「新宿御苑」 を見た後、山手線で一番新しくできた駅「高輪ゲートウェイ駅前」の再開発の第一段階ができたということで行った。
駅前に大きな高層ビルが2棟すでに立っていたが、まだ中にはオフィスや店舗が入っていないようなので、他の駅前に比べて人が少なかった。
何本かの噴水が上がっていて、夏の暑い時には一服の清涼が味わえる場所である。
長いパイプのようなもので作られたいろいろな色でトンネルを作り、くぐりながら駅から商業施設へ通っていくインスタ映えのするトンネルがあった。金沢駅の「鼓門」のようにこの門をくぐるとこれからできる新しい街に入るということなのだろうか?
高輪ゲートウェイ駅の開発は、100年先を見据えた心豊かな暮らしのための実験場として、今年の3月にまちびらきをした。国際交流拠点の象徴となるツインタワーTHE LINKUPILLAR
1をはじめとして、南北1.6kmにも及ぶ都内最大級の新たな街TAKANAWA GATEWAY CITYの町づくりを今後も進めていくという。
大きな建物との間に楕円形の低い建物には、所々に緑の植物があり、用途に応じてレイアウトが変更される動く道路があるこの建物はミュージアムとして、展示場やホールなどができるという。すなわち公園のような居心地の良い空間のある駅を目指すという。
下図は、最終的な「高輪ゲートウェイ駅」の建物で、ショッピングなどステーションビルとしての機能を持ったほかに将来を見据えた一味違った駅の建物になるのだろう。
明治5年日本で最初に鉄道ができ、新橋ー横浜間をに走ったことは有名な話だが、その当時の歴史を「まちづくりストリー絵巻」として描かれていた。
その当時の鉄道の線路が高輪ゲートウェイ付近では、海の上を汽車を走るために「高輪築堤」があったところである。(下図の赤線部分)
高輪ゲートウェイ再開発の工事中にしっかりした状態で姿を現した150年前の開業時に建設された築庭で、この一部が保存されるという。
明治の初めに描かれた名だたる浮世絵師「歌川広重」が描いた「高輪築堤」の絵図で、「築堤」は本芝から高輪海岸を経て品川までの約2.7kmに渡り、幅は6.4mで、 海上ルートになったのは兵部省が高輪の引き渡しを拒んだことにより採られた策だといわれている。
下図は「歌川国政」が描いた「品川蒸気機関車の図」は今の品川駅付近から「八っ山」と「御殿山」を土をくりぬいてできた線路を走る機関車を「八山橋」から眺めている様子
この写真は、かっての「高輪停車場」で、京浜電鉄のの駅が品川駅西口、現在のウィング高輪の場所にあった。しかし路面を走る区間を解消するために、国鉄品川駅に乗り入れることになり廃止されたという。
現在の「品川駅」は、交通の要所になっていて羽田の玄関であり、山手線。京浜東北線、横須賀線。東海道線そして東海道新幹線の駅になっており、大勢の人が駅を乗り降りする。さらに将来「リニア新幹線」の出発駅もできる。近くの「高輪ゲートウェイ駅」はそれのサポートする駅として担うことにもなるだろう。
「山手線」の線路の変遷が描かれていて、興味があったので少し見た。明治7~18年までは、上野ー赤羽と新橋-品川と2か所に別れていた。その後西側に赤羽ー品川まで開通し、新宿や渋谷などを通るようになり、「し」の字の形になった。大正8年には中央線の代々木-神田、池袋-田端ができ、大正14年に上野-神田が開通し、都心部を1周する環状線・山手線ができた。
電車の外観も何回も変わった。私が東京にいたころは車体はほとんど黄緑色だったが、その後も電車自体を改良し、外観の黄緑色の部分も少しづつ変化している。
今回の東京へ行った時に山手線を何回か乗ったが、平日の昼間なのに電車の中が昔に比べてやけに混んでいるなと思った。ほとんどの人がスマホを見ている。