2017年1月30日月曜日

2017年 冬の晴れ間の兼六園 ②

2017年 冬の晴れ間の兼六園①の続きで、その後、梅が少し咲いていると聞いたので時雨亭、梅林の方に行った。時雨亭のお座敷から眺められる庭である。




















時雨亭の庭に流れ込む小川。




















ここから向こうに見えるのは梅林である。




















「舟の御亭」には、多くの若い人が集まっていたが、どうもアジア系の団体の外国人のようで、写真からは見えないが着物を着ている人も何人かいた。




















兼六園で梅の中で一番早く咲く「八重寒紅」で、ピンクの花がきれいに咲いていた。今年は特に早いのかなあ?




















白い梅もそろそろ咲き始めのようだ。しかしまだつぼみの梅もちらほらあるが、ほとんどはもうちょっと先のようだ。3月くらいまで、いろいろな品種の梅が順番に咲くので、ここ1,2か月はいつ来ても見れそうだ。




















ここにある大きな戸室石は「明治記念之標」に載っている日本武尊の銅像の台座石だったと立札にに描かれていた。1991(平成3)年に「標」大修理したが、台座石のひび割れがひどく、再利用できなかったために、新しいものと取り換え、この石は創建を記念するために、こに置かれているという。この説明書きの立札がなかったと思うので、今まで見逃していたのではないか?




















赤い椿の後ろには、雪吊された大きな松がある。


























赤い実の「ナンテン」もあった。ここは、もう2週間から1か月後にまた来て、梅がどのように咲いているか見たいと思う。





















2017年1月28日土曜日

2017年 冬の晴れ間の兼六園 ①

2,3日前に10cmくらいの雪が積もり、どんよりした日が続いたが、今日(1月25日)は、久しぶりに青空が見え晴れていたので、兼六園の様子を見に行った。
兼六園の中でも最も人気のある「ことじ灯篭、霞ヶ池、唐崎の松」




















「眺望台」から見た富山県境の医王山や戸室山方向で、雪に覆われた山の見え、すばらしい眺めである。足元には曲水が流れている所で、兼六園の名前の由来となった六勝のうちの相反する「眺望」と「水泉」が共存している最たるところだ。




















曲水の「雁行橋」付近からも医王の山並みが見える。




















園内で一番大きい「霞ヶ池」も水面が凍っている。池泉回遊式庭園の典型的なところだ。




















「霞ヶ池」から「栄螺山」方向を見る。





















兼六園の最初にできた「連池庭」にある「瓢池」、「翠滝」、「海石塔」で、滝の周りは木々が生い茂っている。「夕顔亭」は幕で覆われていたが、改修しているのであろうか?




















「常盤ヶ岡」から「栄螺山」方向を見る。「三重宝塔」が見える。




















兼六園はやはり雪景色が似合う。

2017年1月26日木曜日

信州ドライブ(5)軽井沢 旧三笠ホテル

信州ドライブ(4)の続きで、1日目は長野市に泊まった。次の日、高速道路を通って軽井沢に行った。
軽井沢町は、江戸時代に中山道の軽井沢、沓掛、追分とが関東の出入り口を固める碓氷峠を控えた浅間根腰の三宿場町として栄えた。
1886(明治19)年に訪れた宣教師のアレキサンダー・クロフト・ショー氏が家族・友人を連れたひと夏を過ごし、避暑地として紹介されたのが始まりである。それ以来リゾート地としての歴史を刻むようになったという。
「旧三笠ホテル」は、日本郵政や明治製菓の重役を務めた実業家の山本直良(1870~1945)が創業した。




















国の重要文化財に指定されたのは、日本人の手による純西洋式木造式ホテルが高く評価されたもので、明治期における海外の良いものを取り入れようと精神がよく窺えるという。




















屋根下の湾曲したブラケットが建物の重厚さを増し、窓の太い縁取りが安定感を増している。




















当時のままの受付、ロビーで、シャンデリアなど華やかな時代をしのぶことができる。




















大正時代初期の三笠ホテルでの晩餐会の写真が掲げられていた。山本直良をはじめ、徳川家の人、近衛文麿、里見弴、有島一郎などそうそうたるメンバーが写っている。




















ホテルの各部屋のアンティークな暖炉、テーブルや調度品などが当時のまま備えられている。








































窓から日差しが入るくつろぎスペース








































奥の方には、浴室、更衣室、トイレなどがある。




















周辺には豪華な別荘が並んでいた。





















2017年1月22日日曜日

信州ドライブ(4)北国街道 柏原宿 小林一茶記念館

信州ドライブ(3)北国街道の続きで、その後、「柏原宿」付近に建つ「小林一茶記念館」に行った。
小林一茶は、明治時代の正岡子規により、松尾芭蕉や与謝野蕪村と並ぶ俳人として広く世に知られるようになったという。




















小林一茶の作品は約22,000句あり、非常に多くの俳句を世に残している。読んだだけで意味が分かることが特長で、世代をとわず親しまれている。
代表作は「一茶発句集」、「おらが春」などが有名である。




















「柏原宿」は「古間宿」との合宿で、月の前半だけやっており、1819(文政2)年には、旅籠屋10軒、茶屋4軒、酒屋2軒、その他米屋、塩商人が活躍していたが、その後の大火で113軒のうち一茶宅も含めて92軒が消失したという。その後復興して加賀藩の参勤交代の宿所として使われたという。






















加賀藩12代藩主斉広の正室の隆子(真龍院)の帰国の際に随行した、家老「中川八郎右衛門一行」98人と、13代藩斉泰が入国の際に御年寄「横山山城守隆章一行」95人が宿泊した際の宿札が展示されていた。




















古間宿の「金沢藩、富山藩、大聖寺藩御用達看板」と関札「松平日向守御休看板」


























平成14年から、ここ信濃町と石川県の白山市が俳句交流を続けており、ちょうど白山市で生まれた「加賀の千代女」の展示がされていた。千代女は17歳の時に、芭蕉の高弟各務支考(かがみしこう)から「あたまからふしぎの名人」と称えられれ、その才能が認められる世のなったという。千代女の句集は「千代尼句集」、「俳諧松の声」の2冊が生前に出版され、千七百句が核にされている。
下図は「加賀の千代女」の自画像




千代女の「朝かほやつるべとられてもらい水」はあまりにも有名である。




















「小林一茶記念館」のすぐ近くにあった「柏原宿本陣」は黒姫山麓の新田開発に取り組んだ豪商で、一茶の顕彰に努めた。問屋を兼ねていたため、業務を引き継ぎ郵便局をしていた。「郵便局発祥の地」の碑がある。




















続いて「牟礼宿」に向かい、ここに加賀藩12代藩主斉広の正室の隆子(真龍院)の帰国の際に謳った歌碑があることを聞いていたので、それを見に行こうと思ったが、既に辺りは暗くなり、よくわからなかったので、道を聞こうと思い、通り沿いに1軒だけ煌々と照らされていた店に入った。
ここの店に一人の女の人がいて「ハープ」の演奏家だという。仕事の合間に練習し、たまに演奏会を開いているらしい。その場で少し弾いてもらったが、こんな近くでハープの演奏を聴くのは初めてで、うっとりするような音色だった。




















この人は、話しぶりからやり手のような感じで、工芸品を作ったり、いろいろなものも売っていた。ウィンドーケースの中には大小いろいろな「鎌」が並んでいた。




















結局、真龍院の歌碑は見ることできなかったが、JR牟礼駅に寄った。




















金沢と東京間のちょうど中間点で、新幹線ができる以前は、JRで金沢へと東京への運賃が同額だったところだ。時刻表を見ると、1時間に1本か2本で、かなり不便だなあと思った。

2017年1月18日水曜日

神明宮 左義長 犀川大橋付近の雪景色

今回は、正月飾りなどを燃やす左義長ということで、野町にある「神明宮」に行ってきた。
(1月15日)




















ここ「神明宮」は、藩政期には毎年正月に金沢城内の諸門や藩主の殿中、居間に掛けた注連縄(しめなわ)を小正月の1月15日に、社寺奉行立ち合いのもと、神前で祓い、”神明の大ケヤキ”の下で燃やす慣例で、「金沢の左義長の元祖」といわれている。








































今日は、左義長の3日目(13,14,15日)であり、午前9時から始まったが、私はその午前9時ごろに行ったので、まだ燃やすものが少なく、火は小さかった。




















この神社で何んといっても有名なのが御神木で「パワースポット」となっている「神明の大ケヤキ」は、樹齢1000年を超えるといわれる県下最大の大ケヤキで樹高33m、幹周り7,83m、枝幅25mである。
古来より、巨樹には、エネルギーを発する力があるとされ、枝々が大きく広がる懐でその爽やかな息吹きを感じれば、その人にはご利益があるといわれている。この木の前で、手で体に当たるよう仰いで「気」をもらっている人も見かける。


























大ケヤキの前に「願掛けねがい石」というものが置かれていた。


























寒波襲来で新潟地方は大雪というニュースを聞き、今日は久しぶりに金沢に雪が積もったが、わずか7cmだった。
神明宮近くの犀川大橋付近の雪景色を紹介する。




















大橋付近から上流の桜橋方向を見る。本来なら、医王山や戸室山などの峰々が見えるはずだが、どんよりした空で全く見えない。




















「寺町」へ上がる「蛤坂」で、昭和の初めまでは、ここに大きな火の見櫓があった。




















金沢にいくつかある「芭蕉の句碑」で、「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」と描かれている。この句碑を建てたのが「小松砂丘」で、松原健之の歌「金沢望郷歌」に出てくる香林坊の句碑など、この人の建てた句碑が30余りあるらしい。