天神町界隈(2)の続きで、椿原天満宮を下りると天神町の通りに出る。この神社の左手の通りをまっすぐ行くと、若松、二俣から越中砺波地方まで通じている。
そして、反対側の方へ歩くと、材木町から橋場町まで続いている旧街道で、通称「オコ谷往来」へと至る街道沿いにできた街並みが続く。
金沢のフルマラソンが2年前から始まっているが、この古い街並みを紹介しようと、ここがコースの中に入っている。15km地点付近なので、かなりばらけているからこの細い道も混雑しないということで通ることのなったのだろうか。
「こまちなみ保存地区」の立て看板が掲げられていて、かっては、桶屋や鍛冶屋などの商売屋が多くあった町で、伝統的な町屋建築が、旧街道らし曲がりくねった道路に面して軒を連ねているところである。
幕末の古地図には4000石の火消し組頭、品川家の邸宅があったことから、この辺りは以前「旧品川町」と呼ばれた。品川左近は三代利常に仕え、利常が死ぬと彼は殉死した。「これぞまことの武士」と拍手喝さいを浴びたとか。
また近くにあった「旧板前町」は藩政期に金沢城の台所を切り盛りしていた料理人が藩から組地を与えられたところだ。
通り沿いにあった風情のある町屋で、横の勝手口から裏庭に通じている。
通りの途中にはやはり風情のある門構えの「天神町緑地」があり、憩いの場所となっている。
結構広く、奥の方に行くと浅野川の河岸段丘や卯辰山が眺められる。また、園内には椿の花が多く咲いていた。
また、通りの途中に「宝円寺」の方へ上がる「馬坂」に通じる道がある。