2026年5月4日月曜日

山中温泉(5)九谷焼美術館 久谷赤絵の極致③

 山中温泉(4)九谷焼美術館 久谷赤絵の極致②の続きで、さらに館内を見る。

九谷焼には、「アオテ」というものがあり青(実際には緑の釉薬)が大活躍することがることからこの名前が付けられた。「アオテ」はこの緑や黄色を使って大皿や大鉢、他につぼや徳利などの表面などをすっかり塗りつぶすのが特徴で、緑彩や黄彩の所にはコバルトを使って、丸紋・松葉紋・花紋をはじめとする細かいs線引き文様を黒で描きだしている。

「アオテ」は、当初は古九谷にのみ用いられていた名称であったが、近代では再興久谷にも使われれている。古九谷の遺伝子は吉田屋釜、松山釜と継承され、今日に至っている。






















緑の竹の葉に黄色の波模様と白の花模様に猫が描かれている大皿



















菊に蝶図平鉢


















山水図平鉢


















福寿草図林平鉢


















鳥図台鉢


















九谷焼の色絵と言えば五彩手を指す。赤色、緑色、紫色、紺青色、黄色の五彩を用いていることからつけられた。金色、銀色、黄緑色などもわずかにある。絵付けでは、山水、花鳥風月、人物、動物などが多く、鳳凰のデザインを原点としたものも多いが、狩野派、琳派、土佐派の絵画、金工、染織、彫刻などのエッセンスなどを加味し、和風化させ九谷独自の構図を完成させた。


















唐人物図大平鉢


















こちらは素晴らしい書院造の座敷が復元され、床の間には「一期一会」の掛け軸がかかっており、付書院には障子の上にすばらしい文様の細工がなされている。畳の上には九谷焼の作品が置かれていた。


















天井は格天井で網代模様(?)になっている。


















葡萄葉図香炉


















山水図六角大瓶


















四角の皿に、周囲に赤と金色の中に赤い草花と獅子が描かれている。


















江戸後期になると、古九谷の時代以上に赤色を主体としたような作風が再興久谷の春日山釜、民山窯、若杉窯などで見られるようになり、特に宮本屋釜で赤色を徹底的に細かく描き込んだ赤絵細描技術が確立した。金色を使うものでは永楽和全が焼成を二度することで新しい技術を吹き込んだ。金彩と金襴の違いは金色の使われている範囲の違いで、金襴は金色の使用が大きく、面で塗りつぶされている。金襴手では、金のべた塗りのうえを鋭利な道具で掻き落として文様を浮かび上がらせる場合が多い。


















こちらはわずかな金色を使用しているから金彩で、次の作品は金襴手であろうか?















2026年4月25日土曜日

4月中旬と下旬の兼六園の様子

 今回は「兼六園」の4月中旬(4月16日)と1週間後の4月下旬(4月23日)の様子を紹介する。

4月中旬には、ソメイヨシノはもう既に終わっていたが、遅咲きの桜(八重桜)がかなり咲いていた。しかしピークは少し過ぎたようでもある。

噴水付近の「楊貴妃」



















ふっくらとした大きな花弁はいつ見ても素晴らしい。


















「奇観亭」前の「関山」
























濃いピンクの花弁はきれいだ。


















この日は、天気も良く穏やかで過ごしやすい日だった。


















枝が大きく広がっている雄大な「兼六園熊谷桜」の木は「熊谷桜」の中でもひときわ見事に咲くので「兼六園」が冠されている。

木の下には花弁が少し散っているのでピークは過ぎたのだろう。


















兼六園でも最も遅く咲く「菊桜」は、まだ蕾と小さな赤い花びらが見える。


















曲水のほとりには、木の真ん中がひどく花が開いている老木があった。藩政期からの木が多いので、こういう木がさらに出てくるだろう。
























「霞ヶ池」に浮かぶ「蓬莱島」と「内橋亭」で、ここから見る景観は兼六園の中でも好きな所である。


















蓮地庭の夕顔亭は園内で唯一藩政期から残る茶室で、他の茶室と違って滝の音を聞きながらお茶を楽しむ所である。


















続いて4月下旬(4月23日)の撮った兼六園の様子
遅咲きの桜は「菊桜」以外はほとんど散ってしまっている。


















新緑に包まれた見ていても飽きない「翠滝」


















「瓢池」に浮かぶ三神仙島の一つの「岩島」の上にある木の剪定をしている庭師


















ここも周りの新緑に囲まれた現存する最古の「噴水」


















今は閉じられている「不老坂門」後方の藤棚に咲いている藤がちょうど咲いていた。


















「霞ヶ池」のほとりには少し深紅のツツジが咲いていた。



















今日はわずかに雨が降っているが過ごしやすく気持ちの良い日である。
































「曲水」の上を悠々と泳ぐカモ


















この日の「菊桜」の花弁はややピンク色になっていた。初代の天然記念物となったように三百枚の花弁を咲かせてもらいたいものだ。






































「曲水」周辺にも、深紅のツツジが咲いている。


















「成巽閣」の裏門(赤門)側から見た「飛鶴庭」


















「兼六園管理事務所」前の「菊桜」

2026年4月22日水曜日

山中温泉(4)九谷焼美術館 久谷赤絵の極致②

 山中温泉(3)九谷焼美術館 久谷赤絵の極致①の続きで、その後も「九谷焼美術館」内を見物する。

下図は伝統的な九谷焼の釜(登窯)のイメージ図である。上絵が描かれる前の磁器を焼くための窯で、九谷では複数の焼成室が連なるもので、斜面を利用して築かれた。下の方の焼成室から順に上の焼成室に移していく方式である。横の扉から製品の出し入れをする。炎が直接当たらないよう釜が二重構造になっている。

























前日見た「久谷窯跡」















昨日の「久谷古窯跡」に行った時には、周囲が雪に覆われたいたので見えなかったが、下図のように「古九谷窯跡石碑」や案内板がある写真が展示されていた。












「後藤才次郎」は大聖寺藩主前田利治に命じられ久谷の山林に金鉱をを求めたことが記されている。久谷村には「後藤才次郎」の住居跡と釜場所が残っていて、多くの素焼きの破片も出土したとある。

上部の写真は「後藤才次郎碑」である。















古九谷は、肥前国有田で陶芸を学んだ後藤才次郎が、1655(承応4)年ごろから最初に窯を開いてから約50年間で姿を消し、その後、100年ほどは藩内で時期は生産されなかった。陶磁器の焼成が再びはじまったのは1807(文化4)年に京都の陶工青木木米が加賀藩に招かれ、春日山(卯辰山)に窯を開いた。木米は1年余りで帰郷してしまったが、木米の弟子の本多貞吉が小松に開いた若杉窯を始め、次々と釜が興された。これを総称して「再興久谷」と呼び、現在の久谷焼に繋がっている。













九谷焼ができるまでの工程は、造形(轆轤や鋳込み型で形を作る)、素焼き、下絵付け(染付)、釉釉薬がけ、本焼き、上絵付け、錦窯、といくつもの作業がある。























下図は県内の久谷の窯跡の分布図」である。「古九谷」は山中温泉の近くにあり、再興久谷の「吉田窯・宮本窯」などは大聖寺地区に、「庄三窯」や「若杉窯」などは能美市・小松市地区に、そして「春日山・民山釜」は金沢市にある。





















その工程をビデオで観賞できるようになったいたので、ゆっくり見たかったが時間がかかりそうなので、あきらめた。



















九谷焼の元になる「陶石」が展示されていた。右上の「朱石」は赤絵具(酸化鉄)として使われる。「荒谷陶石」は素地・釉薬の原料として使われる。



















右上の「黄銅鉱」は緑色釉薬(酸化銅)として使われる。「久谷陶石」は素地・釉薬の原料として使われる。



















建物のそばに、茶室に入る前に口や手を清める「蹲」が配置されていた。四つの役石は水の流れで貯める水鉢、前の大きな石は人がしゃがむ所で「前石」と呼ばれている。両側に「湯桶石」と「手綽石」とを置かれ、四つの役石の中央には小石が置かれていて、「水琴窟」となっている所もある。




















その「水琴窟」の仕組みの分かりやすい絵がかかれていた。水門石から落ちた水のしずくが亀の下にたまった水のあたって出る音が、大きく「キーン」と聞こえるという不思議なものである。