2015年5月12日火曜日

石川県立歴史博物館 前田家の参勤交代(2)

石川県立歴史博物館 前田家の参勤交代(1)の続きで、館内には八曲一双(はっきょくいっそう)の「加賀藩大名行列図屏風」を参考にして作られた参勤交代(大名行列)のジオラマが飾ってあった。




















そのジオラマの下には金沢から江戸までの63宿が記されていて、その近くを走っている北陸新幹線の駅名も記されていた。この63宿には江戸から、あるいは金沢から運び込まれた文化が花開いたという。つまり、百万石大名行列の道は、太平洋側と日本海側を結ぶ「日本のシルクロード」と呼ばれてもおかしくないという。




















加賀藩大名行列の編成は、露払い役の「お先三品」と称される長柄・鉄砲・弓で一部隊が編成されていた。この「お先三品」は当番と非番の二組に分かれており、一日ごとの交代制になっていた。
「お先三品」は藩主などの本隊の行列の2~4km先を進んでいる。
「加賀藩大名行列図屏風」に描かれている本隊の先頭にその地域の村役人が道案内として進み、足軽、提灯いて、御供の藩士を中心に藩主を護る長柄・鉄砲・弓などを持った親衛隊と後方にいる供家老が大将になって攻撃を主力にする部隊と二軍に分けられる。





















長柄・鉄砲・弓らの部隊はいくつかの隊に分かれており、各々の隊を率いる組頭がおり、行列の要所要所には「騎馬所」と称する馬上でお供する藩士がいた。そして、その藩士の前後に家中の供廻りが付いていた。








































参勤交代の道中は、その家の身分や禄高、格式に応じた行装と調度品を備えており、また、江戸防備の軍役を担うための武器一式を携行していたという。そして、道中の二週間と江戸に着いてからの、江戸詰めに必要な雨具。替衣類、日用品に非常食や携帯トイレ、それに、入浴のための手桶、腰掛なども持ち運んでいた。他に、夜道を歩くときの松明、提灯、休憩した時に本陣の前に貼る陣幕や休憩用具から娯楽品(碁、将棋、放鷹の鷹)なども持っていたという。




















鉄砲、弓、槍を持つ仲間、足軽は剣梅鉢の紋を染めた紺色の布袴で統一し、刀は刀を必ず腰に差していた。加賀藩は服装の乱れに対して特に厳しく、城下に差し掛かった時は必ず点検していたという.





















また、加賀藩の大名行列の絵図を見ると、全員が合印の笠をつけている。笠と脚絆は「行列内」では、晴雨に関係なく必ず着用するという決まりがあった。




















「籠」が展示されていたが、非常に小さく見え、当時の人は小柄だったというが、これに乗って12泊13日の道中では、幾日も狭い所に座っていなければならないから非常につらいと思われた。
藩主は特に長い道中は歩くこともあったというが、それはそうだと思う。





















加賀藩の行列の帰国の絵図が展示されていたが、前方の人、後方の人、どれも遠くの人が非常に小さくなっており、いかに行列が長く、通り過ぎるまでに時間がかかったかが想像される。