2018年8月3日金曜日

金沢の近代建築(3)旧石川県庁 石川県立歴史博物館 旧裁判所 旧刑務所

金沢の近代建築(2)の続きで、第四高等学校の建物の通りの向こうに「旧石川県庁」の建物がある。現在の石川県庁は、駅西の鞍月の方に19階建ての立派な建物に移っている。この建物は、石川県で初めての本格的な鉄筋コンクリート3階(一部4階)建てで、1922(大正13)年に完成した。設計者は、大蔵省に務めていた矢橋賢吉で、当時国会議事堂建設の責任者でもあり、国会議事堂建設の合間をぬって石川県庁舎を設計したと思われるという。したがって、この建物は、国会議事堂の系譜に属するもので、しかもこの後に建てられた他の県庁舎の規範となっているのではという。





















建物の外観は、垂直線を基調とする左右対称の構成をしていて、外壁面のほとんどがを薄茶色のスクラッチタイル(櫛引した溝をもつ粘土タイル)で覆い、各階に木製の上げ下げ窓を規則正しく並べられている。このスクラッチタイルの建物は、昭和初期に非常に多く作られているが、その先駆けといえるものだという。




















本庁舎は、本格的な鉄筋コンクリート造りによって完成しているが、付帯工事も近代的技術が使われている。それは内部の電気暖房装置、電気湯沸給水装置や水洗トイレなど今ではあたりまえの設備であるが、当時としては最新鋭のもので米国製品もあるという。そして建設工事は真柄組や辰村組など地元の多くの建設会社が関わり、それがその後に一流会社になったが、ここでの作業の中で近代技術を習得したという。



















現在は、玄関がある前面の建物の半分だけがそのまま残っており、半分はガラス張りの新しい建物とくっついていて「しいのき迎賓館」という名称で、広阪通りの観光スポットとして利用されている。また、この建物の裏でよくイベントが開かれている。



















第四高等学校とともに金沢に現存している「赤レンガ」の建物の代表格として、「石川県立歴史博物館」(旧金沢陸軍兵器支しょう)がある。この建物は、軍の兵器庫として明治末から大正に建てられたものである。これと同じような兵器庫が全国各地に作られたが、現存するのは4か所だけで、完全な形で残っているのは善通寺(香川県)とここだけだという。これも石川県が歴史遺産に対して重要性を認識しているからであろうか?



















全長90mの赤レンガの倉庫が3棟も建っているのはすばらしい。切妻屋根の2階建てで、窓は上げ下げ窓と外側が両開きの鉄扉となっている。内部は木造架構によって支持されている構造である。



















レンガはイギリス積みで、帆とのどが赤レンガであるが下方はこげ茶のレンガでアクセントを付けている。ここは戦後「金沢美術工芸大学」として使われ、昭和50年代に入って「石川県立歴史博物館」となった。






















この建物の間の中庭に建物の柱を地下で支えていたレンガ造りの基礎部分が置かれていた。裏側に直径25cm、長さ3mの松杭が5本打ち込まれていたコンクリートとレンガ、御影石と組み、そこに柱が置かれるというものである。地中にありながら666個のレンガがピラミッド状にきれいに積まれた基礎である。










他にレンガ造りの建物として現存しないが、「公園下」付近にあった「旧金澤地方裁判所」の建物は写真から見ても非常に立派に見える。現在は同じ場所に近代的なガラス張りの建物となっている。



















また、下の写真は小立野の現在「金沢美大」がある場所には、その以前にあった「金沢監獄」の正門であったが、これも立派なレンガ造りであった。この正門は現在「明治村」に保存されている。