2012年11月29日木曜日

福山、尾道散歩(1)

私の妻の親友が、原因不明の難病で入院しているということで、
お見舞いに広島県の福山市に車で行った。
片道7時間かかり、久しぶりの長いドライブである。

そのついでに福山と尾道の観光地を散策した。
福山駅の前にある福山城公園に行った。
福山城は1622年に徳川家康のいとこにあたる水野勝成が築城した。
当時から残る伏見櫓と筋鉄御門が国の重要文化財に指定されている。
立派な天守閣があったが、これは後から建てられたもので、なかは
福山城歴史博物館として公開されている。
「湯殿」というものが戦災で焼失されたので外観だけが再現されていた。




























































駅から見る福山城の石垣は高く見事であった。
堀などもあったが、埋められてしまったという。




















次に福山城から車で15分位のところにある明王院を訪れた。
807年にかの有名な弘法大師空海の開基と伝えられ、もとは常福寺
といっていたが江戸時代に現在の名称になったという。
本堂と五重塔は国宝に指定されていて、本堂には木造十一面観音立像が
収められているという。
また五重塔は1358年に建立で、全国の国宝塔の中でも五番目に古いという。




















山門から本堂を見る




















夕食はホテルの近くの居酒屋に入って一杯飲んだ。
鯛をはじめ瀬戸内海のうまい刺身や広島の焼きがきなどを食べたが
たいへんおいしく、リーズナブルでよかった。

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2012年11月23日金曜日

市民芸術村 泉鏡花フェスティバル

大和町にある市民芸術村で、泉鏡花フェスティバルが5日間ある
ということで、最初の日に行ってきた。
最後の日に、泉鏡花文学賞の受賞式があるということで、見たかったが
もう既に申し込みがいっぱいで受付が終了していた。

泉鏡花は17歳で東京に出て、尾崎紅葉の弟子として小説を書きはじめたが、
小さい頃育った金沢を舞台にした作品が多い。

徳田秋声の自然派とは違って、ロマン主義文学の作家として活躍したが、
鏡花の「怪奇」、「幻想」、「妖美」な世界に触れることができた。










































鏡花の作品のなかで「化鳥」という作品があるが、これは浅野川の中の橋
で渡る人から一文銭をとる母と子が、渡る人や川の中でくりひろげられる
ことをモチーフとしている。この作品のイメージしたデジタルアートを見ること
ができた。

その他鏡花の作品をjめイメージした絵、金属造型や刺繍などのアート作品
を見ることができ、鏡花の世界に引き込まれるような感じになり、不思議な
経験をした。




























































この市民芸術村は大和紡績の金沢工場の跡地であったが、現在は
そのレンガ造りの建物を利用して、音楽など芸術に関するいろいろな
イベントなどをやっている。

私が中学生の頃に、この大和紡績に工場見学に来た記憶がある。
もうもうとしたあまり環境のよくない工場の中で、女工さんたちが紡績の
機械を動かしていたのを覚えている。








































最近ずっと雨が多くて、ゆっくり散歩できないが、こういう日は、建物の中の
イベントを見るのもひとつの方法だ。
今日の見物時間は1時間30分

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2012年11月18日日曜日

卯辰山 花菖蒲園から望湖台(2)

前回の続きで、清水誠の顕彰碑から車道を上がって
脇の道に入ると、覚林寺の裏に出た。
そこにはペットの立派な墓があった。よっぽどかわいがっていたのであろう・








































また、その上に善妙寺という寺があった。
ここには泉鏡花の作品に出てくる摩耶夫人像が安置されている。








































また、8mの高さのある日蓮上人像が建っていた。像は日本海のほうを
にらみつけているようであった。
境内はゆるい坂になっているが、中学生のときに卯辰山のスキー場の帰りに
この坂を何度も滑った記憶がある。そのときには、今ある日蓮上人像が
なかったような気がする。








































次に玉兎ヶ丘に行くと鶴彬の句碑があった。
鶴彬は反戦の川柳作家で、歩兵7連隊で共産青年同盟の機関紙を配る
「赤化事件」を起こしたことで有名である。




















望湖台に上がると、徳田秋声の文学碑があった。
士族の子であることから武家屋敷の塀の形をしているが、この塀には
室生犀星などが書いたものと思われる板が貼ってあった。








































望湖台はその名のとおり金沢市街がよく見わたせ、日本海がくっきり見えた。




















帰りに「スカイ&ブルー」というカフェに寄った。ここからの眺めも最高で
見晴らし抜群のカフェであった。
店の人に聞くと、ここはもうすでに28年前に開店したという。
私が東京から金沢に来てすぐの1年半はこの近くの小阪神社付近の
借家に住んでいたが、その頃にはもうすでにあったということになる。








































今回の散歩の場所は以前にも何回か来たことがある場所だが、
ゆっくり見て歩くのは初めてで、新しい発見があった。

2時間10分 、4200歩の散歩でした。天気がよく気持ちがよかった。


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2012年11月14日水曜日

卯辰山 花菖蒲園から望湖台(1)

卯辰山の花菖蒲園から千杵坂を登ると、うっそうとした
木々が茂り、ひっそり静まりかえっている。
ここは最後の藩主 14代前田慶やすが卯辰山の開拓をした時に
建設したところで、、幕末の風景がそのまま残っているという。




















開拓当初の頃のこの付近の絵図があるが、随分にぎわっていたようだ。
(四季こもごもより)




















千杵坂を上り次の坂の脇に安達幸之助の墓があった。








































二の坂を上ると、招魂社記念碑があった。
ここは北越戦争、西南の役、日清、日露戦争の殉職者が祀ってあったが、
昭和10年に出羽町の護国神社に移された。
「小川隊」という墓があったが、いつの戦争の殉職者の墓であろうか?








































一の坂を上ると卯辰三社の卯辰神社、愛宕神社、豊国神社がある。
卯辰神社は兼六園の竹沢御殿から遷座され天神様と呼ばれていた。
愛宕神社は武門の神が祀られている。
豊国神社は豊臣秀吉を主祭神とする。
平日の午後であったが、数人の人が観に来ていた。




























































車の通る道路を渡り、階段を上ると津田米次郎の銅像がある。
津田米次郎は日本で初めて羽二重を織る力織機を発明した。
これができるまでには、失敗の連続で大変苦労したという。




















脇の階段を上って、車道に出るとその傍らに清水誠の顕彰碑がある。
清水はマッチ産業の父として有名であるが、若いときに加賀藩の命で
フランスに留学し、いろいろな機械の見学やフランスの生活ぶりを記した
ものを残した
徳田寿秋著の「海を渡ったサムライ達」のなかに詳しく載っている。
以前、私も読んだが、その頃のフランスの様子がよく分かり、たいへん
面白かった。

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2012年11月9日金曜日

湯涌温泉(2)

前回の続きで、その後、温泉の入口から左に曲がると
金沢湯涌温泉江戸村に着いた。
30年位前には、白雲楼のもっと奥に旧江戸村があった。
加賀八家の横山家の屋敷(?)や加賀藩の商家、農家があった記憶がある。
入口の土産屋がレンガ造りの建物であったが、これは明治時代の
長町にあった製糸工場の一部を移築して使っていたということを
聞いたことがある。

新しい江戸村は江戸時代の加賀藩に建てられていた農家、商家
や武士住宅があった。




















商家の松下家は、現在弥生にある松下菜種店が旧泉町の北国街道沿いに
あったものを移築したものである。石置き屋根で、表の戸は店が開いているときは
引き上げられ前面開放されるという。




















旧永井家は大正から昭和にかけて政界で活躍した永井柳太郎の生家で、
江戸時代は足軽の住宅であった。




















農家ゾーンではかやぶき屋根の家が3棟並んでいた。
ここの前では、昔、われわれがよく遊んだコマ、けん玉、水鉄砲や竹馬が
おいてあって、来ていた子供たちやおじさんたちがそれを使って一生懸命遊んでいた。
私も子供の頃得意だったのでやってみたが、コマはぜんぜん回せなくなっていた。
昔とった杵柄も今ではうまくいかなかった。








































最近湯涌町では、家の前や道路わきにいろいろな格好の案山子が置いてあり、
目を引いた。いろいろなアイデアを出し、客集めの工夫をしているのだなあと
思った。







































































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2012年11月5日月曜日

湯涌温泉(1)

今回は、金沢の奥座敷といわれる湯涌温泉に行った。
ここは以前から。会社の忘年会や学校の同窓会あるいは近場の
ドライブなどで何度か訪れている。

伝承では718年に羽を休めていた白鷺が飛び立った泉から
温泉が湧き出ていたのを、近隣の職人が発見したのが始まりという。
藩政期には歴代藩主の湯治場としても栄えた。

以前に何度か入ったことがあるが、白雲楼という立派なホテルがあった。
できた頃は東洋一のホテルといわれたが、ここ10数年前に
閉鎖してしまった。
建物はまったくなくなって、今は芝生の公園になっているという。




















まず温泉街の奥にある玉泉湖を一周した。
ここは湯の川をせき止めて造られた人造湖だそうだ。




















玉泉湖のほとりに雪を蓄える氷室小屋が建っていた。
氷室開きには夏の風物詩として観光客に人気がある。
雪詰めは1月の最終日曜日、氷室開きは6月30日に行われている。
今はひっそりとしていた。




















白鷺の湯(湯涌温泉総湯)の横の階段を上ると薬師堂という仏堂がある。
境内には竹久夢二の詩碑があった。
また、階段の途中には足湯があり、多くのお客さんが、足湯に浸かって
一息していた。








































湯涌温泉といえば、やはりなんといっても有名なのが、1917年に
人気作家の竹久夢二が愛人の笠井彦乃を連れた逃避行で約一ヶ月
逗留した場所である。その旅館は今でもあり、「お宿やましたや」ということらしい。




















金沢湯涌夢二館は、夢二ゆかりの品々が陳列されている。
以前にも入っているので今回は入らなかった。

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