2019年1月10日木曜日

道の駅「千里浜」 妙成寺(1)

今回は、天気が良かったので家のものと能登へドライブということで「千里浜」から「妙成寺」へ行った(2018年11月)。海沿いの砂浜が走れる「千里浜海岸」を車で走った後、昼飯のために道の駅「千里浜」に入った。ここは、2017年にリニュアルオープンしている。



















館内の前に千里浜の砂を使った「サンドアート」といわれる「砂像」が作られており、今回は大きな「恵比須様」が形どられていた。ここでは、砂像製作体験や製作過程を見学することもできるという。
























その足元には、2019年の干支の「イノシシ」が米俵の上に乗っかている像があり、周りにお金がいっぱい置かれていた。



















ここのお弁当を買って食べたが、海の幸や山の幸がふんだんに使われたおいしい弁当であった。



















「千里浜」からさらに北上すると日蓮宗の北陸本山の「妙成寺」がある。今から700余前の1294(永仁2)年日蓮聖人の弟子日像聖人が師命により妙法を京都に広めんとして佐渡から都上がり途中船中で能登石動山天平寺座主万蔵法印(日乗聖人)を教化改宗一寺を建立したのが「妙成寺」である。




















今の建物は加賀前田家初代から5代ににわたって造営されたもので、特に3代利常公が生母寿福院の菩提所として、本堂、祖師堂。五重塔などを建立し、前田家御用大工坂上又三郎親子三代によって桃山建築の雄渾華麗な面が遺憾なく発揮されているという。
桃山時代の法華文化の中心は京都であったが、京都には当時の文化を伝える寺院が現在はほとんど残っていないが、この寺には法華文化が引き継がれ、そのままの形で残っている貴重な建物が数多くある所である。
それらは3代藩主前田利常が元和・寛永期にほとんど建てられたものだが、寿福院と本阿弥光悦の交渉があり、光悦らによって様々な形の京の法華文化をこの地にもたらされたものだという。


受付を入ってすぐのところに、石灰石が溶解し粘着の強い乳状体となって地下の大小の石を結集し、長い年月を経て大きくなって地上に出た「さざれ石」いい、国歌や古今和歌集に詠まれているように「千代に八千代にさざれの石、巌となって苔のむすまで」という団結と繁栄平和と長寿を象徴讃歌しためでたい石だという。この「さざれ石」は産地の岐阜県から譲り受けたものだという。



















その近くに「浄行堂」があるが、浄行菩薩とは法華経に出現する菩薩で水が垢や汚れを清めるが如く我々の煩悩の汚泥を除くという。古来この菩薩に水を注ぎたわしでこすって願いをかけてきたここの開山日像菩薩は浄行菩薩の垂迹(すいじゃく)といわれている。



















1625(寛永2)年建立の「仁王門」は、単層三間一戸の楼門と呼ばれ、江戸時代の加賀藩の書家「佐々木志津馬」の揮毫による「金榮山」の山号額を掲げている。



















両脇には連子格子を設け、中に江戸時代初期の作とされる「阿形」「吽形」の仁王像が安置され門の前で睨みをきかせている。下図は「吽形」の仁王像