2017年3月23日木曜日

小松城址(2)

小松城址(1)の続きで、その後小松城の三の丸だった「芦城公園」に行った。



















公園に入ってすぐの所に「仙叟宗室」の碑が立っていた。
これによると、3代藩主利常が小松に居城しているときに、千利休の4代仙叟宗室が茶道茶具奉行として使え、この三の丸に屋敷を受けたという。利常がなくなってから金沢へ行き、5代藩主綱紀に仕えたという。茶道は武士のみならず町人にも広まり、小松発展に寄与したということが刻まれている。



















その横には、没後300年を記念して裏千家が建てた「仙叟宗室」の屋敷があったが、戸が閉まっていて残念ながら中を見ることはできなかった。現在でも時々茶会が開かれている。



















ここの公園内には、五重塔の石塔、池、滝や小川の両側の石組み、いくつかの反り橋などがあり、きれいな庭園が整備されている。



















小松の町を作った三代利常の銅像が立っていた。
























池の前の立て看板に「五彩の鯉」とあったが、九谷焼の人間国宝徳田八十吉が寄贈した鯉がいるそうだ。どっしりした丸い雪見灯篭もある。



















下図の奇妙なものは「珪化木」といって、樹齢400年の大木が火山灰に埋まり、炭化し、やがて長い年月の間に岩石中に珪酸成分と置き換わって珪化されたもので、状況からみて、およそ2000万年前のものと思われるという。
金沢大学の先生が調べたところ、日本では珍しい「テリハホク」または「シマボウ」であろうということである。その巨大さは世界でも珍しく学術的にも貴重な資料といわれている。



















立派な樹木の前(何の木かはわからない)に「三の丸跡」の標柱が経っていた。



















図書館の近くに鮮やかなピンク色の梅が咲いていた。余りにきれいだったので、図書館の職員に梅の名前を聞いたが分からなかった。また、ここで藩政期の建物で、唯一の残存建築が「来生寺」にあると聞いていたので、場所を教えてもらった。

































そして、歩いても10分以内くらいの所にある浄土真宗大谷派の「来生寺」に行った。ここの寺門は「小松城の二の丸鰻橋御門」であったという。門の裏には、門番の住まいがあり、敵からの襲撃をを防ぐための太い格子窓があった。現存する小松城の数少ない貴重な遺構であるという。




















ここに、白漆喰壁の四角い建物の小松市内では珍しいという、文政8年に建てられたという経蔵があった。