝鮮から連れてきた子供を、妻の豪姫が金沢に一緒に連れて帰り、その後、玉泉院に自分の子供のように育てられたという。そしてその配慮により脇田家を創設し、小姓として活躍し、晩年には1500石の大小小姓頭となったという。



















隠れキリシタン灯篭は、全体を十字架に見立てており、下の方に聖母マリアの像が刻まれ、直賢がキリシタン大名高山右近の影響を受け、青戸室石で、藩の石工に造らせたものだという。織部灯篭で、金沢でも最古のキリシタン灯篭である。



















膨らみのない筒胴と呼ばれる立体型手水鉢は、全国的にも数が少なく、正面に葦、左下に蛙が刻まれている。葦は古くは「悪し」、蛙は「買わず」で悪いものはないという語呂合わせになっている。粟ヶ崎にあった木谷家伝来のものである。



















上下の池の間にある「西滝」
























大きな石の間を流れる「東滝」






































「さい雪亭」は、現存する金沢の茶室の最古のもので、3代利常に招かれた「千仙そう宗室」の指導によるもので、広大な庭園の中にある茶室で雲龍の陽刻をなした蹲を配している。




















直賢の故郷を偲ぶために取り寄せた移植したもので、樹齢400年という黒松。
























玉泉亭にある寒雲亭茶室は、京都にある裏千家の代名詞ともなっている茶室「寒雲亭」の建立当時の写しである。千利休の孫、宗旦好みのもので侘び本位のものと違い、書院造りが特徴の部屋となっている。



















越前藩主松平家伝来の方形手水鉢で、公家や大名しか許されなかった桐葉の飾り陽刻がある。蹲には、台石と手燭石に能登産の滝石を、また、湯桶石には佐渡産の赤石などぜいたくな配石となっている。

2018年4月24日火曜日

かなざわ玉泉邸

今回は、小将町にある「かなざわ玉泉邸」で趣味仲間の人とランチを食べたので紹介する。ここは「玉泉園」の中にある食事処で、4年以上前に庭園に入った時にはまだなく、ガーデンレストランとして新しく生まれかわったところで、その後は一度は行って見たいと思っていたところである。(3月24日)



















その隣には、「玉泉園」の庭園を鑑賞するための玄関がある。




















ここは築200年を超す江戸末期の武家屋敷を改造したところで、白い暖簾が掛かった「 かなざわ玉泉邸」の玄関を入り、ここで食事をすると無料で庭園も見ることができる。




















二十人くらい入れるテーブル席と少人数の個室もあり、美しい庭園を楽しみながら料理を頂けるところだ。



















ここは、日本海で獲れた魚介類や加賀野菜など、四季折々の新鮮な幸をふんだんに使い、熟練の技で本格的な懐石料理でおもてなすというコンセプトである。
メニュは、一品一品料理の手の込んだ創作料理で、持ってこられた時に説明していただいたが、後から思い出してもかなり忘れてしまったものもあるので、細かく紹介できない。





















氷見産ぶりのつみれと能登しいたけに日本海たらを半分づつ合わせた珍しいものがでた。



















ヒラメのお作りは分厚く、たっぷり味わいのある刺身だったという印象が残っている。




















小さなお釜に入ったおこわはおいしかったが食べきれなかったので、残ったものでおにぎりにしてくれたので持ち帰った。



















最後にヨーグルトの上に豆と果実が載ったアイスクリームのデザートが出た。



















また、どの器もすばらしく見た目においしそうに盛り付けられ、どれもおいしく頂いて満足のいくものであった

2018年4月21日土曜日

卯辰山の桜2018(2)400年の森、キリスト殉教者の碑

卯辰山の桜2018(1)の続きで、その後「400年の森」に行った。この日は天気が良かったので、駐車場も満杯になり、少し待って入ることができた。
















この場所は、55年以上前の私が中学生のころに何度かスキーをしに来た場所で、上の方にある急な斜面は昔の面影が残っている。この急な斜面は怖くて滑れなく、下の方の今は桜が咲いているところの緩やかな斜面でよく滑っていた。スキーの帰りは天神橋までスキーで滑って降りたことを憶えている。また、ここで転んだ時に自分のスキー板で頭をたたいて、頭から出血したことも憶えている。



















一服する四阿前に「400年記念の森」の石碑が建っていた。
今は卯辰山の中でも最も桜の多い名所として知られているが、ここは、昭和57年に加賀藩祖前田利家が金沢城に入城して400年を記念して整備されたという。山間の斜面約2haに芝生が敷かれ、250本の桜が植えられている。



















白とピンクの桜が満開で、見ごたえがあった。




































下の写真のような光景が見られた。本当の新婚さんなのか分からなかったが、いろいろなポーズを注文する数人のスタッフがいて映していたが、何のビデオどりなのか?



















この「400年の森」の少し手前の斜面を登っていくと「長崎キリスト殉教者の碑」があった。明治2年に政府がキリシタン弾圧で信仰を翻さなかった長崎のキリシタンのうちの金沢藩預けの500人余りは、4年後に送還されるまで、卯辰山の花菖蒲園と湯座屋敷の牢舎に幽閉されていた。その間200人が命を落としたという。昭和43年にカトリック金沢教会が、このことを後世に伝えるために、ここに碑を建立したという。
























卯辰山の帰りに通った天神橋の上流側、卯辰山側と下流側を見た。最近もここを通っているがゆっくり眺めたことはない。子供のころから、この辺りをよく知っているが、随分きれいな景色になったものだと思う。














2018年4月18日水曜日

卯辰山の桜2018(1)桜と眺望

金沢城の桜を見た後、卯辰山の桜を見に行った。(4月5日)ここの桜を見に行くのは何年ぶりになるだろう。
花菖蒲園から見た金沢駅方向



















薄ピンクの大きなツバキと桜



















「豊国神社」の鳥居と赤い橋があるところの桜



















 卯辰山公園線の道路沿いのソメイヨシノとシダレザクラ





































「津田米次郎」の銅像がある近くの角に、眺めがよいということで現在見晴らし台を造成中のところから見た高柳、内灘方向 で、日本海もよく見える。

































眺望のよい昔からあった「望湖台」から見た県庁方向



















残雪の残る山並みが杉の葉越し見える。



















私が子供のころに来た「ヘルスセンター 」跡は、素晴らしい見晴らし台に変わっていた。ここからの眺めは最高で、下には浅野川の流れ、山側環状線沿いの街並み、小立野台地、そして遠くには残雪の白山・医王山連山がくっきり見える大パノラマで、このロケーションから見るのは初めてである。



















尾張町・武蔵方面の景色と桜

2018年4月15日日曜日

金沢城の桜2018(2)

金沢城の桜2018(1)の続きで、その後、本丸に入り「戍亥櫓跡」からは橋爪門、三の丸から卯辰山方向が一望でき、桜の木がちらほら見える。卯辰山の中に桜の木が連なって見える所があるが、一体どこなのだろう。



















陸軍時代に弾薬庫があった場所で、前方の石垣側には説明板があるが、明治時代に陸軍が作ったレンガ造りのトンネルがある。金沢大学時代には、確かアーチェリーだったか射的部の練習場だったと思う。



















本丸の中は、金沢大学の植物園になってから70年経つので森のようになっていて、高い木々も多い。秋には紅葉が大変きれいなところだ。



















戦後の植物が多い中で、樹齢200年以上と言われる大きな「スダジイ」は江戸時代からのものである。
























その脇に、ここの第九師団が旅順で活躍したといわれる「日露戦役記念碑」がある。



















ソメイヨシノのそばに高い木に赤い葉ではなく花が付いている「ハナノキ」がある。




















「辰巳櫓跡」から桜の向こうに兼六園の「瓢池」が見える。




















「辰巳櫓跡」から見る大乗寺山方向で、寺町台地の斜面には藩政期に、藩主たちが桜が見えるようにと多くの桜の木が植えられていたという。その名残でその後「桜橋」、「桜坂」、「桜畠」などの地名があった。




















「丑寅櫓跡」から兼六園の茶店方向を見る。ここからも桜の木がたくさん見える。




















木々の向こうのまだ残雪が残っている山並みに、「加賀富士」と言われる「大門山」や「奈良岳」、「大笠山」などが見える。金沢に帰ってから一度は登ってみたいと思っていた山だが、もう今では登れない。



















金沢城内の内堀沿いは一番の桜並木で、以前は桜のトンネルの回廊になっていたが、最近間引きしたようで少し見栄えが落ちたよう気がする。



















写真の手前側に見える百年ぶりにアメリカから里帰りした「高峰桜」はまだ花が貧弱である。他に中村美術館そばなど金沢の数か所に植えられている。



















「新丸」に見事に咲いている「ヤエベニシダレ」と「コシノヒガンザクラ」



















他に「大手堀」付近に「ソメイヨシノや「ヒガンザクラ」、「オオヤマザクラ」など多くの桜が咲いている。