2015年1月25日日曜日

金沢おでん いろいろな店

前回、「金沢おでん 高砂」を紹介したが、他にもたくさんある。
金沢はおでん屋の数では全国で三番目だが、人口比でいくと全国トップという。なぜこんなに多いのだろう?それも他の都市のおでん屋と一味違い、昭和のはじめにできた老舗が多く、きちんとした店構えが多い。
庶民的な味と、周りの人との会話など家族的な雰囲気が好きで、私もおでん屋にはよく行く。




















金沢市は海にも山にも近いので、新鮮な海の幸、山の幸が多く、それをおでんの素材としている。
例えば、鰯など魚の「ツミレ」や「ふかし」、香箱ガ二の甲羅に1杯分のカニの身や子を詰め込んだ「カニメン」やじっくり煮込んだ「ばい貝」、「タコ」、「イカ」など、そして加賀野菜の「源助だいこん」や「せり」、「たけのこ」、「ふき」、「ロールキャベツ」他に「すじ」や「カンモドキ」、加賀麩の「くるま麩」などたくさんの種類がある。




















おでん屋で飲んでいるとついつい時間を忘れて「お酒」の量も多くなってしまう。
ここで、私が行ったことがあるいくつかの「おでん屋」を紹介する。
まず、スクランブル交差点から本多町方向に行って、右手の小路にある「みゆき」。ここは平日の午後6時に行っても既に行列がついているほど人気がある。。カウンターの前にはおいそうな「御晩菜」が並んでいる。




















片町スクランブル交差点のすぐ近くにある「赤玉」。ここは昭和2年創業という老舗で、昔の店は何度か入ったことがある。何年か前に「赤玉ビル」になり、店も大きくなった後、会社の宴会で来たことがある。平日でも正午ごろからやっているというから、昼間から飲みたい人には便利なところだ。




















木倉町の飲み屋街の最古参という「大関」は、最近でも友人などとよく飲みに来る。百歳近くだったという名物の「親父さん」はつい最近までいたが、今は女将さんが頑張っている。他の店もそうだが、おでんの他に加賀料理の「じぶ煮」や「だし巻き玉子」、「のど黒の塩焼き」もうまい。




















香林坊交差点の「109」の横の通りにある「菊一」も昭和9年創業というからかなりの老舗である。
関東風でも関西風でもない「金沢風」というだし味で、光っている銀色の鍋で独特の味を出している。以前入ったときに店内が非常にレトロな雰囲気で、昔の香林坊の写真も飾られていた。ここは香林坊の交差点から一番目立つ位置にあり、観光客や出張族が多い店だ。




















香林坊、片町付近の他に金沢駅前の「黒百合」は、電車待ちの間に一杯飲むというお客さんも多い店だ。
小立野にある「若葉」は作家の五木寛之氏が金沢に住んでいた時から通っていたところで、「カニメン」や「源助だいこん」などが有名である。

ところで、金沢ファンの作家の嵐山光三郎さんが40数年前の新婚の時に妻と訪れた金沢でおでんを食べたことが、楽しい思い出になっていて、金沢へ訪れるたびに、おでん屋に立ち寄っているという。それで新幹線開業もあって、最近「金沢おでんの唄」を作詞してくれた。歌詞の中には「近江町」や「茶屋町」、「泉鏡花」なども出てくるラテン調のリズムで、すぐに口ずさみたくなるような曲であるという。是非流行って、「金沢おでん」を他地方からの人がたくさん食べに来てもらいたいものである。
「北国新聞」より

2015年1月21日水曜日

金沢おでん 高砂

今回は、久しぶりに高校時代からの友人と、香林坊交差点から柿木畠方面の小路に入り、すぐの所にある「おでん屋 高砂」へ飲みに行った。




















「一寸一パイ」ののれんがかかっていて、呑んべいにはついつい入るたくなる店構えである。
ここの店は、創業昭和11年というからもう80年くらいになる。私は今までに何度か入ったことがあるが、今回は数年ぶりのような気がする。寒い冬には私は「おでん」と「熱燗」が大好きである。
昔、東京にいた独身時代に、残業で遅くなった帰りに、会社の仲間とよく焼き鳥やおでんを食べながら飲んだことを覚えている。




















今回は、午後6時前に入ったので、まだ人が少なくカウンターのおでんをだし湯で煮ている前に座わると、いい匂いが漂ってきた。しかし、10~20分で多くの人で一杯になった。関東風と関西風の中間という味のだし汁で、生姜味噌に付けて食べるのが「高砂流」で金沢の他のおでん屋とひと味違う。「だいこん」、「ちくわ」、「たまご}や「こんにゃく」など串に刺されて煮込まれていた。




















この店での有名なのは「牛すじ」で、多くのものが串に刺され煮込まれていた。柔らかく程よい味加減である。




















定番の「だいこん」、「ふかし」、「ふき」そして大きな「かんもどき」とやはりこの店の特長の大きな「ばい貝」などを食べた。刺身でも食べられるという新鮮な「ばい貝」の殻から店員さんは手際よく身を出してだし湯に入れていた。




















熱燗はコップに表面張力ができるほど目いっぱい入れていたが、さすが慣れている。コップを手でとって呑むわけにはいかなく、口をコップに迎えにいって呑むしかない。私がテレビで好んで見ている番組の「吉田類の酒場放浪記」を思い出した。でも、この店で前に飲んだときは枡の中のコップにお酒を枡にこぼれるくらい入れていたと思う。




















友人と近況報告をした後、周りの人と話すると、大阪や福井の人のほかに香港の人もいた。ここは地元の人だけでなく、いろいろな地方からの観光客や出張族なども大勢いて、いろいろな話を聞けるので面白い。
この店には有名人がよく来ていてテレビに出たこともあり、有名人の講演の中で「高砂」で飲んだ話を聞いたことがある。





















ここの女将についてはよく知っていて、私が学生時代であった50年近く前に来たことがあり、そのときは先代のお父さんと一緒にやっていて美人で「看板娘」であった。この人目宛に来るお客さんもいたという。
私の義理の姉と若いときに軟式テニスのペアを組んでいたし、5人の娘を育て、いずれも美人揃いで店の手伝いをしていた。今回はそのうちの一人の娘さんが手伝っていた。女将さんは「私が6番目の娘です」と言って笑わせていた。




















ほかの街のおでん屋は店の脇のコーナーあったり、屋台など簡単な店が多いが「金沢おでん」はきちんとした店構えで老舗が多いし、全国一で人口の割には店が多いと聞いている。もう少し「金沢おでん」について話したいので次回に紹介する。



2015年1月17日土曜日

石川県伝統産業工芸館(3)

石川県伝統産業工芸館(2)続いて、館内を見学した。(12月11日)




















金沢の「桐工芸」は、藩政期からあったといわれているが、明治の初めに加賀蒔絵の巨匠の「大垣昌訓」が桐火鉢に蒔絵加飾の技法を創案したことが始まりといわれている。桐の木目の美しさと花柄などの蒔絵の模様が調和して全国で評判となった。昭和30年ごろに火鉢はピークを迎えたが、その後、炭火そして桐火鉢は使われなくなり、技術者も少なくなったという。現在は、軽くて割れにくい、耐湿、耐火性を生かした引き出し、小箪笥、硯などが好評であるという。




















昔から品物を贈る時、敬いの印として水引をかける習慣があるが語源は麻などを水に浸して皮を剥ぎ、紐としたことにあるといわれ、紙の発達と同時に美しい水引ができたものと伝えられている。「加賀水引」はいろいろな色を施し、金、銀箔を加えて加工する。松竹梅や鶴亀、宝船飾りなどの加え、最近では人形も作られている。




















水引で作られた「百万石出世かぶと」のすばらしいものが飾られていた。前田利家が被っていたという「鯰かぶと」を模したものであろうか?


























藩祖前田利家の入城祝いの獅子舞から発展した加賀獅子頭は、、どこから見ても睨んでいる「八方睨み」で眼光が鋭く、他の産地のものより大きいのが特徴で、原木に白山麓の桐が使われている。昭和30年ごろまでは町の守護として各町内にそれぞれ1基所有していて、春と秋の祭りには勇壮な獅子舞が町の中でも見られた。最近では、金沢の郊外ではいまだにやっている。




















江戸時代には武家の女性の教養のひとつとして数えられていた琴は、明治以降も女性のたしなみとして城下町金沢の生活に根付いていた。それで市内の中にも桐が植えられ、白山桐の存在もあって、蒔絵や螺鈿を施す美術品的なことも製造された。現在は地元の伝統産業として原木を購入から一貫して製造する業者は少なくなっている。
琴の音色は金沢らしい趣のある雰囲気を醸しだすので「新幹線の金沢駅の発着チャイム」が最近発表され、電子音であるが琴の音色に近いように聞こえる。




















太鼓は日本人の心を揺さぶる楽器として、祭礼の神事や仏事の伝達、また戦国時代には武士の精神の鼓舞などに使われ、広く大衆に親しまれている。
石川の太鼓は音が良いことで知られている。原木のケヤキやセンなどの乾燥から始める一貫作業によって作られる。また、皮は江戸時代初期から伝わる技法と手取川の清流によったてえられ、優れた耐久性と独特な音色が生み出される。
20~30年くらい前に、白山市の女性が勇壮にたたく「炎太鼓」を何度か見たことがあるが、最近もやっているのであろうか?




















「加賀提灯」は、竹ヒゴを1本1本切断して骨にすることで、長い竹を螺旋状に巻いたものとは異なり、伸びが多く、1本が切れても全部がはずれることがない丈夫なものである。現在では祭礼用や装飾用として製作されている。




















金沢では、行事や風習によりいろいろなおもちゃや人形が残されている。名のある作家の美術工芸品と違い、職人といわれる人の手で作られている。記録の上では5代藩主綱紀が京都より人形職人を招き、奥方の輿入れごとに増加した御所人形の修理に当たらせたことが始まりといわれている。その後、獅子舞や加賀とびなどの姿を模した人形が作られた。
また、「八幡起き上がり」は張子で作られ、七転び八起きの縁起の良い置物として広く愛玩されている。その他、「米食いねずみ」、「もちつき兎」などがある。もともと子供たちの玩具だが、縁起を担いだり、誕生祝や病気見舞いにも使われている。昭和30年代によく年賀切手の絵に使われたことを覚えている。



2015年1月14日水曜日

お正月 雪の兼六園(3)

前回の続きで「虹橋」から「眺望台」を通って土橋の「月見橋」から、赤松の根元近くにある「月見灯篭」を見る。「松」、「曲水」、「灯篭」、「橋」が一度に見えるところである。




















そして、「旭桜」の横の木橋から曲水上流方向の「雁行橋」や「雪見灯篭」方面を見る。ここからの眺めもすばらしい。





















やはり、この時期は「唐崎の松」の雪吊を見に来る人が多く、降りしきる雪の中でもこれを背景に写真を撮る人で一杯だ。




















降りしきる雪の中での「日本武尊像」とその横にある京都の東西本願寺から手向られた「手向松」の雪吊




















13代藩主の斉泰が作ったという根が2mもせり上がっている大きな「根上松」。この雪吊は「幹吊り」という。




















5月ごろにはカキツバタがきれいな「花見橋」の雪化粧で、四季折々に見ごたえがある。





















「花見橋」から見た「鶺鴒島」





















東京大学のシンボルとなっている「赤門」のミニチュア版の「成巽閣」の通用門





















新幹線開通までに出来上がるリフォーム中の「石川県歴史博物館」は、以前はテントで隠れていたが、外観のレンガ造りが見えるようになっていた。





















本多の森公園の通り道は一面銀世界で雪国の趣があった。しかし最近の金沢の雪はすぐ解けるのでほんの短い時間だけである。


2015年1月10日土曜日

お正月 雪の兼六園(2)

前回に続いて蓮池庭から上る階段に沿って流れる水があり、この辺は渓谷をイメージし六勝のうちの「幽邃」、「蒼古」の趣のあるところだ。




















さらに「さざえ山」に上った。ここからは霞が池が一望でき、雪吊のされた「唐崎の松」や「蓬莱島」が見え、すばらしい景色だ。借景となる「卯辰山」はこの天気では当然見えない。




















「さざえ山」を下りた「親不知」のところには霞が池の水面まで垂れた枝があり、枝から落ちた雪の塊が水面に浮いていたり、降りしきる雪で水面が薄っすら白くなっていた。





















現存する最古のものといわれている噴水も雪の中では情緒がある。以前、雪の積もった時に来た時はあまり上がっていなかったが、今回は通常の3,5mくらいは上がっているようだ。





















「黄門橋」付近は、やはり「幽邃」、「蒼古」といった趣のあるところだが、雪により一層深い山の中にいるような感じがする。




















茶店「寄観亭」には、お土産を買ったり、この寒さで温かいものを求めている人が一杯いた。




















兼六園のシンボルの「ことじ灯篭」、「虹橋」、「霞が池」、「蓬莱島」、「内橋亭」全てを入れるビューポイントのところは人でいっぱいでカメラを撮るのも一苦労だった。





















「虹橋」の上から撮った「ことじ灯篭」、「霞が池」、「内橋亭」はポスターなどにもよく出てくるが、雪の降りしきる天気での光景もまた格別だ。





















「虹橋」を渡ったところから見た雪吊の「唐崎の松」もすばらしい。

2015年1月8日木曜日

お正月 雪の兼六園(1)

今回は、元旦に約20cmそして今日の朝までにさらに数cmの雪が積もったので「お正月 雪の兼六園」の風景を見たいと思って行った。(1月2日)「金沢神社」と「成巽閣」の間の小路から入った。お正月は無料開放となっている。(石川県在住で65歳以上の人はいつでも無料)




















学問の神様の「菅原道真」を祀ってある「金沢神社」の前は、受験生やその親たちであろうか長い行列ができていた。




















境内には「志望校合格」や「必勝」などと書いた多くの絵馬が飾ってあり、拝殿の前には「合格祈願」のお参りしていた。それぞれ願いをこめて丁寧にお祈りしているので、最後尾に行列に並んだ人は一体どれくらい待つのであろうか。




















「芋堀籐五郎」伝説で有名な「金城麗澤」付近





















満々と清い水を満たしている「金城麗澤」は、隣の「金沢神社」は人で一杯だったが、ここは対照的に誰もいなかった。




















梅林の中にある船の形をした「船之御亭」(ふなのおちん)には、一服している人が何人かいた。これは、5代綱紀が蓮池庭作庭の際に作られた4亭のひとつで、他の4亭と違って簡素なものであった。もとは眺望台付近にあり、日本海、河北潟、能登半島などの眺めを楽しむ四阿であったことが藩政期の絵図に描かれているという。ここは10数年前に再現された。





















いつも抹茶とお菓子がいただける「時雨亭」は、正月の間は建物内部の見学だけで、無料であった。





















ここは、藩政期には噴水の前にあったが、明治の初めに取り壊され平成12年に、この地に再現された。いつも抹茶などを頂ける大部屋の庭側の10畳と8畳、それに続く小さな「御囲」(おかこい)は、残されていた当時の平面図により復元したという。




















この座敷から見る庭の雪景色は、いつも見るのと違った趣がある。




















蓮地庭の「翠滝」は相変わらず大量の水が落ちている。「海石塔」の笠にはこんもりと雪が積もっている。ここは、やはり桜、紅葉そして雪景色の時期が見ごたえがある。




















園内で一番古い建物の「夕顔亭」の屋根にも多くの雪が積もっている。瓢池に浮かぶように建っている「三芳庵水亭」の玄関前には、すぐ近くにある「翠滝」などの景色を見ながら食事をしようと待っている人がいた。