2014年8月27日水曜日

東山茶屋街後方 宇多須神社、宝泉寺

東山茶屋街左後方に、以前このブログでも紹介した「菅原神社」があるが、またその後ろに大きな神社の「宇多須神社」がある。
ここは718(養老2)年に卯辰村一本松に多門天社として創建された。後に今の地に遷座し、俗に「毘沙門さん」と呼ばれて親しまれている。




















1599(慶長4)年に加賀藩祖の前田利家が亡くなり、2代利長が利家の御霊を祀るため、金沢城の鬼門の方向(北東)に社殿を建て「卯辰八幡宮」と称した。
明治時代になって町中に武士がいなくなり、活気がなくなったので金沢再生のために、明治6年に利家の神霊は、現在の尾山町に社殿を造営し、尾山神社に遷座された。




















ここは社殿を改修し、毘沙門天を合祀し、卯辰山の古名である「宇多須神社」として新たなスタートをしたという。ここは「金沢五社」のひとつである。
2月3日の節分の日には、ここの社殿の前で「ひがし」の芸妓さん達が一同に集まり、「舞」を披露し、その後集まった人たちに「豆まき」をする行事があり、多くの人でにぎわうという。一度は見たいものと思っている。








































また、境内の奥に5代藩主綱紀が幼少のときに「疱瘡」にかかり、3代の利常がここにある井戸の神水に酒を入れ「酒湯」として体にかけて治ったという井戸があった。




















次に、「宇多須神社」の横にある道を歩いた。すぐに金沢でも名だたる高級料亭「山乃尾」がある。
ここは高級というイメージがあり、私はまだ入ったことがない。




















ここで全国的に有名な工芸、書、食の総合芸術家である「北大路魯山人」が、金沢の文人の「細野燕台」の紹介で「山乃尾」の初代主人の太田多吉から料理の味付けや盛り付け、器との調和などを習い、これをきっかけにその後東京で「星ヶ丘茶寮」という美術鑑定や高級料亭を開業したという。




















さらに行くと、非常に急勾配名坂「子来坂」があり登った。




















ここは幕末に14代藩主前田慶寧が「卯辰山開拓」を行ったときにできた坂で、「旗や纏を立てた町民がまるで子供のようにはしゃぎながら坂を上がってきた」ということから付いたという。


























この坂を上りきる手前で右に階段を上ると「宝泉寺」がある。ここまで上がると結構息が上がって、汗が吹き出てきた。


























ここは「摩利支天」を本尊としているが、前田利家が戦場に行ったときにいつも冑の中に守護神として「摩利支天」を入れていたといわれる。




















また、境内の傍らにここにも芭蕉の句碑「ちる柳 あるじも我も 鐘をきく」があった。




















そして大きな「五本松」があったが、ここは泉鏡花の作品の「町双六」の舞台となったところである。


























その先に見晴台があったが、ここからは金沢の町の半分くらいが一望できる。(小立野台地の向こう側は見えない)
兼六園、金沢城や浅野川もはっきり見え、すばらしい眺めである。
東山を訪れる観光客や地元の人には、坂を上がる元気があれば是非見てもらいたい場所である。





















「子来坂」を降りると東山のメイン道路の隣の通りも観光客でいっぱいだった。

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2014年8月22日金曜日

東北地方南部ドライブ(6)最上川、酒田市

東北地方南部ドライブ(5)の続きで、次の日、銀山温泉から日本海側の酒田市に向かった。
途中、雄大な川の最上川に沿って走った。




















ここには、芭蕉や義経も通ったといわれる船下りがある。また、大ヒッとトなったテレビドラマ「おしん」のシーンに出てきた川だ。ここでの見所のひとつである最上峡にある白い滝と縁結び祈願の仙人堂があるが、川の向こう側に小さく見えた。




















銀山温泉から2時間くらい走ったところで酒田市に着いた。ここは江戸時代に交易により華やかな上方文化がもたされた港町だという。
すぐに酒田の豪商の本間家の別荘だった「清遠閣」に入った。




















ここは皇族も訪れたという格式高い建物で、大正時代のシャンデリアや手吹きのガラス窓、透かし彫りの欄間などすばらしい部屋が見られた。また北前船で運ばれたという庭石を配置し、鳥海山を借景とした回遊式庭園も見事である。








































変な形をした石の隙間から覗くと鳥海山がきれいに見えるということであったが、曇っていて全く見えなかったのは残念。








































旧別荘でコーヒーを飲みながら一服して美しい庭園鑑賞するのも乙なものだ。




















続いて、酒田駅前裏のラーメン屋に入り酒田ラーメンを食べた。魚介のだしがきていて、大きいチャーシュが入っていておいしかった。




















次に「本間家旧本邸」に行った。ここは本間家三代が幕府巡間使の本陣宿として江戸時代に建てて、藩主酒井氏に献上した屋敷だそうで、武家屋敷と商屋造りが一体となったもので全国的にも珍しいという。商屋造りのほうには昭和20年まで住んでいたそうだ。




















向かいの別館には本間家の店で使っていた帳場などが再現されていたし、鬼瓦や金庫なども展示されていた。
















































































すぐ近くの「旧鐙屋」は酒田市を代表する廻船問屋だったことを思わせるものが陳列されていた。








































ここに「紅花」といって中国から室町時代に山形に伝えられたものという。「紅染め」の顔料として、江戸時代には最上川を利用して京都方面に出荷されていたという。




















ここの建物は石置き屋根が特徴である。





















続いて、平成21年のアカデミー賞をとった映画「おくりびと」の舞台となった建物を見た。ここは元料亭として市民に親しまれたところであるという。中には当時のセットなどが再現されているというが、休みで開いていなかったのは残念だ。














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2014年8月18日月曜日

東北地方南部ドライブ(5) 銀山温泉

東北地方南部ドライブ(4)の続きで松島から、今日(5月27日)泊まる銀山温泉に向かった。国道457号線から47号線に入り、2時間以上走ったと思うが、ようやく銀山温泉入口に着いた。
宿泊先の専用の駐車場に止めて連絡するとすぐに宿の車が迎えに来てくれた。
ここで最も人気はあるという「能登屋」は予約一杯で泊まれなかったが、その隣の江戸時代創業の「旅館永澤平八」というところに泊まった。




















ここ銀山温泉は1400年代に何と「加賀の国」の人が銀鉱を発見したという。今から600年も前に交通も何もない時代に、よくこんな離れた山奥のところまできて見つけたとはすごいと思った。
銀の採掘は江戸時代の寛永のころが最盛期で、その後は急速に消えたしまったという。
銀山温泉は「摂津有馬の温泉は金の楯より湧き出るから日本一であるが、ここは銀の楯より湧き出るから日本第二の名湯である」と呼ばれた。それ以来、ここは大正ロマン漂う木造高層建築が建ち並ぶ温泉地になったという。




















宿に荷物を置いて、さっそく付近を散歩した。川に沿って上流のほうに少し歩くと、豪快に水しぶきを上げる「白銀の滝」という三本の滝があった。また銀山温泉に関連した「細川たかし」の歌の石碑も立っていた。








































銀山跡はここから歩いて往復1時間かかるということで、時間も遅かったので採掘時に土や水などを運搬するための「疎水抗」をみた。




















宿に帰り、ここの評判の檜作りの風呂に入った後、夕食に山菜や川魚などの山の幸を盛り込んだ郷土料理の舌鼓を打った。(途中で気がついて写したが申し訳ない)




















食事の後、銀山温泉のレトロな建物が建ち並んだ夜景を楽しみながら散歩した。








































宿の中もレトロな階段や、部屋の中に火鉢、その他の置物が並べられていた。














































次の朝も部屋から向かいの旅館の玄関の上を眺めると、きれいな四季の「てこ絵」がいくつも飾られていて細部まで歴史を感じる旅館が建ち並んでいた。




















「能登屋」の左端の「てこ絵」は富士山が描かれていて大正10年の作であり、右側には銀山開拓の祖である「木戸佐佐エ門」の名が記されていた。ここの経営者は石川県の人だと泊まった旅館の人から聞いた。

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2014年8月13日水曜日

西茶屋街 夏まつり

今回は西茶屋街で「夏まつり」のイベントとして、普段の値段より安く、踊りや料理、太鼓遊びが体験できるということで午後の6時から参加した。


























場所は西茶屋検番の2階で行われた。ここでは西茶屋街の芸妓たちが集まって定期的にきびしい「けいこ」をしているところだ。




















舞台のある大広間には観光客も含めて100人くらいの人がいた。天井を見ると明かりとりのためか、広間の真ん中のほうは高くなっていて窓があった。
「ひがし茶屋」は格式が高いが、ここ「にし茶屋」の芸妓さんは従来の慣習にこだわらずいろいろなことにチャレンジしているという。
芸妓さんは源氏物語の出てくる名前にしている人が多いという。そういえばこの近くで幼年時代をすごした室生犀星が昭和のはじめに芥川龍之介を西茶屋に招待したときに、龍之介が「しゃっぽ」という芸妓に心を寄せたという話を聞いたことがある。

最初は出された仕出し弁当を食べ、近くに座った人と談笑しながらビールやお酒も頂いた。いい気持ちになったところで芸妓さんの唄いや三味線が始まり、踊り方の芸妓さんが出てきて踊り始めた。








































その後、芸妓さんがお客さんの中に入り、お酌をしながら歓談したり、一緒に写真を撮ったりした。
私も積極的に話に参加し、二人の芸妓さんから名刺代わりという「千者札」というものを頂いた。これを財布の中に入れておくと、お金がたまるという言い伝えがあるという。




















三味線を弾いていた芸妓さんと話をしたら「自分は三味線は始めてから3年になるが、踊りはもっと前からやっている」と言っていた。
「一調一管」で全国的に有名な鼓の「乃莉さん」がいて、多くの人に囲まれて一緒に写真を撮ったり話をしていた。なんとなく貫禄があった。




















その後にお客さんが太鼓と鼓をたたいて遊ぶ「太鼓遊び」が始まり、2,3人の人が舞台に上がりたたいていたが、皆さん自信があるようでスムーズにたたいていた。




















最後に私の友人が勧められて舞台に上がり太鼓をたたいたが、非常にうまくびっくりした。そして彼のたたく音の中で「百万石音頭」をお客さんが大勢舞台に上がり踊りを踊った。私も踊りの輪に入り、前の人に合わせて何とか踊り、日ごろできない珍しい体験をし大変楽しいひと時を過ごした。




















帰りに1階に下りると、入るときには気がつかなかったが「女夫獅子」が飾ってあり、一方のは口に刀をくわえていたが、もう一方のは二枚の座布団の上に載っていて小さな獅子だった。




















外に出たら、夜の「西茶屋街」をはじめて見ることができたが、昼見るのとは違い情緒があった。
ただ「検番」の中は人で一杯だったが、外には歩いているお客さんはほとんど見られなかった。

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