2013年8月29日木曜日

安江八幡宮

かなざわまち博2013の「神社の御神宝めぐり」として「安江八幡宮」に行った。(7月27日見学)

ここは「応神天皇」や「神功皇后」などを祭神としているが、八幡の神共々崇めて、愛児の健康、文運興隆、社業繁栄の守護神としてお祀りしている。








































江戸時代には加賀藩主や大聖寺藩主が崇敬し、社殿の修理や祭器器具を寄進したという。




















またこの付近は、藩政期に鍛冶町として多くの刀鍛冶師が住んでいたところで加賀の正宗といわれた刀工「兼若」もここに住んでいたという。それでいまでもここは「鍛冶八幡さん」ともいわれている。

また県内唯一の安産の神様「金沢水天宮」とも呼ばれている。拝殿には13代藩主の前田斉泰が書いたという額が飾ってあった。




















また金沢郷土玩具の「加賀八幡起き上がり」の発祥の地で、八幡大神のご誕生の折、真紅の産着をつけた姿をしておられる。




















今回、まち博ということで虫干しのために蔵から出された鎌倉時代から明治時代の多くの書物が飾られたいた。
加賀藩主直筆とされる文書や勝海舟らの和歌がしたためられた短冊などが並んでいた。




















また中国で作られたという木に銀をはめ込んだ象嵌の硯箱などを見ることができた。よく見ると非常に細かい模様で、どうやってはめ込んだのかと驚きであった。




















また天皇の即位式の絵も見ることができた。




















ここの神社は子供の頃、家から割りと近かったので、小学生の頃にお祭りのときに何度か来たことがあるが、非常に多くの露天が並んでいたのを覚えている。

より大きな地図で 安江八幡宮 を表示

2013年8月24日土曜日

近江町市場(3)

(7月27日散歩)
「杉本水産」はうなぎの蒲焼で有名であるが、今はうなぎの稚魚が少ないということで大変高くなっていると聞いていた。しかし「土用の丑の日」は200人くらいの行列になったという。皆さん「1年に1度くらいは食べよう」と並んでいたらしい。




















うなぎの蒲焼も好きだが、私はここ北陸しかないというどじょうの蒲焼のあの苦味とコリコリした歯ざわりがなんとも好きだ。カメラに撮りたいということで、奥のほうにあったのを店の人に頼んでもってきてもらい、そして2本だけ買ってその場で食べた。ビールでも飲みたくなった。




















どじょうの蒲焼が金沢で始まったのは藩政期時代に幕府の改宗命令に応じなかった長崎のキリシタンが加賀藩にお預けとなり、その際、卯辰山のせせらぎで採ったどじょうを彼らがしょうゆづけで食べたことからだという。また生活の糧とするために城下で売り歩いたという説がある。

お菓子の「なんぼ」、こんぶの「比賀」、かまぼこの「岩内」など古くからやっている店が多くある。ここには私の同級生や先輩たちがいた。また「酒の大沢」は北陸の地酒の専門店で、天狗舞や菊姫はもちろん北陸三県のお酒はほとんどそろっている。




























































市場内のところどころに「海鮮丼」や「回転寿司」も店があり、土、日はどこも行列をつくらしい。青草口の小さな店の「いきいき亭」も人が外にまで並んでいた。




















新鮮な刺身がでっかくのっている海鮮丼もたくさんあったが、あまりたくさん食べる年でもないので、「大松水産」がやっているという店でミニ海鮮とハマグリを食べた。新鮮な魚介類はやはりおいしい。




















この市場のところどころに「氷のブロック」が置いてあって、夏の風物詩となっている。この暑い夏にはお客さんが氷を触っていく。見ているだけでも涼しげな気分になる。




















昔はこの近くに住んでいたので、おいしいものがたくさん食べられた。今は遠くなってスーパーマーケットで買い物をしている。たまには近江町に来て、店の威勢のいいアンチャンと話しながら食材を買うのも楽しい。

より大きな地図で 近江町3 を表示

2013年8月20日火曜日

近江町市場(2)

前回の続き(7月20日散歩)で、市姫口の入口に「寿美田今川焼き店」がある。ここは私の小さいころからやっているのでよく覚えている。その場で買って食べたが、昔から変わらない餡がぎっしり詰まっていておいしかった。その頃は10円くらいだったと思うが、今でも80円とは安い。ここで焼いていたおじさんは2代目といっていたが、昔話に花を咲かせた。




















角に「北形青果」があるが旬の加賀野菜を主にいろいろな青果を扱っている。




















この向かいには「土屋商店」がある。ここは旬の果物を並べていて、おいしそうな「桃」や「ぶどう」等を売っていた。ここで私の好きな「桃」を一山買った。




















またその向かいの「世界の食品ダイヤモンド」は世界各国の珍しい調味料や酒類など食品に関するいろいろなものを売っている。入口と裏手にコロッケ販売所があるが、肉コロッケ、野菜コロッケはもちろん、ほうれん草、卵、ベーコンがはいったポパイコロッケや甘エビと卵が入った甘えエビコロッケ等がある。




















またその向かいには、「山安」があるが、ここは今は「かに」や「高級果実」を売っていたが、ここの社長は私の小学生のときの同級生で、若いときにお父さんと一緒に「スイカの叩き売り」を声をからして売っていたのを覚えている。彼の力で今は多くの店を出している。




















鮮魚通りに行くと「忠村水産」があるが、ここは料亭や高級すし屋等に出しているという高級魚が多いという。




















「大口水産」、「大松水産」も昔からある大きな鮮魚店で向かい合わせで「さあ安いよ」と張り合っている。




















「島田水産」では今が旬という能登の「いわがき」をその場で食べられるということでひとつ食べさせてもらったが、大変おいしかった。この間の選挙応援で来ていた安部首相が「いわがき」を食べているのをテレビに映っているのを見た。






















より大きな地図で 近江町2 を表示


2013年8月14日水曜日

近江町市場(1)

金沢の台所の近江町市場を散歩した。(7月20日散歩)小さい頃ここの近くに住んでいたのでなじみがあるが、かなり変わってしまったようだ。




















近江町は金沢でも最も早く町として成立した「尾山八町」のひとつである。その名前は前田利家による支配以前からあったという。
町名の由来は、最初にここに近江の国の人が来て商売を営んだためだという。

明治37年の大火の後に再建が進められ、市場は公共市場と認められ「官許金沢青草辻近江町市場」として栄えた。それまではかま真奈美瀬を構えている状態だったが、「官許」となってまとまった区域に集中し、さまざまな自主規制もなされるようになった。標柱が「むさし口」の左側に建っていた。




















こういう市場はスーパーなどと違って、店の人とお客さんの「かけ合い」が面白い。私みたいな年寄りでも「お兄さんこれ買っていかんか、安くしとくよ」と言われ、ちょっとどんなものか見たくなる。値段交渉するのも面白いし、店の人も活気がある。

2009年に近江町再開発として「近江町いちば館」ができて、かなり様子が変わったようだ。今は市場の顔となり、観光客もグーンと増えた。2階は飲食店エリアになっている。




















エスカレータで2階に上がるとすぐのところに「金沢うどん」と書いた「麺丼や」という店に入った。てんぷらうどんを注文してたべたが、加賀野菜のてんぷらにうどんもおいしかった。




















いちば館のとなりに北國銀行武蔵が辻支店がある。ここは全国のあちこちの建物を設計した「村野金吾」が若い頃に設計し、1932年に建てられたものである。大正ロマンの香りがする趣のある建物である。「近江町いちば館」を建てる際に少しだけ建物ごと移動したという。




















建物の中は、今は表側に餡蜜などを食べさせる和風カフェの「萬久」という店になっている。銀行は裏側になっている。


より大きな地図で 近江町1 を表示

2013年8月10日土曜日

石引通り(3)界隈

紫錦台中学の向かい側には、昔からあった「松原病院」がある。
ここは精神状態が正常じゃない人が入ると聞いたことがある。今は建物も大きくなり、
この近くに他にも建物があった。
最近では、高齢者も多くなり、認知症の人も多くなっているので、こういう関係の病院は、ここだけでなく多くなってきている。私もいつ起きるか分からないので注意をしなくては。




















紫錦台中学側には辰巳用水が流れている。ここから兼六園に流れ込んでいる。
その脇に「旧飛梅町」の標柱がある。ここの付近に前田対馬守長種にはじまる
藩の老臣1万8千石の前田氏の下屋敷があった所であるが、同家の家紋「角の
内梅鉢」からその名は付いたという。




















また少し歩くと、北陸学院の中・高校の学校がある。以前、女学校だったところ
が何校かあったが、だんだん男女共学になっていってここだけ残っていたが、
数年前についにここも男女共学になってしまった。これも少子化による時代の流れか。




















その学校の前に旧ウィン館がある。ここはアメリカ人宣教師のトーマス・ウィンが設計し、
明治21年に建築された由緒あるものだ。現在は「北陸学院資料館」として受け継がれ
ている。中に入りたかったが、閉まっていた。平日の午前9~12時に開いているという。
アメリカ人のメリー・Kヘッセルが明治18(1885)年に本国教会の資金援助のもとに
私立女学校(北陸学院の前身)を石川県で初めて開校したという。また。キリスト教に
基づく教育を通して女性の地位向上を図ったという。








































その横には古めかしい黒い屋敷塀があるが、、ここは加賀八家の奥村宗家の
上屋敷であった。
ここの初代永福(ながとみ)は1584年佐々成政軍との末森合戦だで末森城を
死守した。また11代の栄実(てるざね)は13代藩主斉泰に重用され天保の改革
を推進した。




















この塀の中は今は「金沢医療センター」という病院になっている。
以前は「金沢国立病院」と言っていて、私はそちらの方がなじみが深い。
私はここに入院していた家族や友人などを何度か見舞いに来たことがある。
戦前は「衛戍病院」といって軍人のための病院であった。





















今日の散歩時間、石引通り(1)、(2)、(3)2時間40分、歩数5300歩でした。

より大きな地図で 石引通り を表示

2013年8月4日日曜日

石引通り(2)界隈

石引通りは藩政期に金沢城を築くために戸室石を引いた道筋の
ためにこの名が付いたというまっすぐな道だ。




















学生時代に何度か通ったことがある道なのでよく知っているが、その頃にあった
喫茶店や本屋はなくなっていた。
金大付属病院前の通りは昔から広かったが、通りの中央はちょっと休める場に
なっていた。また、病院の建物は非常に立派なものに変わっていた。




















この近くでタバコ屋を60年間営んでいるおばさんと話をしたが、今はタバコは
すっかり売れなくなったと嘆いていた。健康志向になり、吸う場所も限られ、吸う人
も少なくなったので仕方のないところだが、タバコ屋にしてみれば死活問題だ。

石引商店街も以前よりは人が少なく、寂しくなったようだが、今でも頑張っている
店を少し紹介しよう。




















「JO-HOUSE」は高尾台にも店があるが、ここはカレーと音楽が楽しめる店で
学生が多いとか。たしか私の高校時代の同級生がマスターをやっていると聞いた
ことがある。




















「若葉」はおでん屋でこの近くに住んでいる友人と一緒に2、3回入ったことがある。
冬になると「かにめん」が有名で、コウバコガニの殻の中に内子、外子や身も詰めて
かんぴょうでくくったものである。コウバコガニは特に内子がおいしい。
作家の五木寛之氏が40数年前にこの付近のアパートに住んでいた時、銭湯の帰りに
よく寄ったという。




















「福光屋」は金沢でも最も古くて知られている酒屋である。
「SAKE SHOP 福光屋」は非常にセンスのある店構えに変わっていた。
ここの「福正宗」は鶴来の「菊姫」とともに私が愛飲しているお酒だ。




















その他、金沢美大生の作品を展示してあるギャラリーがあった。
金沢美大と石引商店街が共同で作ったところで、アートの力で町を盛り上げようとしている。
学生の作品を見たり、買ったりすることができるという。やはりセンスのよい、洒落た
ギャラリーであり、片町にもあるという。夜にはカフェも開いており、美大生のたまり場
になっているようだ。若い人の作品を見るのも楽しみだ。

より大きな地図で 石引通り1 を表示