2015年1月17日土曜日

石川県伝統産業工芸館(3)

石川県伝統産業工芸館(2)続いて、館内を見学した。(12月11日)




















金沢の「桐工芸」は、藩政期からあったといわれているが、明治の初めに加賀蒔絵の巨匠の「大垣昌訓」が桐火鉢に蒔絵加飾の技法を創案したことが始まりといわれている。桐の木目の美しさと花柄などの蒔絵の模様が調和して全国で評判となった。昭和30年ごろに火鉢はピークを迎えたが、その後、炭火そして桐火鉢は使われなくなり、技術者も少なくなったという。現在は、軽くて割れにくい、耐湿、耐火性を生かした引き出し、小箪笥、硯などが好評であるという。




















昔から品物を贈る時、敬いの印として水引をかける習慣があるが語源は麻などを水に浸して皮を剥ぎ、紐としたことにあるといわれ、紙の発達と同時に美しい水引ができたものと伝えられている。「加賀水引」はいろいろな色を施し、金、銀箔を加えて加工する。松竹梅や鶴亀、宝船飾りなどの加え、最近では人形も作られている。




















水引で作られた「百万石出世かぶと」のすばらしいものが飾られていた。前田利家が被っていたという「鯰かぶと」を模したものであろうか?


























藩祖前田利家の入城祝いの獅子舞から発展した加賀獅子頭は、、どこから見ても睨んでいる「八方睨み」で眼光が鋭く、他の産地のものより大きいのが特徴で、原木に白山麓の桐が使われている。昭和30年ごろまでは町の守護として各町内にそれぞれ1基所有していて、春と秋の祭りには勇壮な獅子舞が町の中でも見られた。最近では、金沢の郊外ではいまだにやっている。




















江戸時代には武家の女性の教養のひとつとして数えられていた琴は、明治以降も女性のたしなみとして城下町金沢の生活に根付いていた。それで市内の中にも桐が植えられ、白山桐の存在もあって、蒔絵や螺鈿を施す美術品的なことも製造された。現在は地元の伝統産業として原木を購入から一貫して製造する業者は少なくなっている。
琴の音色は金沢らしい趣のある雰囲気を醸しだすので「新幹線の金沢駅の発着チャイム」が最近発表され、電子音であるが琴の音色に近いように聞こえる。




















太鼓は日本人の心を揺さぶる楽器として、祭礼の神事や仏事の伝達、また戦国時代には武士の精神の鼓舞などに使われ、広く大衆に親しまれている。
石川の太鼓は音が良いことで知られている。原木のケヤキやセンなどの乾燥から始める一貫作業によって作られる。また、皮は江戸時代初期から伝わる技法と手取川の清流によったてえられ、優れた耐久性と独特な音色が生み出される。
20~30年くらい前に、白山市の女性が勇壮にたたく「炎太鼓」を何度か見たことがあるが、最近もやっているのであろうか?




















「加賀提灯」は、竹ヒゴを1本1本切断して骨にすることで、長い竹を螺旋状に巻いたものとは異なり、伸びが多く、1本が切れても全部がはずれることがない丈夫なものである。現在では祭礼用や装飾用として製作されている。




















金沢では、行事や風習によりいろいろなおもちゃや人形が残されている。名のある作家の美術工芸品と違い、職人といわれる人の手で作られている。記録の上では5代藩主綱紀が京都より人形職人を招き、奥方の輿入れごとに増加した御所人形の修理に当たらせたことが始まりといわれている。その後、獅子舞や加賀とびなどの姿を模した人形が作られた。
また、「八幡起き上がり」は張子で作られ、七転び八起きの縁起の良い置物として広く愛玩されている。その他、「米食いねずみ」、「もちつき兎」などがある。もともと子供たちの玩具だが、縁起を担いだり、誕生祝や病気見舞いにも使われている。昭和30年代によく年賀切手の絵に使われたことを覚えている。