2013年2月19日火曜日

武蔵町界隈

武蔵町にあるエムザの裏の道を歩いた。
ここは「スタジオ通り」を呼ばれているが、付近の店員に聞いたら
今から30年位前にライブをやるスタジオがあったからと言っていた。
私が東京にいたころだから知らないはずだ。




















以前、この付近は「石屋小路」という町名であった。
町名の由来は、ここに名高い石工が住んでいたからで、金沢城の
築城や修築のために黒門からの出入りに便利な小路に城奉行や
その配下の者が居住していたという。
また、私が知っている昭和の時代は、野菜などの市場として市民に
親しまれ、一般には「住吉市場」と言っていた。

この通りの角にある金箔工芸品の「田じま」に入った。
ここは私が小学校のころからやっていたのでかなり古いはずだ。
手鏡などいろいろなグッズに金箔が施されていた。
1/10000ミリの金箔は手で触ってるだけでなくなってしまうが、この金箔を
貼って作るというからすごい。マスキングや接着剤、コーティング剤などを
使って作るという。しかし金箔工芸品は「大人の塗り絵」の金箔版で
まったくの初心者でも簡単に楽しめるという。一度体験したいものだ。




















次に栄林寺に行った。
ここには法隆寺の夢殿を模したという八角形のの建物の「花山聖徳堂」がある。
地下には巣鴨プリズンで処刑された東条英機らの戦犯の遺書、絶筆などが
保管してある。
というのもここの住職であった花山信勝さんが、日本人としてただ一人プリズンの
教戒師を務めた縁で手に入れたものであるとか。
勝信さんの長男が経営した幼稚園は昭和30年に建てられたが、その後
子供が少なくなり閉園になり、今は集会場などに利用できる講堂になっていた。

幼稚園をやっていたころに私はここにあったそろばん塾に来ていた。
当時はテレビので初めで、ここの講堂のテレビで栃錦と若乃花の相撲
をよく見ていたのを覚えている。









































この後、越山甘清堂に入って一服した。
ここは、明治のころからやっている老舗のお菓子屋さんだ。
梅鉢紋を焼印した三角形の金城巻きをひとつ頼み、コーヒーを飲んだ。
ここの店で有名なお菓子に「焼まん」があり、焼印には兼六園や尾山神社
などをかたどったものがある。
また酒饅頭が古くから親しまれているという。7月1日の氷室の日には
白、赤、緑の三色にして氷室饅頭として売り出しているという。










































越山甘清堂の会長さんは確か、世界的化学者の高峰譲吉を学び語り継ぐ会の
「高峰クラブ」の世話役だったと思うが、高峰譲吉が少年時代に石屋小路に
住んでいたからであろうか。

今日の散歩時間1時間40分、4200歩でした。

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2013年2月13日水曜日

横安江町商店街(金沢表参道)

久しぶりに横安江町に行ってきた。ここは私が昭和30年から40年代
前半までによく来たところだ。
そのころは、アーケードがあり、雨や雪の日でも傘なしで買い物ができた。
現在は「金沢表参道」の名称で新たな魅力をアピールしようとしている。








































まず真宗大谷派金沢別院(通称 東別院)を見た。
東別院は1597(慶長2)年に本能寺教如が建立したというから古い。
その後、何回か焼失したらしいが、昭和37年の火事は私にとっては
かなり衝撃的であった。
私が家でプロ野球のオールスター戦をテレビで見ているときに、家の前を
消防車がけたたましいサイレンを鳴らして、すごい勢いで走っていった。
外へ出て火の手の方向へ走っていったら、東別院が燃えていた。
東別院の近くの病院の塀に上って見ていたが、寺の屋根が崩れ落ちたとき、
火が大きくなり塀の影に逃げたことを覚えている。それ以来あんなに大きな
火事を見たことがない。








































横安江町商店街を久しぶりで歩いた見たが、あのころのにぎわっていた様子が変わり
シャッターが降りたままの店も多くあった。(この日は日曜日で休みなのか分からないが)




















仏壇店が多くあり、山田仏具店、黒川仏壇店や澤田仏壇店などはやっていた。








































江戸時代からやっているというユアサ金物店、島谷かばん店やうどん屋の加登長など
は頑張っているようであった。

その中で観光客でにぎわっていたのは目細毛針店である。
女性のアクセサリーとして毛針にきれいな羽毛を付けて虫に似せたものが
多く陳列されていた。








































作業場を見せてもらったが、毛針に極小の羽毛を毛抜きやピンセットを使って
虫の体毛に似せて巻くという大変細かい作業だ。これも金沢の工芸のひとつだ。




















この店の横の通りに目細八兵衛商店の本店があり、昔からそこでやっていた。
その店に入って、店主のおじさんとしばらく店の由来や横安江町の様子を聞いた。
ここは1575(天正3)年創業で、加賀藩の御用商人として鮎毛針の製造を
務めた老舗だ。
加賀藩は武士の心身鍛錬のために川釣りを奨励したという。特に鮎毛針は
釣り師の経験や好みによってさまざまなものが作られたという。




















この通りの一本向こうに、昔は彦三商店街があり、喫茶店の「モリナガ」、映画館
の「テアトル東映」や「彦三銭湯」などへよく行ったが、いまはマンションや駐車場に
変わっていた。
また、衣類の「いとはん」、飲み屋街やもうひとつあった映画館も立体駐車場になっていた。




















時代の流れといえばそれまでだが、なんとか頭をひねり、工夫して横安江町商店街
を昔の賑わいが戻るように復興してもらいたいものである。

今日の散歩時間1時間30分、歩数5200歩でした。


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2013年2月7日木曜日

柿木畠,本多町から出羽町(2)

前回の続きで、21世紀美術館の横には県知事公舎がある。
現在の石川県知事の谷本正憲さんが住んでいる。
明治、大正のころは横山男爵の居住の場であったという。




















その横には、1854(安政元)年に設立された加賀藩の洋式武学校であった
「壮猶館」の門だけが残っている。
そのころは外国船が日本によく近づいていたので、軍事力強化ということで
設立された。




















「城南壮」はやはり横山家の13代当主の隆平が1894年に建設した居宅
の一部である。




















この辺は、江戸時代は加賀八家のひとつである本多家の下屋敷であったので
武家の土塀が立ち並んでいる。




















本多町の大通りの角には「歌劇座」がある。
ここでは大きなイベントがあり、金沢でも最大級の観客収容能力を持っている。
ここで有名な歌手の歌謡ショーなどを見たことがある。
以前この建物の名前は「観光会館」と言ったが、この名前になんとなく違和感が
あったが、、今回の「歌劇座」も相変わらずしっくり行かない名前のような感じがする。
学生のころ、学園祭でここの場所で大勢で歌を歌ったのを覚えている。




















中村記念館を通って本多町から出羽町に抜ける急な階段があるが、
これを「美術の小径(こみち)」という。
この横には上から「ドドドドドッ」とすごい勢いで滝のように水が流れている。
登って下を見下ろすと谷底へ落ちていくような気がする。
この水は辰巳用水から前回紹介した西外惣構堀の方に流れている。
今は雪があるが、付近の木々もすばらしく、前の市長の山出保さんも好きな路
であると言っていた。








































美術の小径の上に来ると石川県立美術館と歴史博物館の間に来る。

歴史博物館は赤いレンガの建物で旧陸軍の兵器庫だった。
戦後は金沢美術工芸大学になり、1990年に重要文化財になっている。




















この後、「本多の森ホール」に入った。
ここは以前厚生年金会館であったが、「歌劇座」と同じで大きなイベントが
開催される場所である。
それ以前は「兼六園球場」があった場所である。
中学生のころだったと思うが、プロ野球が金沢に来て、外野の芝生で見ていたとき
巨人の長嶋が我々のはるか頭上へ飛ばした場外ホームランを今でも鮮明に覚えている。
高校生のときは、母校の甲子園をかけた高校野球の応援にもよく来た。




















この日、「本多の森ホール」の会議室で「秋声文学の魅力」と題して
金沢学院大学の秋山稔先生の講演があるということで聞いた。
秋山先生の話は何度か聞いているが、いつ聞いても非常に分かりやすく
面白い。秋声のいろいろな話が聞け、あらためて秋声の人柄、文学にほれ込んだ。




















今日のコースは金沢観光の主な場所のひとつでもある。
今日の散歩時間2時間30分、7200歩でした。

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2013年2月3日日曜日

柿木畠から本多町(1)

昼食を柿木畠のラーメン屋さんで食べた後、付近を散歩した。
老舗の本屋の「うつのみや」は郊外の大型店に人が移っていることや、
タブレットなどの電子書籍が普及してきているので、かなり苦戦しているらしい。
最近、店内をリフォームし、本の並び替えもし、、いすを置き座ってゆっくり
読むコーナもつけたのことである。
古くからやっている店は、いつまでも同じことをやっていては競争に負けてしまう。
人を呼ぶ工夫が必要である。

柿木畠から本多町方面に向かって歩くと、両側に飲食店が並んでいる。
私の行った店を紹介しよう。
「いたる」、「あまつぼ」は大衆向きの和風の居酒屋で、魚の焼き物や、刺身がうまい。
会社に行っているときに、忘年会、送別会などで行ったことがある。







































また、「もっきりや」は昼間はジャズなどを聞けるカフェであるが、夜は有名
アーチストを呼びライブもやっている。
ギター演奏を友人と時々、見に来たことがある。こういった演奏も、もっと
安ければもっと行くのだが。




















ごはんBarの「猿煙」は、21世紀美術館などへ行ったときにランチに時々
利用している。日替わりランチであるが、メニューはこれ一種類しかない。
コーヒが付いてリーズナブルな値段である。ごはんもおいしい。




















近くに西外惣構堀がある。これは堀や土居で城を囲んだ防御施設で
金沢城の廻りには二重の惣構堀がある。
内惣構堀は2代藩主の前田利長が高山右近に作らせたもので、外惣構堀は
3代藩主の利常が篠原一孝に命じて作らせたものである。
堀の内側には土居が築かれ、土居には竹や木が植えられ防御力を高めていたという。
本多町から始まって柿木畠で鞍月用水と共用されて長町から枡形を経て、
浅野川に流れていたという。





















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