2019年8月20日火曜日

谷口吉郎・吉生記念館

今回は、寺町に新しくできた「谷口吉郎・吉生記念館」に行ってきた。建築家「谷口吉郎」は、金沢市の名誉市民第一号
に選ばれており、その生家跡に記念館が建てられた。建築家の記念館としては全国で初めてと聞いている。
場所は寺町大通りに面していて、裏側の犀川沿いからの道から階段を上っても行けるので便利だ。

























この建物を設計したのは、谷口吉郎の長男の吉生氏で、東京や京都の国立博物館や、ニューヨーク近代美術館、そして金沢の鈴木大拙館などを設計している。
1階は、受付とラウンジだけである。地下1階は谷口吉郎が関わった建築の写真やジオラマの展示や解説がされている。ここはカメラ禁止だったので残念ながら紹介はできない。



















2階は、谷口吉郎が設計した迎賓館赤坂離宮の和風別館「游心亭」 などが再現されている。広間は47畳と12畳の2間からなっている。迎賓館本館で執り行われる行事や接待が洋式であるのに対し、和風の意匠や純日本のおもてなしで諸外国の来賓をお迎えするための施設として利用されている。お茶・お花・和食などにより「和」のおもてなしを提供しているという。



















12畳の方には屏風の前が舞台となっており、いろいろなものが催される。広間から広縁の上まで広がる天井は、平天井と斜めの天井から成る棹縁が印象的である。



















そして広間の障子を開ければ、外部の水辺と木々が見える。浅い水辺は、谷口吉生が設計した「鈴木大拙館」をお思い出す。高台から見える金沢の町並みを期待したが。



















その先に「茶室」は、中央にある4畳半の畳席と、その周りにある椅子席から谷口吉生氏創案の茶室で、能舞台のように設けられた小間での点前を周りの椅子から鑑賞しながら、茶を楽しむことができる。




























帰りに行った仲間とラウンジでコーヒーを飲んで一服した。

続いて、谷口吉郎がどんな建物を手掛けたかを「ふるさと異人館」に展示されていたものから紹介する。



















「藤村記念堂」は、木曽街道馬籠宿の藤村実家の本陣跡に、地元民の協力により1947年に建てられたものである。



















「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」は、太平洋戦争の「無名戦士」のお墓で、1959年に皇居のお堀端に作られた。お堀の水面が美しく、樹木の茂みの奥に建てられら六角堂である。
























「森鴎外」・「室生犀星」・「正宗白鳥」など多くの「文学碑」を建てている。
























2年前の秋に見た「十和田湖記念碑・乙女の像」も谷口吉郎の作品だと知った。
























金沢市内にも「徳田秋声文学碑」が卯辰山にあり、秋声が武士の子孫であることから土塀をかたどった碑を建てている。秋声の言葉と犀星の撰文を焼き付けた陶板がはめ込まれている。
























他に、谷口吉郎、が設計した金沢市内にあるものも多くある。