2013年7月29日月曜日

石引通り(1) くらしの博物館

今回は、石引通りを歩いた。まず、現在の紫錦台中学の建物の前にある
「くらしの博物館」に入った。
ここは、明治32年に二中の校舎として建てられ、戦後に紫錦台中学の校舎
として使われた建物である。
尖った塔を三つもつ建物は「三尖塔校舎」として金沢市民に慕われている。




















「くらしの博物館」は「昭和の金沢の映画チラシ」というテーマで展示されていた、




















昭和の初めから50年くらいまでに、金沢の駅前、武蔵、香林坊、片町など
約20軒くらいの映画館があった。
私はほとんどの映画館に行った覚えがあるが、ここの近くにあった「スター劇場」
だけ入ったことがない。








































一つひとつの映画館の写真やポスターが展示してあり、私の小さい頃の家の
そばには、丸越劇場、テアトル会館、ムサシ東映、昭和劇場と四つもあった。
小学生時代の夏休みに、ラジオ体操が終わった後、8時ごろぐらいから10円、
20円で見れる「映画教室」に行ったことを覚えている。




















映画のポスターも町のあちこちに貼ってあった。テレビが昭和30年代の前半に
見れるようになったが、まだまだチャンネル数も少なく、かっこいい俳優が出ていて
刺激のある映画が主流であった。




















その他、ここの常設コーナには、戦前から戦後の暮らしに使われていた生活用品
が展示されていた。
ご飯をまきで炊いたかまどやお釜、石でできた今のものより低い流し台、弁当箱や
水筒等が展示されていた。
それに、「フマキラー」の名前を覚えているが、虫に向かって「シュー」と押すと、
噴霧上の薬品が出てくる殺虫機はなんとも懐かしい。









































また、電気洗濯機が出る前に使っていた、表面にギザギザの凹みがある
洗濯板も見たことがある。




















電気洗濯機もで初めのことは、洗濯物を絞るのに、手でハンドル回し、二つの狭い
ロールの間を通すものであった。




















ちょうちんや油を入れて使うランプは私が生まれる前のものであるが、電灯の
はだか電球はよく覚えている。




















つまみを回してメータの針を動かしてチューニングするラジオも懐かしい。
またレコード盤がビニール製のペラペラのソノシートというものがあった。
音は悪いが、それなりに聞けた。
昔、ソノシートでギターの練習をしていたことを思い出した。




















また、昭和11年、12年ごろと、昭和37年の物価が貼ってあり、今とずいぶん違い、
どういうふうに値段が代わっていったかが分かり、おもしろい。




















また、昔祭りになると獅子舞を見たことがあるが、最近は、金沢ではあまり
見ることがなくなったが、何年か前に親戚の津幡で見たことがある。
ここは今でも勇壮に獅子舞をやっている。


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2013年7月23日火曜日

東山(3)茶屋街

前回に続いて 茶屋の部屋の中を公開している「懐華楼」に入った。
以前、ここの斜め向かいにある「志摩」という店には、東京から観光に来た
親戚の人や友達などと2度入ったことがあるので、今回はここ「懐華楼」に
した。
昼は一般公開して、夜は「一見さんお断り」で、華やかにお座敷が上げられ
ているとのことである。




















何と190年たっている金沢でも一番大きい茶屋である。
紅殻色の壁の大座敷で、ちょうど新潟から来ていた団体客と一緒に
芸妓さんと思しき人のユーモアたっぷりの説明を聞いた。部屋には
「花嫁のれん」が展示されていた。




















また道路側にある前座敷は壁が群青色で、ここで芸妓さんのおどりを
お客さんが見る部屋である。お客さんが床の間を背にして座ると、正面に
遊芸をする控えの間があり、太鼓や鼓が置いてあった。








































離れの部屋は、芸妓さんが踊りにでる際の準備や休憩をするところである。




















また、金沢らしいきらびやかな金箔の畳の茶室もあり、贅を尽くした
豪華絢爛の部屋を見ることができた。




















次に金沢工芸の代表的な金箔の店が何軒かあるが、今回は「箔座ひかり蔵」
という店に入った。ここも昔の茶屋を改装したした店である。




















ここで注目したのが、2万枚の金箔を使ったという黄金の蔵は見ごたえがあった。
1枚が1/10000ミリという金箔をどのようにして貼っていくのか店員に聞いたが、
よく理解できなかった。ちょっと想像もできない。








































その他、金箔を施した皿、バック、アクセサリーなどいろいろな小物が販売
されていた。




















帰りに茶房「素心」という店に入り一服した。
窓側に座って外を眺めると、茶屋街が並び、江戸時代にタイムスリップした
気分になった。




















茶屋街の玄関の行灯の上にツバメの巣があり、子供ツバメがいて、周りにツバメ
がよく飛んでいた。




















茶屋街の奥に「菅原神社」があるが、ここは茶屋街の鎮守社である。




















東山はお茶屋の風情を感じ、金沢の名店で舌づつみし、さらに雑貨店で
お土産探しができるという、今、金沢で最も魅力のあるところである。
茶屋街としては京都祇園に次いで、全国で2番目に重要伝統的建造物群
保存地区に指定された。

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2013年7月18日木曜日

東山(2)茶屋街

前回の続きで、メインストリート沿いの「今日香」という店には、お箸、お椀、
お香、手ぬぐいなどの女性に人気がありそうなかわいい小物雑貨が並べ
てあった。








































このような店がこの付近に角の「鶴亀」など何軒かあった。




















また、金沢は和菓子が有名であるが、きんつばの「中田屋」、しばふねの
「小出」などの店があった。
特に、「森八」はこの付近に店を三軒構えていた。新幹線を見据えて、「東山」
に勝負をかけているのであろうか。
お菓子を売る店、器と一緒にお菓子を並べている店、お抹茶などをいただける
茶房の店があった。
器の店は森八の和菓子と九谷焼作家の最初の人間国宝である徳田八十吉を
コラボした店だという。森八のお菓子と徳田八十吉の作品が並べてあった。




















三代の徳田八十吉は今までの九谷焼の絵画的なものと違い、色釉(いろゆう)
だけで彩った独特な味わいがある。黄、緑、青。紺青の配列がすばらしい。
現在は、三代の娘さんが四代徳田八十吉を継いで女性の感性を取り入れた
作品をだしている。今後楽しみである。
















「ふるさと人物伝」より



茶房(森八)でコーヒーセットを頼み、一服した。このテーブルに「金沢城下町絵図」
の加賀八家、人持組、足軽、町地、社寺地などで色分けしてある面白い地図が
あったので、1枚買った。前からこういう地図が欲しかった。








































ちょうど氷室饅頭の季節だったので、ここで買った。
氷室饅頭は金沢伝統のお菓子で、5代綱紀のころ、片町の菓子店が
作ったのが始まりといわれている。
この時期に食べると1年間無病息災でいられるといわれている。




















他に、加賀麩の「不室屋」、「宮田」も店を構えていた。

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2013年7月13日土曜日

東山(1)茶屋街

東山は京都になぞられた卯辰山の別名である。
金沢らしい場所として、東山は、今、金沢でも最も熱いところだという。
「ひがし」の廓として、現在地にできたのは、文政8年(1820)というから
もう200年近くになる。金沢の三つの茶屋街の中でも一番格式が高い
といわれている。
紅殻格子の連なる茶屋街は、商家や職人の家の様子とは一味違い、
その家並みは見事で、廓としての独特な雰囲気を持っている。



















江戸時代の茶屋街を描いた絵があった。





















東山のメインストリートの入口にあるレトロな洋館の建物は「自由軒」という
レストランである。
以前、ここでオムライスを食べたことがあるが、なんとも懐かしい味であった。
他に「カツカレー」、「ビーフシチュー」、「昔ながらのカツ丼」などがある。








































「自由軒」の斜め向かいに「旧木町」の標柱があるが、藩政期時代にはここに
木材問屋が集まっていたからこの名が付いたという。




















続いて細い道に入ると、「武右衛門」という蕎麦屋の店がある。
昼食として、ここの店に入った。
店内はジャズの音楽が聞こえ、夜はバーとなる粋な店だ。




















天ぷらそばを食べたが、塩が添えられていて、塩だけをそばにつけて食べても
おいしかった。
ここは空き家となった伝統的な茶屋建築を改造した店で、まきストーブが置いてあり、
天井には扇風機が回っていた。








































さらに少し歩くと「ゴーシュ」という店があるが、ここは昼はケーキやコーヒーを
飲ませる店だが、夜はやはりバーになるらしい。
今後、ますます観光客相手のこのような夜もやっている店が多くなるだろう。




















この付近は、道が大変細く、人とすれ違うのも、少しよけなければならない。
そういえば中学生の頃だったか、自転車で来たことがあり、友達について
走ったが、しっかり付いていないとクランクで見失ってしまうくらいの細い道だ。

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2013年7月8日月曜日

東山  旧観音町界隈

今回は、東山の旧観音町通りを歩いた。
ここは以前このブログでも紹介した「観音院」の門前町で藩政時代から
商屋が並んでいたまっすぐの通りだ。




















通りの入口に、レトロな大正時代の洋館がある。
ここは「とどろき亭」といって、フランス料理を食べさせるところだ。
中に入ってないから分からないが、内部もレトロなフランス調の内装で
落ち着いた雰囲気で食べられるのだろう。
一度は入ってフランス料理とワインを飲み見たいものだ。




















次に通りに沿って歩くと右側に「福嶋三弦店」があり、そこの店に入った。
ここは三味線専門店で北陸では唯一の店だという。
現在、4代目と5代目が従事しているというからかなり古い。
芸姑さん達がいる東山、主計町などの茶屋街からも近い。




















店内にはいろいろな三味線が並べてあったり、三味線の材料や、作る工程で
使う器具なども置いてあった。




















2階では300円で三味線が体験でき、抹茶もいただけるという事で
体験してみることにした。
三味線の弾き方のマニュアルと「さくら」の楽譜が置いてあった。
滋賀県から来たというお客さんと一緒に弾いてみた。
最初は戸惑ったが、分かりやすい楽譜(どこを押さえればよいかが分かる)
であったため、20~30分練習したら、何となく弾けるようになった。
また機会があったら三味線を弾いてみたいと思う。








































帰りに店の人と話をしたら、三味線に張ってある白い皮は、犬や猫の皮だと
言っていた。手作りでやっているので、お客さん好みの三味線を製作している
とのことだった。




















私の親戚の人も小唄で三味線を弾いているので、尋ねてみたら時々こちらへ
来るとのことだった。

また少し歩くと左側にヤマト醤油の直売所があった。
ここで「いしる」の試飲を勧められ飲んでみたが、非常によい味がした。
「いしる」は魚醤ともいい、能登地区で江戸時代から作られているもので、
いわしやさばを原料としているらしい。いかの魚醤も有名である。




















ここで一服し、醤油ソフトクリームを食べた。ほんのりしょうゆ味がして、
また今日は大変暑かったのでおいしかった。




















まっすぐ歩いていくと、坂の手前の左側に「寿経寺」がある。




















ここは「安政の泣き一揆」で処刑された7人を供養している。
寺の前には。七つの地蔵が稲をつかんで立っている。(七稲地蔵という)




















そしてその横には処刑された七人の名前が彫られた墓が建っている。




















「安政の泣き一揆」とは、飢饉で米の値段が上がり、生活の困った農民たちが
登ることを禁止されている卯辰山に2000人くらい集まり、「ひもじいわいや」、
「米くれまいや」と藩主のいる城に向かって叫んだという。江戸末期の金沢での
大きな事件となった。

「寿経寺」の先は二手に通りが分かれていて、右側のほうは観音坂男坂といって、
急な階段を上ると観音院に出る。




















また、左側の坂は観音坂女坂という。階段は無いが、かなり急なスロープである。
「上がるとき後ろを振り向くと災いが起こる」という言い伝えがある。
この上には、私が好んで呼んだ「サカオロジー」(金沢の坂)の本を書いた
国本昭二さんの家があった。




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