「西町橋」は算用場の通勤路であったと思われ、権現堂への参拝路でもあった。
その先の左手には「町会所」があって、町奉行が任命され、「家柄町人」と呼ばれた「町年寄り」、「散算用聞」、「横目肝煎」、「記録方」「町肝煎」などの役人がいた。特に銀座役は両替を担当し、町方にとっては憧れの役職だったとか。
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また、その向かいの小路に入ったところの通りを「西町藪の内」といったのは惣構堀の土居にあった雑林の名残である。
その先を歩くと今の「近江町市場十間町口」の所に「十間町橋」があった。ここはほんのわずかな傾斜があるだけだ。
そして「近江町市場」の中を通っているが、途中の用水蓋に「辰巳用水」と描かれているが、現在は辰巳用水が流れている。
先日の「ぶらタモリ 金沢編」で紹介されていたが、「ダイヤモンド」の店の中にわずかな階段があり、これが惣構堀の名残の段差だといっていた。
そして「北形青果」の店の前に「近江町橋」あるいは「接待橋」、「世界橋」と呼ばれた橋があった。
この日は土曜日の昼どきだったので「近江町市場の市姫口」にある「山さん寿司」の前にはすごい行列が並んでいた。やはりネット時代で、「近江町市場の寿司処」の人気店として口コミ数の多い店には若い人がいっぱいだ。