海の方見渡すと、天気がよければ日本海が見え、さらに河北潟、能登半島が見えるという。こういう高台から景色のよい所を見ると気持ちがすっきりする。この高台は標高53mというが、この脇に水の流れがあり、「霞ヶ池」に満々と水がある。「眺望」と「水泉」は相反するものでるが、ここは兼六園の六勝のうちのふたつを兼ね備えているといわれている。
そういえば、この眺望台をこよなく愛した異色の作家がいる。政治活動に取り組んだプロレタリア作家の「中野重治」で、四高の5年間で文学に開眼し、金沢を舞台にした「歌のわかれ」や「むらぎも」などの作品が有名である。下図は後に「歌のわかれ」の舞台の金沢を訪れ、四高時代および作品を書いた時代からの町の移り変わりを「五十年前と三十年前」という文章で描いたときの写真という。
「石川歴史館」より
曲水から流れてきた水がここで、折れ曲がって虹橋をくぐって、霞ヶ池に流れている。
また一方は水門をくぐって、石囲いの「大枡」(水の取り入れ口)がある。
ここから園路を横切って崖に向かって、石管が通っていて逆サイフォンの原理を利用して金沢城の二の丸まで水を送った遺構である。この「大枡」には、藩政期に三つの番所水御門があり、厳重に管理していたという。
「大枡」から、この石が敷いてある下に石管が通っていて、金沢城まで水を引いていたと先日の「ぶらタモリ金沢編」で放映していた。
虹橋のほうには小さな堰があり、そこを超えると「瀬落とし」といってわずかな段差があり、「瀬落とし」の瀬音は軽快なリズムを奏で、琴の糸のように美しいといわれている。
この前に、霞が池に流れる所に「虹橋」と「ことじ灯篭」がある。ここは、霞が池、蓬莱島、内橋亭を借景として兼六園の中でも最も景観の優れている場所のひとつであり、兼六園のシンボルとしてポスターや絵葉書などに必ず載っている。
「ことじ灯篭」は脚が二股になっていて、ちょうど琴を支える琴柱に似ているのでその名が付いたという。この灯篭は水面を照らすための雪見灯篭の変形で、高さが2.7m、1脚は水中にあり高さ1.9mで他方が護岸石組みのひとつの石に短脚を持たせていて、高さ0.8mである。明治の頃までは、二脚とも同じ高さだったが、誰かが飲んだ勢いでひとつの脚を折ってしまったので、現在のようになったと聞いたことがある。この脚の不均衡さがかえって、一種の破調の美を呈しているという。
「虹橋」は赤戸室石の反り橋で、琴の胴のような形をしていて、長さが5m、幅1.1mの一枚橋で、「ことじ灯篭」の破調の美と「虹橋」の曲線の美が一体となって優れた風景を醸しだしているという。
藩政期の2本とも同じ脚の長さであった頃の絵図
石川県立歴史博物館「兼六園絵巻」より
春の新緑の季節、それに「ことじ灯篭」の傍らのモミジと一体となる紅葉の季節と冬の雪景色、いつきてもすばらしい景色が味わえる。