東山3丁目、小橋付近(3)の続きで、「馬場幼稚園」のすぐ近くに「円融寺」というお寺があった。
ここは、泉鏡花の父方の菩提寺で「卵塔場の天女」という作品に出てくることだけは知っていたが、それ以外のことは知らなかった。
本堂は大変立派な建物で、平成6年に建て替えられたという。本堂の前にある二つの灯篭の下のほうには細かい彫刻をした龍が彫られていた。
ここのお寺は「法華経」なので、「法華曼荼羅」を飾っているのであろうか、その前の方は金色できらびやかな飾りが下がっていた。。
その右側にある本尊の前では、数人の信者さんがお参りしている中で住職さんがお経を上げていた。毎日のようにやっているというから熱心な信者がたくさんいるのであろう。
本堂の天井板には「花鳥画」が描かれており、欄間も龍の彫刻がされ金色になっていて豪華な感じを受けた。
境内の横には「百度参り」があり、一人の人が「お百度」の道を何回も繰り返し歩いてお参りしていた。その願いが切実なものである場合に何度も参拝すことで、心願が成就するようにと願ったものだという。
ここの寺の関係資料をいろいろ探したが見つからなかったので、後日、この寺で「寺史」を見せていただいた。1636(寛永13)年に創建されたが、その頃は卯辰山寺院群の一角で、20数ヶ寺のひとつであった。のちに慈雲寺の末寺として「円融寺」となった。その後、加賀藩より金沢城の鬼門除けとして一寺を建立することを許され1741(寛保元)年に現在地に移転し再建された。
その後は紆余曲折ありいろいろのことが社史に書かれていたが、昭和の初期には台風の被害などを受け荒れ放題になっていたという。また、境内に4軒の民家など建っている時期もあった。しかし、1957(昭和32)年に先代の住職(中興開山慈照院日基大法尼)が継承し、いろいろな人からの協力もあり、民家も退いてもらって、晴れて本殿などが修復され、鐘楼堂などもでき復興が叶ったという。
現在の立派な本殿は平成6年に完成したものである。
先代の住職が「日護聖人像」として像が境内に建てられていた。現在の住職はその息子さんだそうだ。後で知ったが、私の知人がここの檀家の総代をやっているということを聞いた。
そういえば、泉鏡花の墓は東京の「雑司が谷」があるが、鏡花の子孫が「この寺には遠いのでなかなかお参りに来れないので、東京のお寺の檀家になる」と連絡があり、その後は縁が切れたそうです。