2017年10月29日日曜日

東北地方北部ドライブ(1)仙台市

満を持して3年ぶりで長期のドライブに出かけた。今回は、8泊9日の旅で岩手、青森、秋田の3県を中心に周った。朝6時30分ごろ家を出て、北陸自動車道から磐越、東北自動車道を通り仙台市に向かった。「磐越道」はマイナーな高速道路で、かなり対面通行となっている所が多いので、気を付けて運転しなければならない。
途中サービスエリアにいくつか止まり、一休みした。
下の写真は「阿賀野川」サービスエリア



















続いて「磐梯山」で止まり、ランチを食べた。ここでは、私の好きな「喜多方ラーメン」を食べた。



















ここからは「磐梯山」はきれいに見える。



















そして1日目の宿泊する仙台市に着いたのは3時ごろのなった。仙台では3年前に一度訪れており、「青葉城址」や「伊達家の御廟の瑞鳳殿」、「大崎八幡宮」などを見たので、今回は、「仙台博物館」に行ったところ、この日から「伊達政宗誕生450年展」が開かれていた。



















博物館前にあったモニュメント
























伊達家の史料や絵図、その他お宝がたくさん展示されたいたが、博物館内の展示物はカメラ禁止だったので紹介できない。



















「伊達政宗」の所領の変化の地図が掲示されていたが、福島、宮城、山形、岩手県と跨っているほど大きく変化していた。この東北に絶大な影響力を持っていたのだろう。



















またどこの都市にもあるが、立派な「仙台市史」が並べられて置かれていた。



















仙台駅付近のホテルに荷物を置いた後、近くの居酒屋に入り、仙台で名物の「牛タン焼」と「おまかせお寿司」のリーズナブルなセットとビールを注文し、舌鼓をうった。



















いい気分になった所で、仙台の夜の商店街をぶらついた。さすが東北地方一番の大都市で百万都市の商店街だけあってアーケードの下にセンスの良い店がずらりと並んでいた。

































続いて、「仙台駅」の様子を見に行った。



















最近、新幹線の金沢ー仙台間が乗り換えなしの直行列車ができたばかりであるが、約4時間で仙台に来れる便利な時代になった。そのうちにまだ見ていない仙台の七夕も見たいのだが。

ステーションビルのレストラン街に「仙台発祥 伊達の牛タン」のレトロな絵が描かれていた。



















帰りに、今仙台で行列が絶えないという「ずんだ餅」などが売っている店で「ずんだシェイク」を味わった。

2017年10月25日水曜日

手取峡谷 不老橋 黄門橋

さらに手取川の下流に向かうと、「不老橋」がある。このお辺りは手取峡谷の中でも最も鋭い峡谷になっているところである。
手取峡谷は、日本海形成時の火山活動によってできた岩石からなる台地で、急流な手取川が下方に削り込んでできた渓谷で、「不老橋」から「黄門橋」あたりが一番の見どころで、約8㎞に渡って続いていて、様々な景色がみられるところである。



















橋の上から上流側の眼下の景色で、大きな岩が所々にあり、その岩は穴が開いていたり、穴に入った石が水の流れで回転することによってできた、さらに大きな穴(甌穴)などいろいろな形状のものが見られる。両側からは滝が流れていて見ごたえがある。






































橋の下流側も、さらに深く切り込まれ、両側の岩が高くなっており、荒々しい峡谷が見られる。
























橋を超えて、小道を少し歩くと「綿ヶ滝」が見える。この滝は小学生の時に遠足で来ていて、大きな滝だったという思いがあり。滝の下に降りたらしぶきが当たって冷たかったことを記憶している。今はその時より水量が多いような気がする。
手取峡谷に滝のしぶきが落下する様が綿が舞っているように見えることからその名がついたという。32mから落下する水量は、特に近くまで行き見ると迫力にに満ち、周囲の景観も格別だという。
























「不老橋」のさらに下流に行くと「黄門橋」がある。この橋は峡谷の一番狭いところに架けられた橋で、昔から交通の要所になっていたという。江戸時代には、谷が深いため木造の刎橋で、当時は「高門橋」と書かれていたが、いつしか現在の名前に表記するようになったという。「黄門橋」は「吉野邨領十景紀行」など白山麓周辺の名所を記した江戸時代の紀行文にも紹介されており、その中では、水の勢いも強く、目もくらみ足が震えるほど高さがあると表現されているという。



















峡谷の両側の岩壁の上には緑の木々に覆われている。そういえば、兼六園の噴水近くにある「黄門橋」の名前はここの風景に似ているから付けられたという説もある。なんとなくわかる気もする。



















兼六園の「黄門橋」


「黄門橋」の下流側の眼下を見る。この辺りの水に流れ幅はかなり狭い。また横の岸壁から、ここにも幾筋かの滝が流れている。



















この辺りからは、天気がよければ「白山」も見えるという。















2017年10月21日土曜日

手取峡谷(木滑) 旧白山下駅

「道の駅 瀬名」から国道157号線を金沢方面に向かい「木滑」の信号を左の入ると「対山橋」にでる。この辺りの「木滑地区」は、手取川と高倉山に挟まれた緑豊かな小さな集落で、木で鍋を作っていたことから「きなべり」とも呼ばれていた。それが転じて「きなめり」になったという説があるという。



















「対山橋」から手取川の上流側を見る。両側は深い緑の木でいっぱいだ。



















橋を渡り右側を曲がるとサイクリングロードがあるが、その脇に建物がある。現在はここに自転車のレンタルや休憩所となっている施設があるが、実は私の思い出のある駅で、「北陸鉄道石川線」の「白山下」という最終駅であった。学生時代に白山へ登った時に、ここまで電車に乗り、「市ノ瀬行き」そして乗り継いで「別当出合行き」のバスに乗り、そして別当出合から白山登山をした。ここまで電車で来たという思い出深い場所だ。
このサイクリングロードは北陸鉄道石川線の廃線敷きを利用した43.3kmのものであるという。何人かの人がサイクリングロードを利用していた。



















建物の中は当時の切符売り場や改札口、待合のためのテーブル、椅子などが再現されていた。また時刻表や当時の電車の写真などが貼られていた。



















近くの用水の上に置いてあったのは当時のレールであろうか?またその横の建物は何に使われていたのか?屋根下の壁に、この辺りでは珍しい龍が浮き彫りにされていた。




















またその他に、銅像が建てられていたが、裏に碑文が描かれていた。それによると、大正時代に金名線を企画した「小堀 定信」氏で、金名線とは金沢から名古屋まで電車を走らせるという遠大なものであった。大正13年7月に起工し、昭和2年12月にここ「白山下」まで開通したという。これにより、この地に産業、文化、経済などに絶大な影響を与え、後の白山国立公園の具現化に貢献したことが描かれていた。名古屋までの延長は断念しているが、いったいどの経路を走らせる予定だったのであろうか?
























157号線沿いのビューポイントコーナからみた手取峡谷(木滑)の眺め


またこのコーナーの所に、「まがっとのケヤキ」という白山市指定天然記念物がある。このケヤキは、2本とも樹齢が350年で、このような巨樹が2本立って並んでいるのは珍しいという。「まがっと」の由来は、この辺りが市原と下木滑の境界で、そこを通る道が曲がっていたため「曲がっと」と呼ばれていたことに因む。

2017年10月17日火曜日

白峰から瀬名

前回の白峰の林西寺、山岸家を見た後、さらにその隣には「雪だるまカフェ」があり、コーヒーでも飲み一服しようと思ったが、ちょうどそこの店の人が出てきて4時となり店を閉めるところだった。この店は明治初期に建てられたもので、店の側面の玄関の上には、外から直接、薪などを搬入する入口がある。白峰で古くから受け継がれてきた伝統食や、雪だるまのオリジナル商品などを販売しているという。


この辺りは、日本屈指の豪雪地帯で、山村でありながら建物が密集し、明治中期ごろはいろいろな商店や施設があり、その当時の建物がそのまま残っており重要伝統的建造物群保存地区となっている。今でもその当時の面影が残っており、山奥にありながら町場のような景観を形成していて必見の価値がある所だ。



















「白峰観光」のパンフレットより












「白峰特産品販売施設 菜さい」には、堅豆腐、トチノミを使った菓子や牛首紬で作った土産物がたくさん並んでいた。



















その向かいには立派な建物の「白峰温泉総湯」があり、だれでも気軽に温泉に入れる。






次に白峰からトンネルを超えると、道の駅「瀬名」に出た。ここには以前「瀬名高原スキー場」があり、確かこの場所は駐車場であったと思う。随分前にオリンピックで優勝した有名なトニーザイラーが監修したというスキー場で、私も子供を連れて何度か来ていて、県内のスキー場では好きなスキー場だったが、いつの間にか閉鎖してしまっていた。
今では、道の駅「瀬名」に変わって、お土産屋、カフェ。レストランなどが店が並んでいて、白山スーパー林道や一里野高原などの行楽地の途中での一服する場所として多くの車が止まっていた。




















その向かいに、以前は「かんぽの宿 瀬名」があったが、これも閉鎖していた。今は「金沢工業大学」が、ここの土地を買い取り、白山キャンパスとして壮大な「国際高等専門学校(仮称)」の建物を建設中であった。最近は外国人と接する機会も多くなってきており、今後もさらに国際交流が増えることを見据えて、外国語に力を入れるための学校であろうか。





















全寮制ということなので、大自然の中でのびのびした生活と勉強ができるであろう。しかし、都会を望む学生にとっては、ちょっと不便なところである。
先日のテレビで、東京渋谷の「実践女子大」の高層マンションか大きなショッピングセンターの中にいるような豪華な校内が放映されていたが、こういうところで勉強したいという学生もいるだろう。少子化により大学側としても差別化を図り、学生を獲得するために魅力あるものに変えていこうとしているが、費用も掛かり大変だと思う。

2017年10月8日日曜日

白峰 山岸家

白峰 林西寺の続きで、さらに歩いていくと「行動寺」がある。その庫裏の上に白峰で唯一の木羽葺き屋根の上に「太鼓堂」がある。毎年、梅雨前に掃きながらすべての板をめくり、天日で乾かした後で一枚一枚葺きなおす「くれ返し」が行われる。また仏事の振れ太鼓が聞こえるように屋根の上「太鼓堂」がある。

































その隣には「旧山岸家住宅」があるが、江戸時代に天領となった白山麓18カ村の総代である大庄屋の山岸家の屋敷だそうで、大きな権限と膨大な職務を抱えていたという。したがって、屋敷は個人の住宅であるとともに、今でいう司法、警察の業務を司る役所であったという。
巨大な主屋と三階層立て、黄土色の土壁、縦長の窓に、玄関口の上部にはもう一つの出入り口がある。



















裏に回わると庭があり、その上の方の広い平らな部分やコテージがある場所、またその上の裏山にも、警察のような仕事をしていたことからいくつかの牢屋があったらしい。



















裏庭には滝石組、三尊石組、立石の守護石と一体に植栽された杉の大木、そして池の中に写実的に表現された亀石が置かれている。この亀石は不老長寿の願いとしてか大事に扱われていたらしい。



















最も奥にある部屋は仏間となっているが、天井は朱漆吹き上げ、格天井に細かい装飾がなされたきらびやかな部屋があった。



















その隣には、床の間と違い棚を備えた書院造りの立派な座敷が見えた。これらの二階縁側部には、柵を設けたベランダのようになっていた。



















木造3階建の建物は、入口が2か所設けて1階には「米蔵」と「板蔵」に分けられているという。



















他に、木造3階建の味噌蔵や接待道具、嫁入り道具、文書などが保管されていた浜蔵などの建物が主屋の近くに点在している。




















主屋の道路側に二つの門があるが、屋根付きの殿様門(勅使門)で、使われたことがないあかずのもんだそうです。その両側に背の高さ位の石垣が積まれている。