2014年12月30日火曜日

年末の武蔵が辻界隈(1) 近江町市場 ル・キューブ 

年末の武蔵界隈を散歩した。
この辺は、来年春に新幹線が開業するということで、金沢駅と観光地の金沢城・兼六園あるいは東山茶屋街の通り道になるので、いろいろ工夫を凝らして人を呼び込もうと変わってきているところだ。まず、近江町市場の様子を見に行った。やはり年末・年始の休みなので、地元の人や観光客で一杯だった。




















高価なカニや大きな寒ぶりを買って、持ち帰りや送るだけでなく、最近では気軽にその場で食べられる手ごろな値段のカニや魚介類が売られていた。








































内子が独特な味で人気のコウバコガニ丼屋さんの前には長い行列ができていた。




















アマエビがたくさん詰まったコロッケや、蛸コロッケ、カニコロッケなどが売っている店の前にも多くの人が買い求めていた。




















近江町市場の市姫口の向かいには、箱を積み立てたような変わったデザインのビル「ル・キューブ金沢」がある。ここは長い間空きスペースの土地であったが、今年の春にようやく菓子製造会社の「だいいち」(加賀市)がマンションと店が入る複合ビルを建てた。武蔵を活性化できるであろうか?




















この場所には以前「丸越デパート」があり、子どものころによく遊びに来たものである。次の写真は昭和の始めごろの「丸越デパート」で、今の「エムザ」のあるところに「田守呉服店」の店が見える。(もちろん、その頃は私も知らないが)
















「昭和の金沢」より




この後、1973(昭和48)年に現在の場所に「名鉄丸越」が移り、そして「スカイホテル」が建ち、この場所には「スーパーダイエー」ができた。












「昭和の金沢」より







「ル・キューブ金沢」の建物の中に入ると、お菓子屋の「金澤 福うさぎ」の大きな店が玄関近くにあり、五郎島金時を使った「紅白の福うさぎ」や来年の干支の羊をあしらった饅頭などが売られていた。その向かいには「花えにし」という「金澤棒茶」や地酒や雑貨などを売っている店があった。




















2階には、洋食の「ふくろ亭」や「はこまちダイニング メグ金沢」などレストラン、スィーツ・カフェなどの店があり、どれも今風の洒落た店だ。また、「バンケットルーム 東山の間」は結婚式や歓送迎会などの宴会に使われるという部屋もあった。






















2014年12月25日木曜日

東山茶屋街 夕暮時の風景

今回は、東山茶屋街 夕暮時の風景を見に行った。祭日(12月23日)の夕暮れ時だったので、観光客は少なかった。(金曜日、土曜日の夕暮れ時はもっと多いはずだ)
茶屋街のメインストリートの入口にある紅柄色の建物は、柳の前に立ってカメラを撮る人が多い場所だ。
ここは以前、料理屋「蛍屋」だったが、12月18日から「箔一」が経営するギャラリー「金澤東山・しつらえ」が開業したばかりである。金箔や輪島塗を使用したギャラリーで工芸、宝飾が展示されているという。また、カフェもあり、別の部屋では芸妓が筝曲などを披露することもあるという。




















メインストリート沿い(2丁目)は江戸時代にタイムスリットしたような茶屋街で、夕暮時は茶屋の玄関に「灯り」がつき、昼間見るのと違った趣があり、すばらしい風景だ。




















1820(文政3)年に東山茶屋街が開かれたが、ここにある「志摩」は、その当時そのままの建物で、芸妓の舞などを見る「客間」や「控えの間」など内部の部屋を一般公開している。坪庭を見ながら抹茶が頂ける。ここは歴史的価値が高いことから国の重要文化財に指定されている。




















向かいにある「玉くしげ」には九谷焼などの工芸品やジュエリーなどが展示されている。
ここの2階の「中むら」は「お座敷体験」ができる。








































レトロな街にあった雰囲気のガス灯



























メインストリートの突き当たりの加賀麩「不室屋」には加賀料理で有名な「治部煮」に使われる「すだれ麩」や「くるま麩」などを販売している。2階は茶屋「春の家」では現在でも「芸妓の舞」が見れる数少ないところである。また隣には麩料理が食べられる「お食事処」となっている。








































隣の小路(3丁目)も茶屋街が並び、風情がある。





















ここの通りには金沢の和菓子屋の「森八」や芝舟「小出」の店がある。また、「玉とみ」など茶屋を改修した喫茶処などがある。





















角に「金箔屋 さくだ」の店があり、ショウーウィンドーには多くのきらびやかな金箔のグッズが展示されていた。
中に入ると、ごとごつした恐竜の置物に金箔が施されていたが、尖っているところが多くあるので金箔を貼る作業も細かい仕事となるだろう事が想像される。この下地は鋳物だと言っていた。横にあったお盆の金箔貼りは平らな部分が多いので楽だろう。下地はプラスチックだと言う。恐竜の置物のほうが大きさは小さかったが、価格は6~7倍高かった。
この「金箔屋 さくだ」は小路を少し歩くと大きな店があり、そこでは、非常に薄い熟練を要する「箔うつし」が見学できるし、また「金箔貼り」などの体験もでき、自分だけの金箔工芸品を作ることができるという。




















東山茶屋街を出て、近くの浅野川にかかる「梅の橋」のライトアップも幻想的な風景だ。

2014年12月21日日曜日

長町武家屋敷 薦がけ 

今回は、金沢の冬の風物詩となっている長町の武家屋敷跡の土塀に「薦掛け」を見てきた。




















「薦がけ」は、12月1日から次の年の3月中旬まで設置されるもので、薦は金沢の雪が水分を多く含んでいるので、土塀に浸透した水分が凍って痛んだり、雪解け時に土がはがれたりするのを防ぐためだという。
金沢市は1986(昭和61)年から行っていて、金沢職人大学の学生や卒業生と指導する造園庭師らが薦を土塀の腕木に縄をつるす作業をする。12月1日には見学や体験会も行われたので、多くの人が来ていただろう。





















この通りのクランクになっている場所にある「大屋家」の土塀もきれいに薦掛けされていた。
この「大屋家」は、唯一、武士の子孫が住んでいる家で、幕末から明治のかけて洋学者として活躍した「大屋よしあつ」の家で、この人は金沢に西洋文化の灯をともし、金沢に教育を定着させた人である。
ここの家は敷地が広いので、実のなる木の梅、杏、桃、栗、柿やノブキ、ショウガなど食べられる植物が多く植えてあるという。





















「長町二の橋」から見た武家屋敷の「薦がけ」で、全国の他の町にはない、なかなか風情があって、すばらしい光景だと思う。





















大野庄用水沿いの「薦がけ」
この日は用水にあまり水が流れていなかった。
「薦がけ」をする以前は、土塀がよく壊れたらしい。土塀維持、保存ため金沢市で助成金を出している。





















加賀藩士「高田家跡」の玄関を見た方からの「薦がけ」と庭の「雪吊」
この高田家は中級武士の「平士」で550石あったという。ここには現在「長屋門」と「庭」が再現されているが、残念ながら母屋はない。中に入ると平士や長屋門に住んでいた付き人の「仲間」(ちゅうげん)などについて詳しく説明書きがあるので、後日、紹介したい。





















続いて、「足軽屋敷」の玄関





















「足軽屋敷」の庭
この「足軽屋敷資料館」も中に入ると、加賀藩の足軽の生活状態についての詳しい説明書きがあるので、後日、紹介したい。




















2014年12月16日火曜日

石川県伝統産業工芸館(2)加賀友禅 加賀縫 金沢漆器 加賀象嵌 金沢仏壇 

石川県伝統産業工芸館の2階には第1展示室が「衣・食・住」に関わるもの、第2展示室工芸品には「祈・遊・音・祭」に関わる36業種の展示されていた。
全国的に有名な金箔、九谷焼、加賀友禅、輪島塗のほか、いろいろな石川県の伝統工芸品が見ることができる。




















まず、「加賀友禅」は「加賀五彩」といわれる、えんび・藍・黄土・草・古代紫などの色を基調として描かれる花や植物、風景などの自然をモチーフにした写実的なデザインにあり、武家風の落ち着いた気品があるといわれている。作業工程は京友禅ほど分業化がなされていないので量産には不向きであるが、反面一貫性のある製作ができるため、作家独自の個性が発揮され、友禅流しで仕上げられる本染めの味わいが大きな特色であるという。そういえば、最近「兼六園」や「ひがし茶屋街」に行くと友禅の着物を来た観光客が闊歩する姿をよく見かける。




















「加賀縫」は、江戸時代に加賀友禅の加飾などに使われて発展したが、明治以降は洋風の飾り刺繍などが行われた。模様が生地の表裏とも同じであるため糸切れなどの補修が容易であることや、肉入れ刺繍やボカシなど立体感のある技法から生まれる豪華で繊細な表現にある。一針一針丹精する加賀縫は金糸、銀糸などを多用しながらも気品にあふれている。








































「手捺染型彫刻」は友禅や小紋の柄や紋様を染めるための型紙彫刻である。薄い楮和紙(美濃和紙など)を縦横に柿渋で張り合わせた紙を切り抜いていくもので、その技法は半円形の小錐を使う錐彫や、正方形や星型などの文様に合わせた道具を使う道具彫りなどがあり、精微な文様を彫り上げていく。家紋をつけた羽織袴やのれんなどはこの型紙を使ったものなのだろう。




















「金沢漆器」は寛永年間(1630年ごろ)桃山文化を代表する高台寺蒔絵の巨匠、五十嵐道甫が藩の指導者として招かれ、その技法を伝えたことによる。
一品物の美術工芸品といった趣が強く、調度品や茶道具が主に作られている。蒔絵は丸粉仕立てを主に、熟練を要する高蒔絵や繊細な技法による肉合研出蒔絵など「加賀蒔絵」として知られている。
最近は、茶屋街の公開されている部屋の座敷に「加賀蒔絵」のテーブルなどが展示されている。




















「加賀象嵌」は藩政期初期に京都から招かれた金工の後藤琢乗が装剣技術を開発したのが期限とされる。「加賀象嵌」は平象嵌の技法を特徴とし、金属の面に0.1~0.2ミリの深さに掘り下げ、底部を広げる。次いで紋様に別の色の金属をはめ込み、上から槌とタガネで打ちならす。打ち込んだ紋金がアリの部分に伸び広がり、いかなる振動があっても抜け落ちないように固定される。
この金属をほることを「彫金」という。ここには文鎮や帯止めなどが展示されていた。




















「蒔絵」は素材(木材など)に漆や金粉を載せる。「沈金」は金属を彫り、その彫ったところに漆や金箔などを入れる。




















石川県は仏壇の産地として有名で、金沢、美川、七尾の3地区がある。これは北陸の布教に尽力した蓮如上人による浄土真宗に始まる。一向一揆により「百姓の持ちたる国」として百年に渡る道場での信仰から仏壇は欠かせないものとなった。
仏壇作りは、細工所の流れをくむ木地師、塗師、蒔絵師、彫刻師、金具師などの分業体制で作られる。
「金沢仏壇」の特色は加賀蒔絵の伝統を受け継いだ美しさと、渋い上品さにある。木地は耐久性を重視し、骨組みはアオモリヒバ、板物は銀杏などが使われ、堅牢な仕上げとなっている。さらに蒔絵に施された象牙や青貝の象嵌、金箔を十分に使ったきらびやかな加飾は、藩政期以来の伝統工芸の集大成である。


2014年12月11日木曜日

石川県伝統産業工芸館(1)石川の工芸の歴史

今回は、兼六園内の小立野口にある石川県伝統産業工芸館に行ってきた。
ここは、以前は石川県立美術館だったが、出羽町に新築されたので、現在は石川県伝統産業工芸館になり伝統工芸品36種を展示紹介しているので、ここへ来れば石川の伝統工芸が一同に見れる。




















この建物は、文化勲章保持者で金沢市の市民栄誉賞保持者の「谷口吉郎」の作のものである。
ここは、もと石川県立美術館のころに、私が中学生だったか高校生だったか忘れたが「日展」が開催されていて、学校から見に来たことを覚えている。どんな絵や彫刻が展示されていたかは全く覚えていない。




















石川県や金沢市の魅力は、観光地の兼六園・金沢城、茶屋街、武家屋敷の他に、食と工芸がある。この工芸について、なぜ石川県で発展しているかを紹介する。
金沢の町を作った藩祖前田利家、2代利長、3代利常などは超一流の茶人「千利休」や「仙そう宗室」などと交流があり、茶道を武士にも奨励した。茶の湯では優れた茶道具が使われ、茶の湯が盛んな土地では今でも工芸活動が行われているという。この茶人たちの優れた美の感性が金沢の工芸活動や文化の土壌づくりに大きな影響を与えたものといわれている。
また、江戸時代において、前田家は100万石の大藩だったので、徳川幕府の警戒の目を避けるために、100万石の経済力を文治政策に力を注いだという。


























特に3代利常と5代綱紀は、京都や江戸などから多くの学者、文人、茶人、工人たちを招き、藩内に滞在させ、藩内の武士や町人が交わることで知識、技能を教え、人材が育成されたという。他に、全国から貴重な書物、文献、参考素材などを積極的に収集もした。
5代綱紀が収集した蔵書「尊経閣文庫」や各種の製品や標本を集めた「百工比照」は後の石川の工芸に大きな影響を及ぼしたという。


























金沢城内の新丸に「御細工所」をつくり(後に今の旧四高記念公園付近に移す)、当初は武具や武器を修理する施設だったが、京都や江戸からの指導者によってより高度な工芸品を作るようになった。こういったことが加賀藩は美術工芸の優れた文化の国として知られるようになったという。
ここの細工者たちは本業の細工のほかに兼芸として能楽をすることも義務付けられた。この能楽を通じて細工者としての豊かな感性や知識を育み、技能者としての資質を高めることにもなった。
また、この「御細工所」の存在は、京都の工芸文化と違う独自なものを作るきっかけになったという。














「よみがえる金沢城」より





明治になって「御細工所」がなくなり、工芸は一時衰退したが、殖産興業政策により工芸品の展覧会開催や勧業博物館や金沢区方工業学校(現在の石川県立工業高等学校)ができ、再び石川の工芸は復興した。戦後は金沢美術工芸専門学校(現在の金沢美術工芸大学)が開校し、数多くの巨匠を生んで今日に至っているという。
現在では、金沢市の「卯辰山工芸工房」や「金沢職人大学」で藩政期からの「ものづくり」の技の継承、発展に努めている。
金沢市は2009年にはユネスコから創造都市ネットワークのクラフト(工芸)分野で世界で初めて登録されている。

2014年12月6日土曜日

北陸新幹線金沢開業 カウントダウンフォーラム

今回は、北国新聞赤羽ホールで、石川県内の機運を高めるためのイベント「北陸新幹線金沢開業 カウントダウンフォーラム」が開かれるということで見に行った。(11月29日)開業まであと105日となる。
会場の前には「ひゃくまんさん」が出迎えてくれた。「ひゃくまんさん」は北陸新幹線開業PRマスコットキャラクターで、テレビでは何度も見たことあるが、現物は初めてだ。
からだに金箔をちりばめて、ひげは黒漆でできており、加賀友禅を身にまとい、久谷五彩をあしらったきらびやかな格好をしている。当初は派手すぎるとか「ひげ」があるのでかわいらしくないとかいろいろ意見が出ていたが、今は定着し違和感はなく、握手している人が多くいた。




















館内に入ると、既に多くの人が来ており、皆さん新幹線が来ることへの期待感があるようだ。




















早速、オープニングイベントとして、金沢三茶屋の芸妓さんによる「金沢芸妓の舞」ということで直木賞作家で金沢ファンの村松ともみさん作詞の総おどり「金沢風雅」を踊った。




















続いて、主催者代表の飛田金沢経済同友会と谷本知事の挨拶があった。
その後、野中雅志JR西日本金沢支社長が「北陸新幹線を活用したJR西日本の取り組み」という題で講演があった。
この中で、開業効果を最大化するためには、拠点となる新幹線駅からの二次交通をどうするかだと言っていた。このために、七尾線の観光列車「花嫁のれん」号には輪島塗、加賀友禅をあしらい、「のれん」をくぐった人が幸せになれるといったアイデアを検討している。
また、新設特急列車(リレー特急)の「能登かがり火」は金沢ー和倉温泉、「ダイナスター」(恐竜の英訳)は金沢ー福井などを走らせる。
来年から「白山スーパー林道」が半額になることから「白山、白川郷ホワイトロード」と称し、金沢、五箇山、白川郷、高山をバスで結び、また、富山と七尾をバスで結ぶことにより富山と能登の回遊性がよくなるなど交通網を形成することにより首都圏からの観光客を増やすことなどの話があった。
他に、コインロッカーの増設や手荷物宅配サービスの充実により「手ぶら観光」の促しや「置き傘」の設置の計画をしている。





















続いてパネル討論が行われ、高山純一金沢大学教授が司会をし、観光ボランティアガイドの喜多会長、輪島市番場崎商店の塩安専務、県酒造組合の中村会長などが開業効果を高めるために何をしているかを話した。
高山さんが「来た時どうなるのか分からないが今はワクワクしている」と言っていたが、私も同じである。
喜多さんは「育成には知識より人柄が大事」と言っていた。
外国人が増えるのは間違いないだろうから、観光ガイドには、少なくとも簡単な英語はできるようにしなければならない。(外国人が日本に来て一番不満なことは、コミュニケーションをとれる日本人が少ないことらしい)
中村さんは観光客が一気に増えても接客の質を下げないことが大事だと言っていた。




















いずれにしても、金沢市にとっては100年に1度あるかないかの盛り上げのチャンスである。「我が故郷」を愛するものにとっては是非このチャンスをものにしてもらいたいものである。