前回の小橋町、元町付近(1)の続きで、「中田屋」の裏を歩いていくと、古民家風の立派な建物があった。
ここは「本岡家住宅」といい、旧大衆免村に建つ農家住宅で、旧富樫村字窪村に1882(明治15)年に建てられていたものを、本岡家が買い取り、1902(明治35)年に移築したものであるという。
建物はアズマダチで、屋根の下の白壁に柱、梁、貫などが美しく格子状になっているが、そこに珍しく出窓が付いていた。1階は玄関の戸以外は細い格子戸になっていた。
アズマダチは富山県砺波市あたりの古民家の建物に多いらしいが、金沢市の古い立派な民家にもいくつか残っている。
敷地の周囲は塀で覆われていて、玄関に「市登録有形文化財」の看板が掲げられていた。明治後期の農家住宅の特徴的な姿を残す貴重な建物であるという。かって肝煎農家の雰囲気を現在も醸しだしている。
主屋の横に土蔵造り2階建ての土蔵があり、観音開きの重そうな鉄の扉が四つ付いていた。
主屋の正面の広い敷地と奥の庭の間に、瓦屋根と木戸が付いた趣のある門があった。そして庭は、きれいに整備されていて灯篭、飛び石やすばらしい木々があった。
旧大衆免村の肝煎り役を努めていた本岡家には、金沢城下に隣接し、城下町拡大の影響を受けた地域であり、隣接地から城下町の変化を見ていたことや、「相対請地」、「土地売買」など農村と都市のかかわりを示す史料「本岡文庫」が近世資料館が数多く残っている。
明治になってからもここの地域はレンコン栽培が盛んで、近郊農家としての存在として重要であったという。
少し歩くと通り沿いに、知る人ぞ知る隠れ家的な「日本料理店 花もみじ」という店がある。4,5年前に家族や親戚の人と2,3回、ここで食事をしたことがある。
オーナシェフの父が漁師で、輪島から直送される新鮮な魚介類を使い、和食やフレンチの名店で修行を重ねたシェフの料理が好評という。特にランチはリーズナブルな値段で「日替わりランチ」、「花かごランチ」が人気があり、女性客が多く予約しないと入れないそうだ。掘りごたつのテーブル席の部屋と個室、カウンター席がある。
東大通の一本手前の路地に白い大きな建物があったが、ここは「元町教会」である。建物の天辺に十字架がある。親戚の人でクリスチャンがいて、その人の子供の結婚式に参列した時や他の行事でもここの中に入ったことがある。
中に入ると、きれいな受付があり、2階への階段を上がると確か礼拝堂があったはずだ。
中の広間で二人の女の人が打ち合わせをしていた。その人たちから「元町教会」の歴史の書いた本や写真集を見せてもらった。実は私が通っていた幼稚園はここの前身の「殿町教会」にあった幼稚園で、その建物の写真も載っていた。今見てみると、こんなだったとかすかに覚えている。
「元町教会 百年の歩み写真集」より
この「殿町教会」を設立した人は、北陸で最初の日本人キリスト教伝道師として有名な「長尾 巻」という人である。自らは極貧であったが、孤児院の子供や貧しい人々への施しを優先させた生き方が、金沢の人々に語り伝えられているという。愛知県の豊橋教会でノーベル平和賞の候補となった賀川豊彦と知り合い、強い影響を受けたという。
北陸での布教は困難を極め、竹やりで脅されるなどの迫害も受けたという。
「元町教会 百年の歩み写真集」より