2021年12月31日金曜日

寺町寺院群 寺宝公開 2021年(2)大蓮寺 承証寺

 寺町寺院群 寺宝公開 2021年(1)雨宝院の続きで、続いて近くにある「大蓮寺」に入った。ここも私は、以前に境内には何度か、さらに涅槃会の法要の際に、お寺に入ったことがある。


中に入ると、住職さんが「豪姫」や「八丈島」など、このお寺との関係についてお話になっていた。



















内陣前の天井には極彩色の花やトンボ、宇喜田秀家の家紋を中心に、中村家や一色家など豪姫に従った家臣の紋が周りを取り巻いている格天井を見ることができた。


















床の間には、落ち着いた雰囲気の掛け軸と一輪挿しが飾られていた。























豪姫と秀家の位牌とともに、奥にあるのは豪姫が秀家と2人の息子たちの無事を祈ったという念持仏の「聖観立像」がある。

























「史跡末松廃寺」から出土されたという「単弁系蓮花紋丸瓦」が展示されていた。「末松廃寺」とは、北加賀における仏教の受容を示すモニュメントで、営造者の権威を示す巨大な建物であったらしい。


















続いて、「妙立寺」(忍者寺)の斜め向かいにある「承証寺」に行き、お寺の中に入ったが、こちらはカメラ禁止だったので写真は紹介することはできないが、俵屋宗達が描いたという「白い萩と兎」の杉の板戸に描かれた絵や鬼子母神となっている安宅の沖合より上がったという鬼面などが見られた。
また、外陣前の三つの欄間の彫刻が素晴らしかった。そして有名な沈金作家の制作様子が見れ、製品が販売されていた。


本堂前の左側には、「福岡惣助」の墓がある。幕末に京都で尊皇攘夷の活動家と交わり、その情報を14代慶やすやその側近に漏らしていたとして何人か処罰された中でも「生胴」(いきどう)という一番の極刑を受けた。「生胴」とは土を盛った処刑場に罪人を横たたえ、胴体と首を同時に切断するという残酷なものである。


2021年12月27日月曜日

寺町寺院群 寺宝公開 2021年(1)雨宝院

 今回は、寺町寺院群の中で6つのお寺が「寺宝特別公開」するということで、2日間の初日に「雨宝院」、「大蓮寺」、「承証寺」の3つのお寺の中に入った。(11月21日)

まず、千日町にある「室生犀星」が育った寺として有名な「雨宝院」に入った。ここの境内には何度か来ているが、中に入るのは初めてである。












本堂に入るとすでに住職さんの読経が始まっていた。













黒っぽい小さなお仏壇がいくつかあり、それぞれに仏像が置かれている。












そのひとつは「雨宝童子立像」で、天照大神の化現とされ、頭上に五輪塔を掲げ、右手に金剛宝棒を持ち、左手に如意宝珠を持つ。天照大神が日向国に下生した時の姿をいい、また大日如来の化現ともいう。




「金剛界曼荼羅」は密教を説いた「金剛頂経」をもとにした曼荼羅で、大日如来の「智」(智恵)を表すという。

室生照道(室生犀星)の明治時代の戸籍謄本が展示されていた。明治38年に金沢裁判所に勤務していて、その後、金石出張所に勤務していたが自己都合で辞めたことが記されている。


















また、犀星の作品「つくしこいしの歌」や「大陸の琴」や雨宝院への手紙などが展示されていた。


















ここの住職が、最近流行の「御朱印」を一生懸命に描いていた。


















裏庭から犀川がすぐ近くに見えたが、犀星がいたころは,もっと裏庭が広くようだ。犀星の作品「性に目覚めるころ」の中には「庭から瀬へ出られる石段があって、そこから川へ出られた。・・・・どっしりと控えている飛騨連邦を霞の中に眺めながら、新しい手桶の水を幾度となく汲替えたりした」とあるが、「医王山」あたりを見てそういったのであろう。

2021年12月23日木曜日

香林坊・片町のイルミネーション

 今回は、久しぶりに片町へ友人と飲みに行くことになった。それで帰りに香林坊・片町の大通りのきれいなイルミネーションを見た。香林坊交差点からラモーダ付近まで、ケヤキ並木が11万個の白いLDEで彩られている。




















アトリオ前には、ゴールドのケヤキに白い「雪つり」を施した形になっている。金沢らしい雰囲気を作っている。




















こちらはブルーのテントの中に炎を施したイルミネーション



















広阪にある教会前もイルミネーションで華やかだ。
























1891(明治24)年に建てられた、地元の土を使ったというレンガ造りの建物は「旧第四高等学校」は、今でも見栄えのするきれいな赤いレンガの建物である。



















通りを挟んだ隣のライトアップされた建物は1924(大正13)年に建てられた「旧石川県庁舎」で、石川県最初のコンクリート造りである。設計者は国会議事堂の設計・施工の責任者の「矢橋賢吉」で、当時最先端の「スクラッチタイル」を使ったモダンな建物である。



















「旧石川県庁舎」の裏側にガラス張りの近代的な建物が加わり、2010年よりレストランなどが入った「しいのき迎賓館」に生まれ変わった。その裏側の玄関のイルミネーション
















「しいのき迎賓館」よりライトアップされた幻想的な金沢城の石垣が見える。



















「東急109」方向を見たイルミネーション



















「片町プレーゴ」前のイルミネーションとクリスマスツリー



















「片町きらら」前の大きなクリスマスツリー
























金劇前にある10階建てくらいの「オーロラビル」は全く真っ暗であるが、コロナの影響ですべて店はやっていないのであろうか?それとも今日は日曜日の夜だから休業なのか?


2021年12月17日金曜日

手取ジオパーク巡り(7)美川

 美川の町は、手取川扇状地の扇端に当たる、海と隣接する場所に築かれた街である。江戸中期から明治時代には日本から瀬戸内海を通って北海道と京都・堺を結ぶの北前船の寄港地として発展し、北前交易で財を成した船主達によって、美川は大いに栄えたという。



















「石川」という県名は、明治5年に美川に県庁が移ってきた際に「石川郡」という郡名をとって命名したといわれている。そして郡名「石川」は「河口まで石がゴロゴロしている」ことが由来。つまり石川県の名前の由来は手取川ということである。










美川は「砂丘の町」と言われてるが、これらの形成にはいくつかの条件があるという。まず一番は、手取川が運んできた砂がたまって砂浜を作り、その砂浜の砂が風で舞い上がってできた砂丘である。とくに美川の海は遠浅で、強い季節風が砂を噴き上げてできたものだという。















また、美川に大きな砂丘ができた理由は、砂粒の大きさが大きいという。安原、内灘、千里浜の砂に比べて大きいことがわかる。これは手取川から運ばれた砂のうち、粒の細かいものは内灘や千里浜へ運ばれている。

























それで美川の町には坂が多い。



















美川は「伏流水」が多い町として知られている。白山から、しばらく急流だった手取川は、扇状地の扇頂にあたる鶴来エリアでしばらく流れが穏やかに変えて海に向かう。その一部は地下水となって潜行し、河口付近で再び湧水となって現れる。
そこで美川には、伏流水が自然に湧き出す場所が多くあり、古くから地域住民に親しまれているという。こちらの伏流水群は「平成の名水百選」にも選ばれている。ここの湧水場のひとつとして「お台場の水」がある。
























パイプから出た水は「田」の形に仕切られたコンクリート製の枠に流れていき、以前は近所の人が野菜や衣類を洗っていた。上流側が食材用で、下流側が洗濯物の汚れを落とすところと向かいはルールが決まっていたという。



















こちらは「大浜の水」で、休日にはペットボトルを何本も持ってきた人たちの順番待ちができるほど汲みに来る人が多いという。



















石川県でのみ生産が許されているという「フグの糠漬け」は大部分が美川産である。この伝統食を支えるのが、豊富な白山の伏流水である。



















フグの卵巣は青酸カリを上回る猛毒がるが、これを無能化するメカニズムは分かっていなく「奇跡の食品」といわれる。卵巣を3年間塩漬けや麴付けなどをした後に、イワシの魚醤と塩、伏流水で作った「さし汁」を毎日のように祖師で味を付け、腐敗を防ぐ。これらで毒性はなくなるという。さし水だけでも1日30~40リットルで、さらにフグをさばいたときに内臓を洗い流すのも伏流水で治療に使う。この伏流水がなかったら美川で「フグの糠漬け」はなかったという。


























2021年12月12日日曜日

手取ジオパーク巡り(6)白山比咩神社②

 手取ジオパーク巡り(5)白山比咩神社①の続きで、さらに境内を歩く。

「手取川」の案内板があり、白山山系を源とするわが国有数の急流を持つ県内随一の河川で、飲み水や水力発電、農業用水などに石川県の多くの市町村に供給されている。

旧社地は前回のブログで紹介した「旧加賀一の宮駅」の近くの古宮公園安久涛の森にあったが、1480(文明12)年たいかによって大伽藍が消失した後、現在地に鎮座したという。現在は全国に三千余りの「白山神社」の総本山である。


白山を水源として「九頭竜川」、「長良川」、「庄川」といった大河が、各地の県に注がれている。万年雪を持つ白山は四方に向かい、各々の平野を潤す。白山が平野部から信仰される第一は恵の水を与えてくれることだという。
























参道を上がったところからは、手取川や鶴来の街並みが見える。



















三つの鳥居をくぐった後、「神門」がある。



















切妻造り、銅板葺き、檜造りで唐破風の屋根の外拝殿で、その後ろに直会殿、拝殿、幣殿、本殿まで一直線に並んでいる。



















「遊神殿」は、参拝者の受付、控室、休憩所などに利用されている。私の以前の車はここで祈祷してもらった。














明治時代の「白山比咩神社の景」の絵図



















帰りに知人から蕎麦のうまい店と聞いていた「蕎麦処 さかい」で昼食をとった。



















午後1時頃になったので、ここの店員がそれまで多くの人はいたと言っていたが、広い広間は我々貸切状態であった。ここの襖いっぱいに墨絵で書かれたすばらしい「白山」の絵が描かれていた。



















ここの亡くなった先代のご主人が描いたもので、部屋のあちこちに飾られていた。



















「天ぷらそば」と「なめこおろしそば」を食べたが、噂通りで非常においしかった。