2017年1月22日日曜日

信州ドライブ(4)北国街道 柏原宿 小林一茶記念館

信州ドライブ(3)北国街道の続きで、その後、「柏原宿」付近に建つ「小林一茶記念館」に行った。
小林一茶は、明治時代の正岡子規により、松尾芭蕉や与謝野蕪村と並ぶ俳人として広く世に知られるようになったという。




















小林一茶の作品は約22,000句あり、非常に多くの俳句を世に残している。読んだだけで意味が分かることが特長で、世代をとわず親しまれている。
代表作は「一茶発句集」、「おらが春」などが有名である。




















「柏原宿」は「古間宿」との合宿で、月の前半だけやっており、1819(文政2)年には、旅籠屋10軒、茶屋4軒、酒屋2軒、その他米屋、塩商人が活躍していたが、その後の大火で113軒のうち一茶宅も含めて92軒が消失したという。その後復興して加賀藩の参勤交代の宿所として使われたという。






















加賀藩12代藩主斉広の正室の隆子(真龍院)の帰国の際に随行した、家老「中川八郎右衛門一行」98人と、13代藩斉泰が入国の際に御年寄「横山山城守隆章一行」95人が宿泊した際の宿札が展示されていた。




















古間宿の「金沢藩、富山藩、大聖寺藩御用達看板」と関札「松平日向守御休看板」


























平成14年から、ここ信濃町と石川県の白山市が俳句交流を続けており、ちょうど白山市で生まれた「加賀の千代女」の展示がされていた。千代女は17歳の時に、芭蕉の高弟各務支考(かがみしこう)から「あたまからふしぎの名人」と称えられれ、その才能が認められる世のなったという。千代女の句集は「千代尼句集」、「俳諧松の声」の2冊が生前に出版され、千七百句が核にされている。
下図は「加賀の千代女」の自画像




千代女の「朝かほやつるべとられてもらい水」はあまりにも有名である。




















「小林一茶記念館」のすぐ近くにあった「柏原宿本陣」は黒姫山麓の新田開発に取り組んだ豪商で、一茶の顕彰に努めた。問屋を兼ねていたため、業務を引き継ぎ郵便局をしていた。「郵便局発祥の地」の碑がある。




















続いて「牟礼宿」に向かい、ここに加賀藩12代藩主斉広の正室の隆子(真龍院)の帰国の際に謳った歌碑があることを聞いていたので、それを見に行こうと思ったが、既に辺りは暗くなり、よくわからなかったので、道を聞こうと思い、通り沿いに1軒だけ煌々と照らされていた店に入った。
ここの店に一人の女の人がいて「ハープ」の演奏家だという。仕事の合間に練習し、たまに演奏会を開いているらしい。その場で少し弾いてもらったが、こんな近くでハープの演奏を聴くのは初めてで、うっとりするような音色だった。




















この人は、話しぶりからやり手のような感じで、工芸品を作ったり、いろいろなものも売っていた。ウィンドーケースの中には大小いろいろな「鎌」が並んでいた。




















結局、真龍院の歌碑は見ることできなかったが、JR牟礼駅に寄った。




















金沢と東京間のちょうど中間点で、新幹線ができる以前は、JRで金沢へと東京への運賃が同額だったところだ。時刻表を見ると、1時間に1本か2本で、かなり不便だなあと思った。