2017年5月26日金曜日

笠舞界隈(1)猿丸神社

今回は、笠舞にある「猿丸神社」に行った。この神社の横の道は、以前、小立野台地から寺町台地を通るバスが走っていたと記憶している。笠舞を突き抜けている大通りができてからは、この近くはすっかり行かなくなってしまった。

























境内にここの神社の由来が刻まれた石板が建てられていた。それによると、小倉百人一首の「奥山に紅葉ふみわけ泣く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき」とうたった猿丸太夫の碑がある。
猿丸太夫は、平安初期、西暦850年ころの人で、聖徳太子の孫と言われている。戦いで海を渡るときに、突然大荒れになり、女帝から「お前の和歌で沈めよ」と言われたが、大荒れは一向に静まらなかったという。猿丸太夫は、おのれの無力さを悲しんで諸国行脚の旅にでたという。幾年月も旅をつづけ、金沢の犀川あたりにさしかかると、突風で被っていた笠が舞い上がった。空に舞い上がる笠があまりにきれいで不思議に感じたので、ここを笠舞と名付け、太夫がここに庵を立てて住み着いたという。太夫は、村人に開田や養鶏を教えた。その人柄に村民も次第になつき、庵に集まって団らんを持つようになり、太夫の和歌に感化されるようになったという。












































ここ以前あった大木の老杉に、五寸釘で藁人形を打ち込んで願掛けする「丑の刻まいり」が行われていた神社として有名で、藩政期には夜な夜な打つ音が鳴り響いたとか。今はその老木が伐採され、その根株と若杉が育っている。



















今日は、この神社の春祭りで、拝殿が開かれていて、宮司さんが中に座っていた。お賽銭を入れて丁寧にお参りしてきて、宮司さんに少しこの神社について聞いた。また参道には露天商も並んでいた。(5月2日)







































神社の入り口にあった小さな祠



















猿丸神社の市指定の保存樹は、タブノキを中心に樹高25m、幹回り5.8mのケヤキをはじめ大木が10本、その他イチョウの木など高木が22本、モミジやツバキなどの低木が41本あるという。
























そのケヤキの大木の下のほうにあまり見たことがないような大きなこぶがあった。



















神社境内の横には、現在は水が流れていなかったが、両側に石垣が築かれた用水の跡があった。この辺は畑や田んぼが多くあったので灌漑用の用水のだったのだろう。

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