藩政期のころは、この辺は広い泉野原野であり、鷹場があり、幕末には調練場があったという。
藩政期には寺町や「六斗広見」付近までは寺院や民家があり、その奥の「旧地黄煎町」付近に数軒民家が点在していただけだという。
この通りに標柱があり「 地黄という薬草を採取して地黄煎という飴薬を売り出したからその名がついた」と描かれていた。
この「旧鶴来街道」沿いに「地黄八幡神社」の入り口がある。前には石垣があるが、鳥居の後ろにある大木はバッサリ切られていた。
この神社の由来が描かれた立て札が立っていた。
こじんまりとした古めかしい「拝殿」の上部に扁額がかかり、背後に「本殿」があった。
手水舎も古めかしく、この石は赤戸室石であろうか。
境内にはちょうど見事の桜が咲いていてきれいだった。母親が幼児を抱いて一生懸命きれいな桜を見せていた。(4月12日)
1週間後は境内の薄いピンクのソメイヨシノは散り、濃いピンクの八重桜がきれいに咲いていた。(4月19日)