2019年10月9日水曜日

北国下街道下口(1)

橋場町から鳴和方面に行って、小坂神社の社標がある通りを超えて、30~40m先に行くと斜め右に入る小路がある。
ここが、旧北国街道下口への道である。その入り口には、今は使われていない火の見やぐらと「旧北国街道」の標柱が立っている。
























標柱には「古代には北陸道と呼ばれ、日本海側の主要道路であった。加賀藩主の参勤・交代では、ほとんどこの道を通過した」とあった。
























今の大通りの「城北通り」は昭和初期に作られたもので、有松付近の「南端国道」に対して「北端国道」ともいわれていた。この大通りができたおかげで、従来の街道は裏道となり、人通りが少なくなってしまった。しかし細い道ながら車道と歩道が色分けされてきれいに舗装されていた。




















大通りができる前は、かごや竹ぼうきを売る店や鍛冶屋、たんす屋、下駄屋など多くの店が並んでいたらしい。右手にある家を改修しているのかテントが張ってある横に「石川縣十名所義経旧蹟鳴和瀧」の標柱がかかっていたが、この小路を曲がって進むと鳴和瀧がある「鹿島神社」に行くが、ここは後日のブログで紹介する
























以前は商売をやっていたと思われる立派な瓦屋根をもった家もあった。




















右手の小路の向こう側に町中にはない建物が見えたので、そちらへ行くとお寺ということが分かった。真宗大谷派の「祐専寺」というお寺で、その名前以外にお寺の歴史的なことなど他の情報は得られなかった。ともかく山門は見た目には石材が多く使われた建築で、入口は円形アーチ状になっており、デザイン的にも素晴らしいものであった。



















境内に、女神像の前に鐘楼があったが、これも見たことがない形の鐘楼であった。
























本堂の玄関にはふたつの唐破風の屋根が付いており上方は白く塗られていたが漆喰ではないだろう。この材質は?
























「旧北国街道」に戻ると、呉服店には「創業文化元年」の看板がかかっていたから200年以上前からやっている店になる。



















途中に「旧北国街道」と「春日町」の標柱が立っていた。「春日町」は「古くからあった山上春日社(小坂神社)の付近にできたまちなので、春日社門前、六町春日町とも呼ばれていたが、藩政後期この名に改められた」とあった。



















さらに進むと玄関の前に懐かしい「ゴミ箱」が置かれ、店先の上方には木に透かし彫りされていて、赤戸室石の壁を持った町屋があった。ここは「銘木店」とあったから高級な木材を扱っている店であろうか?家に近づくと犬が吠えるので、じっくり見れなかった。