2018年8月11日土曜日

金沢の近代建築(5)旧日本生命 旧大同生命 精霊修道院聖堂 

金沢の近代建築(4)の続きで、私が小、中学校時代に毎日通っていた裏通りの1本前の堤町の大通りにあった「日本生命金沢支店」の建物は、当時は何も思っていなかったが、あの「東京駅」などを手がけた近代建築の第一人者といわれる辰野金吾の設計の建物であることを後から知ったが、私が東京に住んでいた時期になくなっていた。(1979年)今から思えば非常に残念である。辰野金吾は、古今東西の歴史を眺め、当初は日銀本店などジョージア朝のクラシックスタイルだったが、日露戦争後はヴィクトリア朝の派手なクィーンアンに変わったという。「東京駅」この建物は後者のもである。
この「日本生命金沢支店」の建物は、木造レンガ造りルネッサンススタイルで、赤いレンガに白い花崗岩の帯が入った建物に碧っぽい王冠風の屋根は、今でもしっかり覚えている。







「失われた近代建築」より
















この円窓は、今も金沢工業大学のライブラリーセンターに残っている。







 「失われた近代建築」より





また、南町通りに現在はないが「大同生命金沢支社」の建物は、大正15年にW・Nヴォーリズ設計で、肌色のテラコッタタイルを張り付けたルネッサンスのパラッツオ(貴族邸宅)洋式の外観で、写真で見る限り前面に様々な装飾が施され、窓の形も1,2,3階とも異なった洒落た建物である。





「失われた近代建築」より














「失われた近代建築」より












もう一つ、今のグランドホテル付近にあった「明治生命金沢支社」は濃い赤レンガ造りの建物だったという記憶がある。



















武蔵が辻から香林坊までの通りは、現在、新幹線効果で多くのホテルやマンションが建設中だったり、既に建ち並んでいるが、1970年代頃までは銀行や証券会社のビルや商売をやっている町屋が混在している街並みだった。今はほとんどが解体されてしまったが、戦災に会わなかった都市として古い町並みが残っていたら、街歩きもさぞ楽しかったと思う。

長町に昭和6年にスイスのマックス・ヒンデルが設計した「精霊病院」に付属した施設の「精霊修道院聖堂」がある。木造平屋建てであるが、基部を角塔とし、上部に十字架の付いた尖塔型の緑の屋根を架けて、建物全体のアクセントとしたロマネクス調である。



















白く塗られた木造の下見板に、角部の付柱や窓框(まどかまち)は、焦げ茶色に塗ってメリハリをつけている。



















内部は正面の奥に半円形の祭室部分があり、床部分は畳敷きと椅子を利用(創建時はすべて畳敷き)し、その上部を化粧屋根裏として柱位置に大壁づくりにした縦断アーチをかけている。



















横壁の上部の丸窓にはステンドグラスが入っており、下部はアーチ状になっており群青色と金色が塗られ、さらには柱には黒漆喰が塗られ、金沢の伝統工芸が所々に使われている。西洋の感性と日本、とくに金沢の感性が調和したユニークな教会である。