2012年8月30日木曜日

兼六園 さざえ山

今回も金沢まち博の散歩学に参加した。
説明していただいたのは、石塔研究家の石井嘉之助
先生です。
兼六園の桂坂から入ってすぐの桜ヶ岡あたりは、江戸時代には
稲栽培の研究所というべき所で、ここで稲の作り方をいろいろ研究
していたとのことです。
こんな所で稲を作っていたとは今では考えられない。
今は桜の季節になると人で一杯になるところです。




















ことじ灯篭は、いまや兼六園の象徴となっているが、先生が見せてくれた
文久年間の絵には載っていなく、その後に作られたとのことです。




















霞が池のさざえ山の下にある石は、日本と大陸がくっついていたころに
できた石だそうです。一体どれだけ前にできた石なのだろうか。




















さざえ山は霞が池を掘り広げたときの土を盛り上げたもので、登り道が
らせん状になっていてさざえに似ているということでその名が付いた。
ただ、さざえは左巻きだが、この路は右巻きになってる。
これは仏法からきているとのことである。








































さざえ山の頂上には、立派な三重の石塔が建っている。
これは12台藩主前田斉広を供養するために、その正室の真龍院と
側室の栄操院(13代斉泰の生母)とが協力して建てたものである。
赤と青の戸室石が交互に積み重ねてあり、いろいろな模様が丹念に
彫刻されている。
この塔の中には斉広の肖像画、仏像一体と法華経が納められていたという。
謎めいた宝塔であり,面白い話が聞けた。




















この塔の横には雨よけのための「からかさ」があるので、さざえ山を
「からかさ山」とも言っている。
私の小さいころは「からかさ山」と呼んでいたのでそちらの方がなじみがある。
山の高さは9mだが、霞が池側は結構眺めがよい。





















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2012年8月23日木曜日

平岡野神社

平岡野神社は金沢駅から一番近い神社で、金沢駅でJRの待ち合わせの
合間の時間でも見学ができる場所にある。
この当たりは、平安時代の終わり頃、木曽義仲が北陸での源平の戦いのときに
陣を張った所といわれている。




















この神社は、山王の杜または山王明神と称され、祭神はいざなぎのみこと
など三柱である。
「山王略記(さんのうりゃくき)」によると、西暦786年に比叡山の21社
のうちの7社を勧請したと記されている。




















また、佐久間盛政や前田利家が、ここで戦勝祈願した伝えられている。

宝物としては「愛染明王画像」があるが、これは金沢市指定文化財となっている。
鎌倉時代の作品で、現在は年二回、広岡町の放生寺のおいてのみ拝観できるという。
その他、土の中からでてきた真っ黒になったサルの置物や前田家が奉納した
といわれる刀などを見せていただいた。









































また、拝殿には、明治時代に県立工業高校の前身の石川工業学校の先生を
されていた諏訪蘇山が描いたという行列の絵が掛けられていた。
拝殿の前には、13代前田斉泰が書いたといわれる「平岡野神社」の額が
掛けられていた。





















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2012年8月17日金曜日

大清水から勘太郎川

今回もかなざわまち博2012の散歩学に参加した。
旧金沢大学工学部の横の崎浦公民館に集合した。
散歩の前に、約1時間ほど金沢の用水について講義を受けた。講師は
今日の散歩で説明もしてくれる笹倉信行先生です。
笹倉先生は、平成4~7年まで、NTT金沢支店長をやっていたときに、休日に
自転車で金沢の用水をくまなく巡って、その後「金沢用水散歩」という本を
だしたというからすごい。
先生は転勤となって、東京(江戸)、名古屋の用水も巡って、その共通性を知ったという。
金沢の寺津用水、旭用水、鞍月用水などの話も聞けた。
私もこれから、金沢の用水をできるだけ多く巡りたいと思っている。





















2012年8月10日金曜日

犀川神社

かなざわまち博2012の「御神宝めぐり」ということで、
中央通町にある犀川神社に行った。
このあたりはほとんど来たことがなく犀川神社も初めて訪れた。




















ここの葛城宮司が説明してくれた。お祭りの好きそうな、
気さくな感じの人であった。
何度もお辞儀をする正式な拝礼を教えていただいた後、
犀川神社の歴史や建物の中を説明してくれた。




















13代加賀藩主の前田斉泰がしたためた書や龍の絵が飾られていた。
また、1600年代に作成されたものと思われる金沢城下の地図もあった。
よく見ると、武家などの一軒一軒の名前が非常に小さくきれいな字で
書かれていたのにはびっくりした。竹沢御殿の名前も載っていたので、
後から追記していったものもあるらしい。








































神社の横の黒松は犀川沿いに金石から並んでいた松の名残であると聞いた。




















説明が終わった後、神社の周りをカメラに撮ろうとして、飛び出た石に
つまずき派手に転んだが、日頃鍛えた体でうまく転んで大丈夫であった。


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2012年8月6日月曜日

浅野川河畔の職人町と西別院

今回も、かなざわまち博2012の散歩学に参加した。
説明してくださったのは、金沢工大の増田達男先生です。
増田先生は、江戸時代の街並みを3Dで再現したり、金沢の
町屋などの建物の研究をなされている。

まず歩いたのは、刀鍛冶や象嵌の仕事をする人が多く住んでいたという
旧鍛冶町や旧象眼町などの職人町をめぐった。








































また、この付近には江戸後期や明治時代に建てられた、「袖うだつ」と呼ばれる
ものがある町屋が多くあった。




















江戸時代に物資を運ぶために作られた思われる用水やあるいは大変狭い小路などもあった。








































笠市町は笠問屋が多く並んでいたから、堀川町は粟ヶ崎、大野などの港から
舟で金沢に荷物を運ぶために浅野川を掘り開いたことからこの名が付いたという。
付近には魚を獲るための網を売っている店もあったのは、上記の理由からであろう。








































続いて、五宝町にある西別院に寄った。
東別院は昭和37年に焼失して、今は鉄筋コンクリートになったが、
ここ西別院は江戸時代に作られており、木造で大工の技量の高さが分かる
趣のある立派な寺である。
西別院は本願寺10代証如によって建立され、、その後2回の大火で焼失し、
現在の本堂は1849年に再建されたという。








































本堂の斜め前にある経蔵という六角の建物の中を掃除する人がいて、開いていたので
たまたま中を見ることができた。
中には、八角の書物の棚や彫り物が回転台の上に載っていて、人が手で押すと
回るという。








































現在の中島橋付近に江戸時代に栄えたという堀川揚場があった。
この付近は、江戸時代に大変ににぎわっていて、郭や食べ物屋があったり
明治から大正時代には米屋が立ち並び繁盛していたらしい。








































また、この付近は私の母の実家へ行く通り道だったので、小学生のころ
いとこの家に遊びに行くとき、よく通ったのを覚えているが、55年前と
あまり変わっていないようにも思う。

この日の散歩は2時間だったが、持病の足のつま先が痺れたのと、暑さのせいで
大変疲れた。

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