2018年6月19日火曜日

千日町界隈 雨宝院 

前回の「室生犀星記念館」を見た後、付近を少し歩いた。犀川大橋方向に歩いて行くと犀星が育った有名なお寺の「雨宝院」がある。このお寺の前に「千日町」の標柱があり、「この町に真言宗の雨宝院があり、山号が千日山であるところから、この名がついた」とあった。
























「雨宝院」は、736(天平8)年に白山開山の泰澄大師が創建し、その後1597(文禄4)年に雄勢上人により再建された。高野山真言宗のお寺で、ここの住職の養子となった金沢の三文豪の室生犀星が幼少のころ過ごしたお寺である。



















このお寺の前や境内にいくつかの石碑や地蔵菩薩などが置かれている。山門の左手には、室生犀星の「性に目覚めるころ」の作品の一部が記された石碑があった。犀星が居たころは今のように堤防がなく、寺の裏の庭から犀川に降りて、よく水を汲んでいたという。



















山門前の左手には、六地蔵がある。六地蔵とは、六道において衆生の苦しみを救うという六種の地蔵菩薩である。



















本堂の前に二つの赤くて長い提灯がぶら下がっており、ここの本尊の金毘羅大権現と描かれていた。犀星の「性に目覚めるころ」の作品の中に「少女が、ここの賽銭箱のお金を盗んでいるのを、犀星が黙って密かに見ていた」という節があるが、この賽銭箱が今でもお寺の中に残っていると聞いたことがある。



















その脇に、小さな梵鐘がぶら下がっており、、金沢33観音の寺巡りの17番札所の看板が掲げられている。
























境内にある「まよひ子石」は、犀星が「たたずんだりもたれたりするのにちょうど良かった」そうで、『子供が道に迷ったりすると、この墓碑に祈願すれば、ひとりでに子供の迷っている町がわかる』石として紹介されている。また、親が飢餓などで育てられない子供を、目立つこの石の前に置いて、育ててもらおうとしたものであるともいう。



















本堂前の右奥の方にある「子安地蔵菩薩尊」は、安産、病気治癒、長寿、知恵など10の願いを聞いてくれるという。胸に小さな子地藏を抱き、唇に紅をひいた女性のお地蔵さんということで、娘の安産を願い、寺に腹帯をもらいに来る人も多いという。また西の廓に近いので、廓のお茶屋さんや芸妓さんなどのお参りも多かったという。
また、本堂隣の建物「十輪堂」には、「延命地蔵尊菩薩」が安置されており、毎年8月10日には大祭として「十輪堂」の扉が開けられる。ここは、かって地藏巡礼24か所の1番寺であった遍照寺の地蔵で、明治22年に寺号を廃止した際、雨宝院に移されたという。
























その向かいにある寺は「徳龍寺」である。真宗大谷派の寺院で、1616(元和2)年に現在地に創建された。山門は元禄のころ、本堂庫裏は「雨宝院」の享保の大火直後の建物という。金沢東別院再建後、現在の本尊はこの寺にあったものを移転したものだという。現在、「にし」の観光客を呼び起こすであろう「谷口吉郎記念館」が寺町に建設中であるが、この建築家谷口吉郎氏の菩提寺でもある。



















その前を流れている用水は「泉用水」で、犀川大橋の下に水門があり、さらに上流に取水口があるようだ。