聞善寺の後、そのすぐ近くにある曹洞宗の崇禅寺に行った。ここの開祖は明峰素哲大和尚で1349年に開かれた。その後、1648年に現在地に新たに再興されたという。
明峰素哲は加賀富樫氏の出身で、京都で禅の重要性を知った後、金沢に戻り大乗寺で修行をし、
北陸一帯に多くの門弟を輩出し、禅寺を多く建立した人である。
下図は木造明峰素哲坐像(羽咋市の永光寺蔵)
「ふるさと偉人伝」より
境内には、下方に数匹もの牛が横たわっている見事に彫られた「開運灯篭」があった。台座に綿津屋政右衛門など寄進者223人の銘が刻まれている。かってこの塔は浅野川を航行する舟から眺められたという。
その横には「社会事業の父」として知られる「小野太三郎」のお墓があった。
「小野太三郎」は1864(元治元)年ごろから中堀川の自宅で困窮者を保護して育ていたが、小野の善行を聞きつけてた没落藩士や孤児、高齢者、障害のある人が次々と助けを求めて訪ねてきたために、資財を投げ打って彦三に家屋6棟を購入し、200人以上の困窮者を救済した。その後も活動を続け、小野の慈善院「小野陽風園」は私の小さい頃から耳に残っている。
下図は1905年当時の小野慈善院=常磐町(社会福祉法人陽風園提供)
「ふるさと偉人伝」より
また、その横には「梅鉢紋」の入った「琴神堂屋根瓦?」と彫られた大きな鬼瓦が飾られていた。
ここのお寺には藩政期に奉納された「お地蔵さん」が9体納めた祠堂があり、、毎年8月9日には「四万六千日」の地蔵尊祭りがあって、参拝者にトウモロコシが配られ、家の前に吊るすと雷除けや子宝に恵まれるなど、その家に良い事があるという。
右側の建物が本堂で、左側の建物が天神堂となった神仏一体のお寺である。お寺の中に入りたかったが、どこから入っていいのか分からず諦めた。
ここの寺は「金沢三十三観音巡り」の第九番札所でもある。