随分前の2014.11の兼六園 千歳台(2)の続きで、申し訳ありません。また兼六園について紹介します。
「明治記念之標」から越前石の石橋で亀甲模様がある「千歳橋」を渡ると、曲水の向こう側に「七福神山」がある。その前に、青戸室石を2枚を合わせ敷いた大きな反り橋の「雪見橋」がある。
「七福神山」は「竹沢御殿」の書院庭として作庭され、卯辰山を借景としているという。この築山には七福神に見立てた7つの自然石が配置されているという。この立派な築山を見ながら12代藩主斉広は隠居してのんびり優雅に暮らしていたのだろう。能が好きだったという斉広は「竹沢御殿」の中に当然能舞台も作っというから能に明け暮れていたのだろうか?
この七福神の名前と配置は下図の通りである。
「雪見橋」の下流に立てっている大きな灯篭は「雪見灯篭」といい曲水の添景となっている。御影石で、脚は3本で笠は6角形で大きく広がっている。火袋も大変大きい。冬の時期になると、曲水辺り一面とこの灯篭の笠にはたくさんの雪が積もり見ごたえがあるからこの名前が付いた名だろうか?
その横には、11枚の赤戸室石をちょうど夕空に雁が列をなして飛んでいる形に見える「雁行橋」がある。石1枚1枚が亀の甲に似ているから「亀甲橋」または「かりがね橋」ともいうらしい。Yの字になっていて末広がりから、その橋を渡ると長寿を保つとして縁起のよい橋とされているが、石の表面の摩滅がひどいので現在は柵をして渡れなくなっている。
私の子供の頃は面白い格好をしているので、よく渡ったことを覚えている。
この「雁行橋」の下流には「木橋」とそのまた下流に「土橋」があり、石橋の「雪見橋」と4つの橋があるが、どれも材質も違い、曲水との角度も違って架かっているが、これもまた庭に変化を持たせて添景をまとめている所がすばらしい。
この「木橋」から「七福神山」方向に眺める曲水の石組みや灯篭、橋などは兼六園の見所のひとつとなっている。手前にある二つの石は「おしどり石」といってつがいのおそどりの形をした石であるが、これも長寿や夫婦和合を願ったものである。
下図は文久3年ごろの曲水付近の絵図で、右端は「七福神山」であるが、「雪見灯篭」や「雁行橋」が見えない。まだなかったのであろうか?
下図は明治後期の曲水付近の古写真で、雪見橋が見え、その後ろの橋は「雁行橋」だろう。「旭桜」の大桜も見える。