2017年9月26日火曜日

京都鉄道博物館(2)

京都鉄道博物館(1)の続きで、運転席に座って,いろいろなボタンやレバーなどの運転設備を動かすことができる体験コーナーがあり、孫が「ガチャガチャ」さわって楽しそうに動かしていた。



















また、駅での発車ブザーや踏切の作動体験などもできるようになっていて、得意になって押して鳴らしていた。
























長い行列がついていたが、運転シミュレーター体験では、模型車両に組みこまれたカメラが撮るリアル画面を見ながら運転をする装置もあった。他にも子供が喜ぶ体験コーナーがたくさんあった。



















京都鉄道博物館の建物の屋上からは、ワイドな眺望が広がり、新幹線の走っているのが見えた。




















ここは京都駅に近いので、東寺の五重塔と新幹線を同時に撮ることができた。さすが東海道新幹線は本数も多いので、短時間で何本か見ることができた。



















金沢駅とは違いやはり大都会だから、在来線の線路も多く、いろいろな電車が多く走っていて、ここでは特急列車と「京都タワー」が撮れた。



















孫がクイズのついたスタンプラリーをやっていて、最後のスタンプ場所がずっと分からなく探していたら、建物を出て通路を渡って階段を降りると、そこに昔懐かし「扇形車庫」があった。現存する日本最古の鉄筋コンクリート造りの「扇形車庫」に蒸気機関車20両保存展示されている。「梅小路機関車庫」として重要文化財になっているという。ここの車庫に保管されている蒸気機関車は、今でもすべて動かすことができるという。
小学生のころに金沢駅でもこの「扇形車庫」は見た覚えがかすかにある。



















その近くに「C622」の蒸気機関車(SLスチーム号)が牽引する客車に乗車することができる。ただし、前もって乗車券を購入していなくはならなく、時間もあまりなかったので乗るのをあきらめた。



















蒸気機関車は、大量の水を補給し、石炭をスコップで補給すし、燃やして高温にし水を蒸気にして、その力でピストンを動かし車輪を動かす。そのため、機関車の作業員は、逐次燃えたぐった窯の蓋を開いて、石炭を入れる。暑くて大変な作業であったことが偲ばれる。























孫と一緒に、鉄道すべてについて学ぶことはできる「鉄道博物館」は大変楽しいものであった。

2017年9月22日金曜日

京都鉄道博物館(1)

今回は、孫の夏休みも終わりに近いということで、「京都鉄道博物館」に行ってきた。当初、旅行代理店によるJRで行こうと思っていたが、いつ行こうか迷っていたので、予約を取らなかったので、車で行くことにした。(8月29日)
朝7時ごろ金沢を出発し、鉄道博物館のすぐ近くは混んでいると思い、少し離れた駐車場に止めたので、そこから歩いて着いたのは11時過ぎになった。ここは、2016年4月に開館したばかりで、今日は平日だが、まだ結構混んでいる。




















早速館内を回ると、明治期から活躍していた「タンク式蒸気機関車233号」が展示されていた。官設鉄道が初めて購入した国内民間会社製機関車である。明治期のレトロな雰囲気を醸し出している。




















新幹線の高速化に伴い開発された、最新の「500系新幹線」は「のぞみ」という愛称で親しまれているが、いかにも早そうな外観である。そばには、新幹線により廃止されたものや、今でも活躍している特急列車も並べられていた。




















私たちが中学生のころに習った産業革命時代に蒸気機関を発明した「ワット」の構造模型があった。大きなシリンダ、ピストン、クランク、はずみ車が見える。




















イギリスで走っていた「蒸気機関車」の誕生のころの模型 で、今のものとはずいぶん違う。




















日本に「蒸気機関車」を走らせるために関係した「ジョン万次郎」、「エドモンド・モレル」、「大隈重信」が紹介されていた。「ジョン万次郎」は、小さいころアメリカの漁船に助けられ、その後、日本開国のもととなったペリーの通訳も務めた。アメリカで、日本人初めての鉄道になった人として有名である。「エドモンド・モレル」は「お雇い外国人」として、鉄道建設の指導者としてに尽力した。「大隈重信」は、若い時に長崎で英語を習得し、明治新政府で鉄道建設に尽力した。



























1872(明治5)年に新橋・横浜間を国内で初めて走った時の鉄道開通式の様子を表したジオラマと、その時の機関車の模型




















戦後になって、国有鉄道が発足し、その後、東海道や九州にシンボルとなって走っていた特急列車「つばめ」 や乗務員の服や懐かしい備品が並べられていた。



















鉄道の連絡船として1908(明治41)年~1988(昭和63)年までの間、東北本線の青森駅と函館本線の函館駅まで結んでいた「青函連絡船」があったが、その様子がジオラマで見ることができた。



















レールに使われていたいろいろな材質の「枕木」やイギリス、アメリカで使われたレールが展示されていた。レールの断面形状や止め方もさまざまである。




















北陸新幹線のグランクラスのシートが並べられていて、シートに座ってリモコンにより背中や足のシートのもたれを好きなように傾けられ、座り心地が体験できる。

2017年9月18日月曜日

ヤギヤ クラッシクカフェ

今回は、家の近くにあるクラッシクカフェの「ヤギヤ」に行った。ここの店の前は何度も通っていて、いつかは入りたいと思っていたところである。カラオケ喫茶は近くにもいくらでもあるが、他の「音楽喫茶」は私が知っている限りでは少なく、ジャズ喫茶の「もっきり屋」や「ジョーハウス」、ほかにも数軒くらいで、音楽をライブでやっている所は金沢には少ないと思っている。



















「クラッシクカフェ」は、広阪の能楽美術館近くのビルの地下に1軒あるが、ライブはやっていない。
「ヤギヤ」のマスターと話をしたら、随分前からこういう店をやりたいと思っていて、東京などほかの都市の店も参考にし、いろいろ検討して店を作り2,3年前からオープンしたという。
マスターは、自分はクラシック楽器などの演奏はできないが、店を提供してコンサートなどをやりたい一心でやったという。



















1Fと2Fにテーブル席があり、天井が高く2Fには周りだけにテーブル席がある。飲み物もコーヒーなどのソフトドリンクだけでなく、ビール、ワイン、日本酒なども扱っており、もちろん料理もあり、お酒を飲みながら気分よく美しい音色の音楽が聴くこともできる。



















天井には幅狭く梁が張られており、天井、床、壁の材質は音響効果を最大限に発揮できるようなものを使っているという。



















演奏場には、立派なピアノやバイオリン、ビオラ、チェロなどが置かれており、レコード盤、レコードプレーヤ、アンプ、スピーカなども並べられていた。この場所で生演奏するのであろう。



















ここでは、ティータイムコンサートなどプロアマを問わずいろいろなクラシックコンサートを随時行っている。また、この会場を使って練習もできるようになっていて、ネットで予約できるようになっている。
金沢には、こういう店が初めてなので、クラシック愛好家の間では結構評判になっているらしい。



















後日、「キッズコンサート」があり、私は行かなかったが、内のものと嫁、孫が聴きに行った。日頃うるさい孫たちも生演奏をしている間は静かに聴いていたという。こういう生演奏を聴く機会が少ないので、私もたまに聴きに行きたいと思う。




































2017年9月14日木曜日

百万貫の岩 御前荘のコテージ


前回の白峰の「恐竜パーク」を見た後、手取川に沿って白山登山口の「市ノ瀬」方向に走ると、河原に大きな岩石が見えてくる。これが有名な「百万貫の岩」である。




















この岩は、1934(昭和9)年の手取の大洪水の時に流れてきたもので、高さが16m、周囲52mにもおよぶという。石ころだらけの河原を歩いて岩の近くまで行ったが、その大きさが実感できた。
最近の大水害で家などが流される映像をニュースなどでよく見るが、こんなに大きな岩を流す水に力はすごいと改めて思い知った。
往時の傷跡を残すものとして、石川県の天然記念物に指定されたいる。 あまりにも大きい岩なので、村の中には信仰の岩として崇めている人もいる。
そういえば、1年位前だったか(?)ロッククライミングの練習をやっている人たち思われるが、この岩に「ハーケン」と呼ばれるクサビが打ち込まれていたことを全国ニュースで放映されていたのを思い出す。これだけの大きさの岩だから、格好の練習場であろうが、天然記念物であるからマナーを守ってもらわなくては。




















道路から河原の手前側の水の流れはほとんどなかったが、「百万貫の岩」を超えて奥側に進むと、きれいな大量の水が流れていた。周りにはほかにも大きな岩がゴロゴロあった。やはり昭和9年の大洪水の時に流れてきたものであろうか?




















水を触ってみると、非常に冷たかった。




















重さが百万貫あるだろうと伝えられたことから「百万貫の岩」と呼ばれてきたが、平成7年に岩を計測した結果、重さ4839トン(129万貫)であることが分かり、文字通り「百万貫の岩」であることが証明されたという。




















後でテレビを見ていて知ったが、この「百万貫の岩」を見るための駐車場の前にあるトイレが、トイレの中に置いてある自転車をこいで水を出すようになっているらしい。



その後、少し戻って今日泊まる「御前荘」に入った。ここでの行動をカメラで撮るのを忘れてしまったので、写真での紹介はできない。
コテージは8人用と20人用があるが、今日は8人用は満杯に入っているが、20人用のコテージには誰もいなかった。
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「御前荘 コテージ」ホームページより














コテージの前に屋根付きの炉と洗い場、テーブル、いすなどが備えたバーベキュー専用の場所があり、既に他のお客さんたちが準備していた。
家族全員で準備し、戸外で炭で焼いた肉の味は格別で、ビールの量がいつもより進んでしまった。バーベキューの後に、花火をやったが孫たちも喜んでくれた。
コテージの近くにある天然温泉のお風呂に入ったが、お湯は少しとろりとしていて、体がつるつるした感じがした。二つの露天風呂も入った。昼間で天気がよければ、この風呂から白山の山々が見えるという。そういえば、15年位前に、会社の仲間に連れられて、福井県にある赤兎山に登った帰りにこの風呂に入ったことを思い出した。






「御前荘 コテージ」ホームページより












コテージの中も広く、快適に寝ることができた。たまにはこういうところで過ごすのも気分がよいものだ。

2017年9月10日日曜日

白峰 恐竜パーク、ダンボール遊園地

白山麓のコテージで泊まって、バーベキューをやりたいということで、白峰へ息子家族と一緒に行った。25~30年ほど前に息子たちが小学生のころに「緑の村」でキャンプをよくしたこと思い出した。
今回は、キャンプテントでは私たちが疲れると思い、白峰の「御前荘」のコテージを借りることにした。(8月15,16日)
コテージに入る前に、白峰にあるものを見たいということで、今回は孫中心ということで、まず「恐竜パーク」に行った。福井ある「恐竜館」は行ったことがあるらしいが、ここは初めてだという。




















薄暗い場所にいろいろな種類の恐竜が並べられ、動いたり、泣く声なども聞こえ結構リアルに見えた。また、 恐竜の骨格やタマゴなども置かれていた。内の孫も恐竜の名前を憶えていて、あれは「テラノザウルス」だとか何かと言っていた。




















北陸には、中生代のジュラ紀や白亜紀に堆積した地層があちこちに広がりいた。この地層を明治初期にライン博士とガイラー博士によって研究され、その地層を手取地層と名付けられた。手取層群は、その成り立ち順から九頭竜、石徹白、赤岩の3つに分けられ、海水、汽水(海水と淡水がまじっている)、淡水があり、それぞれ違った環境に堆積されている。手取層群からは、植物、貝、昆虫、魚、カメやワニ、恐竜、鳥などいろいろな生態の化石が残っているという。その中でも恐竜の化石は、当時の生態系の頂点にあり、中世を代表するものであるという。




















この「恐竜パーク」がある場所の手取川の向かい側に「桑島化石壁」が残っているが、その復元模型があった。この化石壁は手取層群の地層が表面にあらわれたもので、ジュラ紀、白亜紀がどのようであったか知ることができるという。化石層の中から植物化石や昆虫、貝、恐竜などの化石が含まれているという。


























建物の横にある公園にも恐竜の模型が多くあり、のんびり休みながら恐竜模型と一緒にシャッターを切る人もいる。




















化石発掘体験ということで、広場にばらまかれた化石層の石をハンマーでたたいて砕いて、中から化石を見つけるというもので、内の孫も一生懸命やっていた。石の中に黒い模様のあるものを見つけ、ここの係員から「植物の化石」だと言われ、喜んでいた。
係員の人が言っていたが、ここの化石は約1億2000~3000万年前であり、私の家の割と近くにある金沢の「大桑層」(おんまそう)は約6000~7000億年前だという。




















白峰に行く10日ほど前に「名鉄エムザ」の「ダンボール遊園地」で、恐竜をダンボールで作ったものなどで遊ぶという催しがあったので行った。
ダンボールを何枚か重ねて、いろいろな乗り物などが作ってあったが、子供たちが乗って、動かしても全く問題がなく強いものだなあと思った。




















一人の子が自転車のペダルを漕ぐと、もう一人の子がダンボールで作った馬に乗っていると、上下に動く ようになっていて、楽しく遊んでいた。




















恐竜の周りを走る「北陸新幹線」もあり、これもご機嫌で乗っていた。




















紙で乗り物や動物などを作る「工作コーナー」には、夏休みの宿題にするのか、親も一生懸命になって作っていた。

2017年9月6日水曜日

近江町市場 底引き解禁

今回は、昨日底引き解禁され、今日、石川県近海から水揚げされた初物が出てくるということで近江町市場へ見に行った。今年はしけで出漁が2日遅れとなり、ようやく今日店頭に並んだ。さすがにお客さんもいつもより多いようで、初物の魚を品さだめしていた。




















底引き解禁の時のお目当てと言えばやはり「甘えび」であろう。大きな子を持った、ぷりぷりの「甘えび」がたくさん並んでいた。
金沢の魚貝類の王様と言えば、「甘えび」、「カニ」、「寒ブリ」だが、今の時期は、そのうちの「甘えび」に限る。




















他にも、やはり近海で獲れたおいしそうな「ハタハタ」、「アカラ八目」




















「メギス」、「クチボソガレイ」もたくさん並んでいた。




















「小鯛」、「ササガレイ」も石川産が並んでいる。ちなみに同じ魚でも石川県の漁船が獲ったものは石川産、福井県の漁船が獲ったものは福井産になるという。




















「アンコウ」も並んでいたが、この薄気味な姿の魚は家で食べたことはない。昔、居酒屋で「アンコウ鍋」として食べたことはあるが。


























八百屋の前には、所狭しと多くの種類の野菜が並べられていた。「加賀野菜」に認定されている「打木赤皮甘栗かぼちゃ」、「五郎島金時」、「加賀れんこん」なども見える。




















果物屋では、梨、桃、ぶどう、メロン、みかんなどが並べられていた。
特に梨は、石川県産の新品種梨の「加賀しずく」が、特産品に認定され、先日「初セリ」が行われ、1パック(4個入り)が15万円のプレミアム価格がついて話題になった。大玉で糖度が高いものが「加賀しずく」として認定されるという。一度食べてみたいものだ。




















近江町市場の中にある老舗の花屋さん




















その場で食べさせてくれる観光客に人気の「岩ガキ」




















今回は、「甘えび」と「メギス」を買って、甘えびは刺身で、メギスは塩ゆでしたものを家で食べたが、新鮮な青い子持ちの大ぶりな甘えびとメギスは非常においしく、ビールもいつもより進んでしまった。近くのマーケットで買うより、新鮮でおいしい魚が食べられる。たまには近江町市場まで買いに行かなくては。