2019年8月12日月曜日

卯辰山寺院群(8)月心寺

卯辰山寺院群(6)の続きで、そのすぐ近くにある「月心寺」に行った。藥医門の山門横には「千仙叟室」辞世の句碑が建っている。



















山門の戸には寺紋であろうか、金色が輝いている。
























山門の横に左手に宝珠を持ち、右手に巡錫を執っている地蔵菩薩が置かれていた。
























ここは曹洞宗のお寺で、開山は前田家の菩提寺の宝円寺7代の傑外雲英大和尚である。1655(明暦元)年の元如来町に移り、1658(万永元)年に油木山の蓮昌寺跡の現在地に移ったという。



















住職さんの許可を得て、本堂の中に入り丁寧にお参りした。御本尊は釈迦牟尼仏である。



















摩耶夫人尊(まやぶにんそん) お釈迦様のお母様、縁起によると「行基菩薩一刀三礼の作」と淀君の守り本尊として大阪城中に安置されていました。日々に礼拝して願をかけ、誕生されたのが秀頼とされています。以来安産の佛様として尊ばれてる。
























通常は入れないが、住職さんから扉のバーを開けてもらい茶室「直心庵」の露地に入れてもらった。「直心庵」は天保のころに一井庵の古材をしているという。ここ茶室の前に待合や蹲、灯篭などがあった。裏千家十四世淡々斎宗室の筆跡「直心庵」の扁額がかかり、躙り口がある。



















ここで、毎月「千仙叟室」の命日23日には、追善茶会が開かれている。床柱は曲がりの大きな竹が使われ、もと湯川一井庵の邸にあったものだという。




「金沢の茶室」より









「金沢の茶室」より














境内には、茶道裏千家の祖「千仙叟室」の墓がある。「千仙叟室」は1622(元和8)年に利休居士の孫、宗旦の末子として誕生し、利休伝来の茶道の教えを受けたという。加賀に出任した宗室は30年間茶の湯を通して前田家に仕え、茶道に関して大きな役割を果たしたという。
























その墓のすぐ近くに、宗室の弟子・土師長左衛門、後の大樋長左衛門代々の墓もある。この大樋長左衛門と千仙叟室によって、加賀藩が茶の湯が盛んになり、金沢は今でも茶会が多く開かれている由縁である。
























千利休の墓がある京都大徳寺塔頭「聚光院」にある茶室「閑隠席」





「聚光院」より