2017年4月8日土曜日

天神町界隈(2)椿原天満宮

天神町界隈(1)の続きで、「天神坂」を下りる途中のところから右手にある「椿原天満宮」に入った。ここのところに稲荷神社があった。




















この境内には、「退筆塚」がある。昔、椿原小学校(後に材木から兼六小学校)に習字を教えていた寺岡玉水という先生をしのんで建てられ、使い古した筆を供養している。




















ここには、がっぱの神様としても有名な石物もある。がっぱとは方言で子供の頭にできる湿疹のことである。最近ではあまり見られなくなったが、昔はよくあったという。がっぱができるとと親は子供を連れてお参りし、早く治るようにと祈ったという。




















椿原の名前となっているが、今はそんなに目立ったほど椿は多くない。昔は椿が多く、一向一揆の大将洲崎兵庫が陣屋を置いていたので、椿原砦と言われた。この砦は一向一揆の本営・尾山御坊の出城であったという。


























ここは、菅原道真を祀り、1297(永仁5)年、京都北野天満宮より勧請され、その後、前田家の祈禱所となり、金浦郷の総社となって田井天満宮と称されたという。
階段を上ると拝殿がある。




















拝殿の中に「天満宮」の扁額が掛かっているおり、金色の狛犬、梅鉢紋がはいった太鼓が置かれている。本殿の前には絵馬が奉納されていて、近所の兼六中学生たちが高校入試合格祈願によく来ており、「のぼって上がるお宮さんにお参りすると合格する」ということらしい。




















拝殿の前の左手に「剣月流銀剣詩舞刀法道」の寄進という菅原道真のすばらしい石像が建っていた。




















この椿原山の鬱蒼とした樹々の間から金沢城の石川門が真っ正面に見え、結構高台にいることが分かる。




















階段途中には、ちょうどピンクの梅が見ごろとなってきれいに咲いていた。(3月1日)


























手水舎の屋根のとがった所の下に「梅鉢紋」が付いていた。


























ここは、社格も高く旧金沢五社の筆頭にランクされていたという。