橋場町交差点にある「金沢文芸館」で、昭和初期に建てられた銀行を改修して「五木寛之の記念館」となっている。
ついこの間も、ここで「浅野川界隈」の話を「金沢の明治以降の歴史の権威」である本康宏史先生の話を聞いて、大変面白かった。
浅野川大橋から主計町茶屋街を見る。
ひがし茶屋街と違い、昭和初期までに3階建に増築された建物も多い。ここも伝統的建造物保存地区となっている。
大橋から「中の橋」方向を見る。
情緒がある川沿いの主計町の通り。桜の開花も近いので、花見のぼんぼりが付けられていた。青いポールにガス灯が何基か並んでいる。
川沿いの通りから1本入った道は、非常に細い道で、建物は茶屋街らしく紅殻色に塗られている。
細い小道の先にある階段は、五木寛之氏が名付けた「あかり坂」で、「登っていくと、夜の空が奇妙に明るく見えた」と作品の中にある。
細い道の所に「金沢33観音巡り26番札所」の「源法院」がある。
3代藩主利常の信仰厚く、江戸御上洛の時、道中の安全祈願を命ぜられ、梅鉢紋を許されたという。その時、江戸三度、京三度と呼ばれる早飛脚の祈願所でもあった。江戸三度とは、月に三度、江戸までを往復したというからすごい。
明治初年の神仏分離により、久保市神社の寺院関係をここに移したという。
橋場町から下新町に上がる坂で、明治中期になって繋がった。泉鏡花の作品の「照葉狂言」の中に「我が居たる町は、一筋細長く東より西に爪先上がりの小路なり。・・・・・一方の先は行き止りとなりたれば、往来少なかりき」とあるから、その後にできた道だ。
この坂の下を流れている「東内惣構堀」で、向こうに見える橋は大通り沿いの「枯木橋」
坂の途中に「朗読小屋 浅野川倶楽部」の看板が掛かっている。ここの前にパンフレットが置いてあり、地元ゆかりの作家たちの文学の朗読会の案内が描かれていた。一度どんなものか聞きたいものだ。
左側に「泉鏡花記念館」があるが、その先は旧博労町にある料亭の「壽屋」まで、まっすぐの細い通りで、古い町屋が並んでいるところだ。