2014年2月26日水曜日

ラブロ片町

大和デパートが香林坊の方に移転してから、ここの建物を利用して「ラブロ片町」として専門店を中心として開業したが、近年、「スターバックス」などテナントの出退店が続き、苦戦していたという。
それで今年の3月16日をもってすべて閉店する。




















長年、この場所のこの建物に思い出を持った人がたくさんいることから、現在「~明治・大正・昭和~片町・大和なつかしの写真展」というものをやっていた。




















ここは「宮市洋物店」、「宮市百貨店」、「宮市大丸」、「大和百貨店」そして「ラブロ片町」と変遷している。




















私が小さいころよく知っているのは「大和百貨店」である。大和の中に映画館、食堂それに屋上に遊園地があり、親に連れて行ってもらったときは、わくわくし、大変楽しかったことを覚えている。

大正6年のころの犀川大橋から見た片町通りの写真があったが、狭い道で、電車も通っていなく、商店の家も今とずいぶん違う。




















今の金劇の向かいあたりに、今はビルが立ち並んでいるが、お菓子屋の「石川屋本舗」があった。
小学校の低学年のときに、東京から来た親戚の人に連れられて入ったことを覚えている。




















昭和29年の片町交差点(今のスクランブル交差点)は今とずいぶん違っていた。今「北国ビル」が建っているところには、天辺が尖った建物が見える。




















昭和30年代ころの大和前から香林坊交差点方向を見た写真と思われるが、市電も懐かしいが、人もずいぶん多くいてにぎわっていた。




















片町の半世紀ということで50年前と現在(昭和37年と平成16年)の商店街を対比して張られていて、移り変わりがすぐに分かる。




















また、西田佐知子の「香林坊ブルース」のご当地ソングのレコードジャケットが飾られていたが昭和42年作という。そういえばそんな唄もあった。




















現在、ここの3階にある「楽市楽座」では古い本や昭和のレトロな骨董品が安く売っていた。掘り出し物もあると思うので、ゆっくり見て歩くのも楽しいだろう。








































「金沢まちなか交流サロン」は金沢を訪れる観光客が気軽に利用でき、金沢の観光地の紹介、情報提供や英語で案内もしてくれるというが、ここも閉鎖される。
また、喫茶、ランチ、デザートの「サロン・ド・テ・エッセ」という店があり、ここで一服した。おばさんがやっていて、常連客が多くシニアのたまり場になっているようだ。




















「ラブロ片町」の建物は取り壊され、2年後くらいに高さをおさえた5階くらいの建物ができるらしいとおばさんが言っていた。1階から3階はテナントが、4,5階はブライダル関係という話があるが、まだはっきりしていないということだった。ぜひ片町を再生するものを作ってもらいたいものだ。




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2014年2月21日金曜日

片町商店街(3) 片町交差点から香林坊交差点 

片町商店街(2)の続きで、「エルビル」の向かいのビルの2階に「川端鮮魚店」という店がある。
ここは最近友人と入ったが、テーブルの上に炭の入った七輪で新鮮な魚介類を自分で焼いて食べるという店である。定員が時々見に来て食べごろを言ってくれる。新鮮な魚介類の焼きたてを食べるのは大変おいしいく好きだ。わざわざ能登まで行かなくてもよいので便利である。




















その横の「北国ビル」の前にちょっと字が見づらいが「芭蕉の辻」という碑がある。
というのは、江戸時代に芭蕉が金沢に滞在したときに、この「北国ビル」の所にあった旅人宿の「宮竹屋」に宿泊していた。「宮竹屋」はもう一つ現在の「オーロラビル」あたりに薬種商も営んでいたという。金沢における芭蕉の弟子の一人の「小春(しょうしゅん)」は宮竹屋3代目の弟ということからここに泊まったという。ここで芭蕉は8日間も居たというから、もてなしもよくよっぽど居心地がよかったのだろう。




















「北国ビル」の大通り側の1階に「アルテシマダ」という時計や宝石などを売っている店がある。片町商店街には、ここの他に時計、宝石などを売っている店が何軒かある。ここは昔、武蔵が辻に「島田時計店」として店を構えていて、私の小学校の同級生もいたことを覚えている。売っているものが宝石なのできれいな店だ。




















また、「北国ビル」の地下1階には「じねん」や「八兆屋」という居酒屋がある。サークルの打ち上げや仲間の歓送迎会などで何度か来たことがある。リーズナブルで安心して飲める店だ。




















少し歩くと、「カレー屋」や「ラーメン屋」など食べ物屋が並んでいる。
「洋食屋RYO]の前には金沢名物の「ハントンライス」が飾ってあった。「ハントンライス」の起源はハンガリーでパプリカライスと合わせて魚のフライを食べていたこととされる。40年ほど前に金沢で日本人向けにアレンジされて名物になったという。「ハン」はハンガリー、「トン」はフランス語でマグロのことを指すという。ここでは大きなエビフライがのっている。
3年ほど前にここで「ハントンライス」を食べたことがあるが、「金沢検定」試験の帰りで、1階は満席だったので2階の大きな部屋で、仲間3人で答え合わせに夢中になりながら食べたので、どんな味だったかよく覚えていない。




















次に以前の「大和デパート」の建物を利用した「ラブロ」があるが、ここは次回改めて紹介する、

「ラブロ」の先の小路の角に「ゑり虎」という江戸時代からあるという老舗の呉服店がある。7代目という80歳の主人と話したが、片町には昭和13年に来たという。「大和デパート」が移転する前はここの隣に「いちの谷カバン店」があり、金沢市の公示価格のトップをずっと続けていた。「ゑり虎」の主人は片町の移り変わりをよく知っているはずだ。




















加賀友禅をはじめ着物に関するあらゆるものを取り扱っているという。今、金沢で人気の観光スポットである東山にも姉妹店「久連波」という店を出しており、加賀友禅のギャラリーや抹茶を頂けるコーナもあるという。




















小路を渡ると「クラフト金沢」という店がある。金沢最古の画廊「犀川画廊」が営むショップで金沢ならではの繊細な手作業のちりめん細工などで作った民芸品が並んでいた。

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2014年2月16日日曜日

大乗寺 涅槃会

金沢の風習のひとつである涅槃会(ねはんえ)があると聞いていたので、一度どんなものか見たいと思い、長坂にある大乗寺に行ってきた。今日は大変寒く、雪がちらついていた。(2月14日)




















涅槃会はお釈迦さんが入滅の日(旧暦2月15日)の日に、その遺徳をしのんで読経の法要が行われる行事である。
金沢のお寺では2月15日の行われるのが多いが、3月15日に行われるところもある。ここ大乗寺は2月14日に行われる。というのは大乗寺開山の徹通義介の月命日が14日なのでそれに合わせて行われているという。




















午前11から涅槃会の行事が始まると聞いていたが、午後1時半ごろに大乗寺に入ったら、参拝者でいっぱいで、まわりに立っている人もおり、僧侶の読経をやっている最中であった。








































読経が終わると、参拝者お目当ての団子がまかれた。我先にたくさん拾おうと一生懸命になっている様子はすさまじかった。私もその中に入って、僧侶が投げた団子を受け取ろうとしたが、うまくいかず、下に落ちたものを競争して拾うしかなかった。両手を広げて「お願いします」というような顔をしていたら、一人の檀家さんの役員らしい人が、「ドン」と手に入れてくれた。
毎年来ている人は要領よく大きな袋を広げて、まかれる団子を大量に受け取っていた。








































お釈迦さまが沙羅双樹のもとで永眠された姿と。弟子たちのほかあらゆる動物がとりかこんで悲しんでいる涅槃図が横に飾られていた。




















涅槃団子はすべてここの修行僧や近所の住民によって作られているという。釈迦の舎利(遺骨)をかたどったものといっているが、形が丸く白、赤、黄、緑色に彩られた米粉を蒸した1~2cmくらいの餅である。
この団子を焼いたり、味噌汁の中に入れたりして食べると病気にかからず、家内安全に過ごせるという。また、その他厄除けのお守り、財布や勉強机などの入れて、蓄財、学業成就の願掛けにも使われてきたという。




















団子まきが終わったら、各局のテレビ局の人や、新聞記者などが参拝者に近寄り、感想などを聞いていた。私はブログの題材にと思い来たのに、「石川テレビですけど」などマイクを向けられそうになったので「いいよ」と断った。

寺の中から見る雪景色の建物はまた趣があった。




















帰りに山門の裏側に「しあわせの鐘」があったので1回だけ「ゴーン」を鐘をついてきた。




















ここ大乗寺に関しては他にいろいろ書きたいこともあるので、後日改めて紹介したい。また金沢の風習も他にいろいろあるので、日を忘れないでできるだけ紹介したいと思う。


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2014年2月11日火曜日

金沢城・兼六園の雪のライトアップ

この冬、金沢は12月、1月と雪がほとんど降らなく、家の前の除雪も1回しかやっていなかったが、昨日と今日は寒波襲来でようやく10~15cmの雪が積もった。
それで今回は金沢城・兼六園の雪のライトアップを見に行った。(2月6日)




















夕暮れ時で、金沢城の石川門の前の石川橋を渡っていると、大量のカラスが飛んでいた。前から金沢城の森の中にカラスの寝床があることは知っていたが、こんなにたくさん飛んでいると不気味な感じだ。昔の「ヒッチコック」の映画の「鳥」を思い出した。最近は温暖化のせいか九州地方にいる種類のカラスもいるらしい。




















石川門は搦め手門(裏門)であるが、今は金沢城のシンボルである。








































三の丸から橋爪門、五十間長屋、菱櫓、河北門を見た。橋爪門は今、改装中で裏の方はテントがかけられていた。








































続いて、兼六園のほうに行った。ここから眺める、金沢城および高石垣ははいつ見てもすばらしい。








































兼六園は昼間有料であるが、ライトアップのときは無料である。桂坂口は閉じられていたので、蓮池門口から入った。
足元も暗く、雪道は凍っていたので恐る恐る歩いた。日本最古の噴水もいつもと違うように見え、寒そうだ。




















兼六園のシンボルのことじ灯篭付近はやはり人がいっぱいで、その前にある虹橋を渡る際は足を踏み外さないように気をつけて歩いた。ことじ灯篭は借景となる霞が池、蓬莱島や内橋亭が暗くてよく見えないので、昼間見るほうがよさそうだ。




















兼六園のライトアップの最大の見所は、雪吊された「唐崎の松」である。ここはさらに多くの人が集まっており、カメラを撮る人でいっぱいだった。
暗くてよく分からないが、言葉からすると日本人ではなく、「春節」休みの中国人や雪が降らない国の台湾人であろうか?中国人は去年に比べて今年の「春節」休みに日本に観光に来た人が非常に多いと新聞で読んだ。「政治と旅行は別」ということらしい。
三脚を立てた立派なカメラで慎重に場所を選びながら撮っている人も多くいた。




















前の池に映っているのもカメラで撮れた。




















月見灯篭と雪吊




















雪のかぶった名木のライトアップも美しかった。








































「さざえ山」に上って霞が池、雪吊の唐崎の松も見た。さざえ山の階段は特に滑らないように慎重に歩いた。




















蓮池庭では「海石塔」はきれいに見えたが、「翠滝」は暗くて見えなかった。「瓢池」は半分氷がはっていた。




















このライトアップのイベントは冬だけでなく、桜や紅葉の季節にも開催されている。昼間に見る景色とまったく違った趣があるので、また是非来たいと思っている。
そして今、金沢の中にライトアップされた観光スポット(レトロな建物や町並みなど)があり見所がたくさんあり、「ライトアップツアー」や金沢を巡回する「金沢ライトアップバス」も運行されている。是非多くの人に金沢の夜景を堪能してもらいたいものである。

今日の散歩時間1時間20分、歩数5200歩でした。

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2014年2月6日木曜日

金沢の和傘 松田和傘店

千日町にある「松田和傘店」に行った。
ここにいる今年90歳になる2代目「松田弘」さんは、約70年間和傘を作り続けている。北陸ではただ一人全工程を一貫して作る和傘職人である。




















途中洋傘が復吸し、売れなくなりやめようかと思ったことがあるという。店に来た外国人に「やめてはいけない。大事な日本の文化です。」と言われ、日本の伝統技を継承し、和傘を作り続けてほしいという言葉が心の糧になっているという。




















和傘が店内いっぱい並べてあった。ちょうど東京から来ていたお客さんが3.5万円もする和傘をポンと買うところだった。その後、私がいろいろ質問していると、今度は福井県から来たというお客さんが、ここで10数年前に作ってもらった和傘の紙が破れたので補修してほしいということだったが、2本で3.6万円で2ヶ月かかると言っていた。この人は踊りに使うと言っていた。
この高い和傘をどういう人が買うのか聞いたところ、社寺、レトロな店の人、あるいは銀座のママさんなどで中には「値段はいくらでもいいから作ってくれ」と言う人もいるらしい。また、踊り、演劇、歌舞伎などでも使うであろう。着物を着た人には和傘がよく似合う。
大変きれいな柄のものもあったが、一本作るのに1年もかかるものもあるという。




















金沢和傘は冬の厳しい気候にも耐えるように丈夫なつくりが特徴で、今でも根強い人気があるという。私が小さいころ、何度か和傘を試しに持つ機会があったが、あの開いたときの「パリッ」とした音と独特な匂いは今でも覚えている。

続いて、その和傘が展示してあるということで、広坂にある「しいのき迎賓館」に行った。




















松田さんが高齢で体力的にきつくなり、あと継ぐ人がいないということで、金沢市が動き出し「金沢和傘研究会」が4年前に発足し、表具職人などが中心になって和傘作りを始めており、その人たちが作った和傘が並べられていた。









































材料の孟宗竹は岐阜県から、紙の「こうぞ」は富山県の五箇山から取り寄せているが、その後の製作はすべて金沢でやっているという.
見た目にはいろいろきれいな和傘が並べてあったが、松田さんに言わせるとまだまだ修行が足りないと言う。
いずれにしても金沢の貴重な伝統工芸をいつまでも続けていってもらいたいものである。



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