2013年6月28日金曜日

橋場町、並木町界隈(1)

今回は、浅野川大橋を挟んで主計町の向こう側の橋場町、
並木町を散歩した。
浅野川大橋は藩政期時代には北国街道にあり、交通の要所で
多くの人で賑わっていたらしい。
現在の橋は、大正11(1922)年に市電を走らせるため、橋の幅を広げる
ということで三つアーチ状のかっこいい橋が作られたものである。





































「石川歴史館」より


昭和28年の洪水では、浅野川のこの大橋だけが残り、あとは流失した
という。
現在の犀川大橋よりも情緒があって好きな橋である。
平成元年度金沢都市美文化賞の碑が建てられていた。




















橋のたもとには、藩政期に金沢に三つあったうちのひとつの火の見櫓
が復元されていた。明治の中期まで実際に存在していたという。




















横にアメリカ人が撮ったというその当時の写真があったが、それを基に
復元されたのであろうか。




















橋場町の町名の由来は橋のすぐそばにあったからという単純な理由である。
天正年間にはこの辺を「懸作」や「掛作」と呼び、商人が浅野川の河原に
掛作(仮屋)を作って商売をしていたという。




















川沿いに少し歩くと飲食店がいくつかあり、ラーメン屋の「若大将」や
割烹の「魚常」などがあった。
何年か前に会社の飲み会で「魚常」に一度入ったことがあるが、浅野川の
夜景を見ながら飲むのも風情があってよかった。




















そういえば5年位前に水害があり、この付近の家は軒並み浸水した。
川の前の水門が開いていて、門の鍵がなかなか見つからなかったとかで
被害が大きくなったということで、県と近所の人たちで賠償問題で長く
もめていたが、最近決着が付いたらしい。
行政の防災対策のハード、ソフト面ともしっかりしたものにしてもらいたいものだ。

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2013年6月23日日曜日

山陰、山口、宮島ドライブ(7) 宮島

6日目は、朝8時ごろに宮島に向かうフェリーに乗った。
約10分ぐらいで宮島に着いた。








































さっそく厳島神社に向かって歩いた。途中鹿が人を恐れるようすもなく
のんびり休んでいた。




















ここは何といっても、朱塗りの大鳥居と社殿が海上に浮かぶ世界的にも
まれな神社が有名で、世界遺産になっている。
6世紀に創建されたが、去年の大河ドラマに出ていた平清盛が再建した
という。





























































やはり50年前の修学旅行できているが、この時は干潮時で、鳥居の近くで
撮った集合写真が残っている。
今日は、午後2時ごろが干潮時なので、午前中は鳥居近くまで歩いていけない。

神殿のほとんどが国宝で、ゆっくり願いをこめてお参りした。




















朱色の東回廊から見る大鳥居は見ごたえがあった。




























































参拝した後、表参道をぶらりと歩いた。修学旅行生がここにもたくさんいた。




















もみじ饅頭のお土産を買って、昼食にはちょっと早かったが、焼きがきと
アナゴ飯を食べた。(食べている途中で思い出して撮った。申し訳ない)





















世界一という大きなしゃもじが展示されていて。




















そして正午前にフェリーに乗り宮島を出た。

ここから帰途に着き、車にガソリンを満タンにして、金沢までは600km以上で、
家に着いたのは午後9時ごろになった。

今回のドライブは主な観光地をゆっくり見ることができ、大変楽しいものとなった。
ツアーと違って、マイプランは自由な時間、自由なところへ行けるのがよい。
トイレへ行くのも、お土産屋へ寄るのも好きなときに行ける。
次回、機会があればまた計画したいと思っている。

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2013年6月19日水曜日

山陰、山口、宮島ドライブ(6) 萩、秋吉台、錦帯橋

5日目はまず萩美術館に行った。
というのも昨日、萩博物館で案内していただいた人から、今日から
「山口伝統工芸展」が開かれるから見に行ったほうがいいよと言わ
れていた。
午前9時から開館だったが、15分前に着き、結局開館一番乗りだった。
「山口伝統工芸展」では山口県の伝統工芸の技を受け継ぐ工芸作家たちの
陶芸、硯、金工、漆芸などを見ることができた。




















萩焼は400年ほど前に、毛利輝元が朝鮮より連れてきた者に焼かせたのが
始まりという。
萩焼は陶器であるが、石川県の九谷焼は磁器であることを美術館の担当の
人が教えてくれた。映像で萩焼の工程を見ることができた。
九谷焼は絵付けがきれいであるが、萩焼は地味な色合いで渋い味わいが
ある。
加賀象嵌についてはこのブログで少し紹介しているが、ここで象嵌の作品も
見ることができた。
萩の町を出る際に。道の駅で、普段使いのリーズナブルな萩焼の湯のみ茶碗と
800円で大量に入った夏みかんを買った。




















続いて、秋吉台に行き、日本最大のカルスト台地を高台から眺めた。
実はここは約50年前に高校の修学旅行で来ている。写真は残っているが、
まったく記憶が無い。




















この近くにある秋芳洞に入った。ここは秋吉台の地下100mにあいた
鍾乳洞である。この入口はなんとなく50年前を思い出した。




















小学生、中学生などの団体客がいっぱいいた。
今日は外は大変な暑さであるが、中に入るとひんやりした。いつも17℃で
一定であるという。
いろいろな形の石灰洞に名称が付いていて、「黄金柱」(かっては滝だったという)
「傘づくし」(天井から下がる鍾乳洞が傘のように見える)、「百枚皿」(斜面を流れ
落ちる水が石灰水を沈殿させ皿のようになった)といったものがすごかった。


































































100年で3cm伸びるというから、「岩窟王」は約8mあるので何万年かかって
できたというこになるからすごい。




















つぎに高速道路に乗り岩国のほうに行った。
ここで有名なのは何といっても錦帯橋と岩国城だ。
ここも修学旅行できており、写真が残っている。その時は橋を渡らなかった
記憶がある。




















岩国3代藩主がアーチ橋を考案し、1673年に完成した。その後、何度も
架け替えがなされているが、優美な姿を変えることがなかったという。




















いろいろな角度から見たが、下から見ると非常に精巧なつくりであることが分かる。




















橋を渡るのは有料で、渡ってみたが、トップの丸くて平らな部分と段差の小さな
階段の境が分かりづらく、ちょっと歩きにくかった。




















その後、ロープウェイに乗って、山頂に立つ岩国城に登った。
岩国城の天守閣から見る錦帯橋も面白く見えるし、岩国市街もきれいに
見えた。




















岩国城は江戸時代に藩主が5年かけて築いたが、7年後に徳川幕府の
策で取り壊しになり、昭和37年に再建されたという。
私が修学旅行で見たのはその2年後である。




















その日、フェリーが出る宮島口のホテルに泊まった。
夕食は鯛の刺身など、鯛尽くしの料理が非常においしかった。


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2013年6月16日日曜日

山陰、山口、宮島ドライブ(5) 津和野、萩

4日目は三瓶山から津和野に向かった。
海沿いの一般道路をナビで選んで走ったが、思いがけなく時間が
かかり、津和野まで3時間半かかってしまった。
これは失敗で、石見銀山から戻るよう位置の三瓶山で泊まるの
ではなく、津温泉か浜田付近のホテルで泊まればよかったと反省
しきりだった。

津和野駅の横の駐車場に車を止めた。
ここに、D51の蒸気機関車が置いてあった。これは土日限定で
SL「やまぐち」号が新山口~津和野まで走っているからであろうか。




















津和野は山口県と島根県との境に位置する山間の城下町で、
小京都とも呼ばれている。

街を歩いていると、白壁土蔵と錦鯉が見れた。




















鯉とあひると共存していて、餌を取り合っていて面白い光景が
見られた。




















殿町どおりには、酒屋さんがたくさんあり、店の前には球状のものが
ぶら下がっていた。




















またこの街には一際目を引く、津和野カトリック教会に入った。
礼拝堂は畳敷きでステンドグラスもきれいだった。




















森鴎外や西周などを輩出したという藩校の養老館があったが、休館で
中は見れなかった。




















続いて津和野から萩に向かった。
まず学問の神様と知られる松蔭神社に入った。




















ここの境内に有名な松下村塾があり、ここで幕末の志士となった
高杉晋作や伊藤博文など日本を動かした蒼蒼たる面々が松蔭に
学んだ。




















また松蔭の両親の旧居で松蔭が閉じ込められていた部屋を見ること
ができた。




















この近くに伊藤博文の旧宅および別邸を見た。
博文が14歳から13年間過ごしたという木造茅葺平屋建ての旧宅と
明治40年に東京で建てられた別邸も移築されていて、中を見る
ことができた。








































次に萩博物館に駐車し、中に入った。5時閉館で4時20分頃に入ったが、
ガイドの人がずっと付いてくれて、早口で分かりやすく説明してくれたので
萩の街についての知識が大いについた。
松蔭や晋作の書簡や遺品をはじめ、萩の関連資料がたくさん展示されていた。
また江戸時代の街並みを再現したジオラマも展示されていた。




















博物館の敷地に夏みかんがたくさんなっている木があり、街の中で珍しい
ものを見た。




















続いて、萩の町屋などを見学した。
藩御用達の豪商、菊屋家の邸宅は今もきれいに残っており、
玄関の横ある長い白壁土蔵はすばらしいものであった。




















付近に高杉晋作の誕生地や銅像あるいは木戸孝允の旧宅など
があった。




















途中に何軒か萩焼のギャラリー兼販売店があり、ぶらりと入り眺めた。




















ここの通りにも地面に金属で通りの名称が書いてある板ははめ込まれていた。




















また「キモノスタイルカフェ」という店に入りコーヒーで一服した。
ここではキモノをレンタルし城下町を闊歩するようになっている。

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