2017年3月7日火曜日

兼六園 成巽閣(1)

今回は、兼六園の中の小立野側にある「成巽閣」を見てきた。ここは、5年くらい前に東京の親戚の人と一緒に行って以来かと思う。
入口にある「辰巳長屋」は1822(文政5)年に12代藩主斉広が造営した竹沢御殿の外門長屋として設けられたもので、現存する長屋は当時の3分の1である。外壁の腰には、金沢城によくみられる「海鼠壁」である。



















正門の中に入ると、前庭があり、中央に池に蓬莱島を配して、五葉松や伽羅僕、赤松など樹木が植栽されている。



















正門を入って左側に吉祥を表した亀石が置かれている。



















玄関は、切妻唐破風造りで、鬼瓦には剣梅鉢紋が付いていて、壮大な御殿の佇まいが感じられる。
この成巽閣は、1863(文久3)年に13代藩主の前田斉泰が母堂にあたる12代の奥方の真隆院(鷹司隆子)のために造営した奥方御殿である。真隆院の生家の鷹司家の御殿が「辰巳殿」と呼ばれていたことや、金沢城の「巽」の方向(東南方向)にあることから「巽御殿」と名付けられていた。明治になって、真隆院が亡くなってから斉泰は「成巽閣」に改めたという。
一般の書院造は男性主体の部屋であるが、13代斉泰は12代の奥方のために、細やかな心配りに満ちた優しく優雅な空間を作り上げている。



















玄関から中に入ると「成巽閣」の扁額があるが、これは斉泰が描いたものだろう。金沢の神社などに多くの斉泰の扁額が掛かっている。



















2階建てで、寄せ棟造り、杮葺きで、1階は書院造り、2階は数寄屋風書院造りとなっている。下図は1階の部屋の配置図。
























部屋の内部は、残念ながらカメラ禁止なので「成巽閣」の本の中の写真で紹介する。
「鮎の廊下」は、天井が折り上げとなっていて、金泥および金砂子の貼り紙になっており、豪華さが感じられる。





「成巽閣」の本より













障子の腰板には鮎が描かれていることから「鮎の廊下」と呼ばれている。





「成巽閣」の本より













「亀の間」は真隆院の御寝所として使われたところで、四隅の柱に当時の蚊帳の吊り金具がついていた。床の間や違い棚など立派なものが付いている。





「成巽閣」の本より













障子戸の腰板には長生きの象徴である亀の絵が描かれている。この絵の亀は、床の間より1枚ごとに数が増えていく。戸を外した場合でも、この亀の数によって、どこの場所の障子戸かすぐわかるという。






「成巽閣」の本より












「亀の間」の前には「万年青の廊下」があり、ここのろの腰板には「万年青」の絵が描かれている。そしてその外に「万年青の縁庭園」がある。大小の築山があり、五葉松、雄松、伽羅僕などの古木を配している。