2019年1月19日土曜日

妙成寺(3)

妙成寺(2)の続きで、3代利常が前田家御用達の大工に造らせた「本堂」は1614(慶長19)年に建立された。建仁寺流の密教的な雰囲気がうかがわせ、屋根は入母屋造り杮葺き、本尊は一塔両尊四天王菩薩などである。



















「祖師堂」前から見た「本堂」は渡り廊下でつながっている。



















唐様を基調とする「祖師堂」は1624(寛永元)年に建立されたと伝えられている。堂内の厨子も重要文化財に指定された宗祖日蓮菩薩の尊像を安置する。



















入り口正面には彩色を施した迦陵頻伽(かりょうびんが)(仏に仕える想像上の生き物)の欄間は見ごたえがある。



















「鐘楼」は1625(寛永2)年に建立で、純和風を以て造られ袴腰と呼ばれる腰回りの腰囲いは入母屋屋根とよく均整を保っている。ここまで古い「鐘楼」は、金沢辺りではお目にかかれない。


「五重塔」の階段を上る袂に安置された妙成寺の開祖「日像上人」の像がある。

「祖師堂」と「書院」の間にある庭園は、自然の地形を利用して築造された蓬莱式池泉鑑賞庭園で江戸前期に作庭されたものである。「書院」の縁側からの眺めは「五重塔」を借景として、一番の見どころとなっている。



















自然の崖地を活かして、石の配置で流れ落ちる滝を表現していて、池に突き出た三角石を
「亀」、直立するラカンマキを「鶴」に見立てているといわれている。



















5代藩主綱紀が1659(万治2)年に建立した「書院」は、前田家代々の菩提と利常公生母寿福院と息女浩明院の冥福を祈るための御霊屋を営んで併せて参拝の御座所として建てられたものである。奥の御座の間に通された歴代藩主は、南に面した花頭窓から庭園越し見える優雅な塔を見ていたはずだ。しかしこの寺は万一に備える要塞としての役目もあったという。実際に五重塔の屋根には見張り窓があり、敵兵襲来の場合は、塔の監視役から送られる合図が送られ、花頭窓からそれを読み取れる仕組みになっていたらしい。



















「庫裏」は1593(文禄2)年い建立された妙成寺最古の建築である。前田家外護以前にこの庫裏が存在していて、当地の大工の手になり、地方特色が濃く、長押、鴨居などの技法に古色を表しているという。「庫裏」の床下をめくると地下倉庫になっている穴倉があるらしい。一説によると抜け道だったといわれている。



















この庫裏の前に、面白い西欧中世の古い「日時計」が置かれていた。棒の影の位置を指した所が時刻であるというがよく分からなかった。